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第五章 東の国のじゃじゃ馬娘 (4)

 そろそろ午後の太陽もだいぶ傾き、一日の終りが近づいてくる。

 

 その老爺ろうやは荷車を引きながら、ここ数日のてんやわんやな出来事について思いをせていた。

 

 五日ほど前のことである。

「このあたりでいのししが出ると聞いたのだが」と一人の身なりの良い少女が老爺の家の戸口に立ったのだ。


 たしかに彼女の言った通り、秋が深まりはじめたころから彼の住む村落のまわりに猪がひんぱんに出没するようになっていた。

 猪が餌場えさばを探して人里近くに降りてくることはさほど珍しくない。だが今回は少々村人の生活圏に近づきすぎるきらいがあったのだ。うっかりすれば大人でも大ケガでは済まないこともありえる。


 さてどうしたものかと皆が相談しあっていたところに、その少女が現れたのだった。


 小さな巫女みこを連想させる上等そうな着物から、良家の子女であろうと見当がついた。戸惑う村人からなかば無理やり猪狩りの了解を取り付けた少女の行動は果断に富んでいた。


 本職の狩人でもそんな熱意を持つだろうか、というほどの意気込みだった。皆の話を総合し、おおよその出現場所を絞りこんだ少女は、たった一人で猪の出現を待ち構えると宣言したのだ。野ざらしのやぶのなか、上等な着物が汚れるのもいとわない。

 少女は文字通り昼も夜もなく獲物が現れるのをじっと監視していた。

 

 そしてこの日、ついに決着がついたのだ。

 藪のほうから響いてきた激しい物音が、未明のとこの中でまどろむ老爺を叩き起こしたのである。

 

 あわてて様子を見に行ったところ、案のじょうそこに横たわっていたのはくだんの猪であった。まことに立派な体格で鋭い牙も持ち合わせている。


 かたわらには息をはずませて立つ赤いはかま姿の少女。とどめを刺したのは、猪の喉に突き立てられた短刀であるらしい。

 だが一体どうやってこの十歳かそこらの少女がそんな芸当を成しえたのか。まるで見当もつかなかった。

 

 相手は大人の男の重さを明らかに越える野獣なのだ。

 追うにせよ迎え撃つにせよ、この少女が単身でどうにかできたとはとても思えない。首をひねる暇もなく、少女は老爺に新たな取り引きを持ちかけた。


 猪肉ししにくを半分わけるから、荷車で猪を屋敷へと運んで欲しいというのだ。

 まあ、野良仕事もちょうど一段落した時期でもある。何より猪肉と少女の正体にも興味があった老爺は一も二もなく承諾したのだった。

 

 結果として彼は何だか突拍子もない事件に巻き込まれた。奇っ怪な術とおぼしき何かを使ったケンカのようなもの。まるでお伽話とぎばなしを見ているような気分ですらあった。

 

 少々腰を抜かす場面もあったが、暇つぶしにはなったと上々の気分の老爺である。さてどうやって家族に事の顛末てんまつを面白おかしく聞かせてやろうか。

 そう思いながら彼は猪肉の切り身を載せた荷車を引いていくのだった。





「キュウタ殿、大変申し訳ないことをした」


 ナタコウジ・サダナガが畳の上で深々と頭を下げる。苦笑いでそれを押しとどめるのは大槻キュウタである。

 

「い、いえ、頭をお上げください……何というか、不幸な行き違いが重なったようなものですから」


 サダナガのひたいは畳にこすり付けられんばかりに下げられている。


「しかし、お連れのかたの刀まで駄目にしてしまい、何とびればよいのやら……」


 向い合って座るキュウタが穏便おんびんな調子で返した。


「もともと新調する予定でしたので、お気になさらないでください。本当に」


 縁側でひざをかかえて庭を眺めていたサザレが、じとっとした視線を男二人に向ける。

 充血した目元と、赤くらした鼻の頭が痛々しい。キュウタがどうにか事情を説明して落ち着かせるまでかなり時間を費やしていた。

 きっぱりとしたサダナガの物言いが向けられる。


「いえ、キュウタ殿。それでは私の気が済みません。ついては、こちらをお納めになっていただけませんか。粗末な物ですが当家に伝わる品であります」


 そういってサダナガが取り出したのは二本の刀である。反りの少ない細身の造りに、精巧な細工の施されたさや。武具というよりは装飾品に近いおもむきと言うべきだろう。


「サダナガ様、そのような大層な品をいただくわけには参りません。お気持ちだけで結構ですので」


 固辞しようとするキュウタだったが、サダナガも引き下がるつもりは微塵みじんもない。


「でしたら、せめて新しい刀を見繕みつくろうまでの代わりとして。キュウタ殿、どうか私の顔を立てると思って。この通り」


 これ以上断るようなら、畳にサダナガの頭がめり込みかねない。

 結局キュウタは折れることにした。差し出された二刀を目の前に置き、キュウタはサザレのほうに目を向ける。二人の会話をちらちら気にしていたらしきサザレが、あわててぷいっと顔をそむける。

 キュウタがさとすような重みを声に込める。

 

「サザレ」


 ふてくされていた彼女も、さすがに少年の意図を敏感に察したらしい。無言のまま膝を畳にこすりながらキュウタの横に並ぶと、ふうと息を吐き出し表情をきりりと引き締める。

 そしてサザレの頭が丁寧に下がる。彼女の言葉はいさぎよく、いささかの乱れや苛立いらだちも無い。

 

「ありがとうございます、ナタコウジ様。お言葉に甘えてこの二刀、確かにお預かりいたします。重ねて、先ほど見苦しい姿を御目おめさらした件、ぜひともご容赦ようしゃいただければ、この身のさいわいにございます」


 一瞬ぽかんとしたサダナガが、どこかの張子はりこ人形のように頭をかくかくとうなずかせる。

 

「ああ、いや。サザレ殿。ま、まあ許すもなにも、そもそもの非は当家にあるのだから、その、なんだ」


 助けを求めるようにキュウタにふらふら視線を投げる。

 少年はサダナガに、にっこり笑ってみせる。冷やりとする場面もあったが結局誰もケガなく済んだのだから、何もなかったのと同じだ。それに色々と『面白いもの』も見られたのだから、おあいことも言えるだろう。

 キュウタは、ぱんと胸の前で両手を合わせ、すべて丸く収まったことを無言で宣した。


「じゃあ、サザレ。僕はこれからサダナガ様と少し話があるから」


 彼女なりに色々と思う所はあったのだろう。少女はわずかに顔をあげて視線をキュウタに向ける。飼い主の機嫌を恐る恐るうかがい見る犬のような表情である。

 サダナガが空気を察し、つとめて明るく声を張った。


「う、うむ。ではサザレ殿。奥の部屋でしばしお待ち下さい。家人けにんに茶の用意をさせてありますので」


 サザレが再び頭を下げる。


「ありがとうございます。では」


 少女の姿が部屋の外に消えるのを見計らって小さくため息をついたサダナガが自分の喉をさする。

 

「な、何と言いますか、迫力のあるかたですな」


 キュウタもぎこちない苦笑いを返す。


「ははは……ええ、とても頼りになる人です」


 しみじみとこぼれる言葉。

 遠くを見つめるような目になったキュウタに、サダナガは少年と少女の間を繋ぐ『絆』の強さを感じた。

 ふっと口元をほころばせたサダナガがわずかに身を乗り出す。


「ところでキュウタ殿」

「はい?」

「あなたも『タマビト』ですな?」


 ミズホ国において、原初魔法に覚醒した人間をそう呼んでいることをキュウタは知っている。滅多にない、あるいは美しい、そういった意味をもつらしい。


「ええ。まあ……そうですね。失礼ですが、こちらの御家おいえもその血筋ですね?」


 ナタコウジ家が『魔法諸原理』の研究に代々たずさわっていることをキュウタは知っている。当主であるサダナガは当然、魔法の才能が親から子へと継がれるという仮説を承知しているはずだった。

 

「いかにも。ただ私や亡父は違うのです。祖父と、娘がタマビトなのは確かなのですが……どういうことわりなのでしょうな」


 サダナガの瞳がまっすぐに向けられる。まるでキュウタの表情の変化を読み取ろうとでもするように。


 彼がキュウタの素性すじょうや知識に『探り』を入れていることは明白だった。サダナガ自身も意図を隠すつもりはないのだろう。見た目の印象よりもかなり食わせ者のようだとキュウタは思い直す。

 この場で腹芸をするつもりもない。キュウタは正直さで応じることを選んだ。


「僕が知る限りでは、魔法の才能は親から子へ確実に受け継がれます。ただ、『力』が発現するかどうか、あるいはその質や強さは、『運』による部分が大きいようです」

「ほう……なるほど。面白いですな」


 逆にキュウタからも疑問が投げられる。


「ミズホではタマビトは吉事きちじなんですよね?」

「ええ。天からのさずかりものというとらえかたですね。タマビトと認められた者は、寺社に引き取られて神職、僧職にく場合も多いです」


 土地が変われば魔術士に対する扱いも色々変わる物のようだ。ただ、ミズホの現状が必ずしも良いとは断言できない。そうキュウタは思っている。


 恐れられもせず、ただ珍しがられている程度の扱い。それは逆に言えば魔法に大した影響力が無く、社会にも浸透していないあかしではないだろうか。


 ミズホ国は国家としてもまだまだ発展途上である。それでも、ここに魔法研究の根を下ろしておくことは将来的に有益な『投資』であるはずだった。

 キュウタは先ほどの門前での光景を思い出す。少し話題を変えてみたくもあったのだ。


「ところで。ヤコ殿は歳の割にずいぶんと利発に見えましたが」

「恐れいります。まあ親の欲目もありましょうが、読み書きを覚えたのもだいぶ早く、いくつかの書物をそらんじているほどです」


 口元に指をあてたキュウタの目に好奇心の光が宿る。


「それは『魔法諸原理』も含まれていますね?」


 サダナガの表情がわずかにかげる。あまり触れたくない話題なのかもしれない。


「もちろん。先ほどご覧になった通り、娘はタマビトとしての『力』も強いらしく、独学で物騒な術式を組んだりもしています。外では術を使うなと申し付けておるのですが……ときに、キュウタ殿はずいぶんと『魔法』にお詳しいようですな」


 肩をすくめて答えるキュウタ。


「ええ。ちょっと事情がありまして。異国を回りながら魔法学者たちを訪ね歩いているんです」


 あっけらかんと認めたキュウタに、サダナガが意外そうな顔を向ける。

 言葉を一旦切った少年が、思い出したようにふところから本を取り出すと、それをサダナガに差しだした。

 

「お近づきのしるし、というわけではありませんが。どうぞお納め下さい」

「ほう、これは」


 そういって本を受け取り、ぱらりとめくるサダナガの表情が注意深い観察者のそれに変わる。

 

「『魔法諸原理』の写しですか。一応当家の書庫にも……いや、これは違いますな。ところどころ見覚えのない文言が……?」


 キュウタが指を一本立てて漠然ばくぜんと壁の向こうを差す。


「西の学者たちが『魔法諸原理』の内容を独自に研究し、まとめた書物です」


 サダナガが首をひねる。ナタコウジ家の他にそんな酔狂な事をする者の噂は耳にしたことがない。


「はて……『西』といいますと。ツクシのほうでしょうか?」

「いえ、海を渡った大陸の西です。歩いて一、二年ほどでしょうか」


 ぽかんと口を開けてキュウタを見る。せいぜい十七、八にしか見えない少年の言葉にしては少々不釣り合いに過ぎる。


「キュウタ殿。つかぬことを伺いますが、これをミズホの言葉に訳したのは……」

「僕です」


 事実を隠すことにあまり意味はないだろう。ミズホの人間の中では、サダナガこそ魔法について正確な認識を持っている人物の筆頭のはずだ。ナタコウジ家に最大限の支援をおこない、ミズホ国の魔法研究のいしずえを堅固なものにする。

 

 キュウタたちがみやこ周辺のゴタゴタを力で解決したことは、その環境づくりの一環でしか無い。とにかく一日でも早く世を平らかにし、安定的に魔法を研究できる体制を築くこと。


 キュウタとサザレがこの国を訪れた最大の理由は、それなのだから。





 ナタコウジ・エイコは布団の上で体を起こし、開け放たれた障子の向こうの庭を見つめていた。

 空気は冷えつつあるが、体にさわるというほどではない。

 

 くりやの方から聞こえていた物音が少しだけ静まったことにふと気づく。やがて障子がそっと開けられ、椀を載せた角盆を持ったヤコが現れる。

 起き上がっているエイコに気づき、ヤコはほんの少しだけとがめるような口振りになる。

 

「母上、寒うございませんか」


 最近、大人ぶる仕草が増えてきた娘にエイコは柔らかな笑顔で返す。


「大丈夫ですよ。閉めきったままでは気も滅入めいります……良い匂いですね?」


 母親のかんばしい反応にヤコがあどけない笑顔になる。


「今日はかゆを作ったのです。食欲はございますか?」

「ええ、いただきます。ところで、ヤコ。ここ数日、顔を見ませんでしたが」


 ぎくりと背筋を突っ張らせるヤコ。口元がひくひくと不格好な微笑を浮かべる。


「ちょ、ちょっと忙しかったのです」


 場をごまかすように、ヤコが椀をエイコに差し出す。


猪肉ししにくを刻んだものが入っております。せいがつくと聞き、山近くの村で……分けていただきました」


 ちらりと娘を見やったエイコに、ほんの少しの呆れ顔が浮かんだ。ヤコは母親に隠し事をすることの難しさをひしひしと感じている。


 エイコは結局深く問い詰めることはせず、椀を受け取り竹のさじかゆを上品なしぐさで口に運ぶ。その様子をヤコはときめくような面持おももちで見つめていた。

 やがて母親がヤコに向かってぽつりともらした言葉は食事の感想では無かった。


遠出とおでも良いですが、周りに心配をかけてはなりませんよ」


 ぶほっと息を噴き出しかけたヤコが何とかこらえる。くりっとした黒い瞳があちらこちらへと泳いでいる。ヤコは、こわばった笑顔をぎくしゃくとエイコに向けて首をカクカクとかしげる。


「な、何のことでしょう、母上」

「分からなければ、それで構いません。ところで……ナタコウジ家がカガマチ様から御役目おやくめおおせつかったことは聞きましたか?」


 なんとかごまかせただろうかと内心、胸を撫で下ろすヤコ。


「はい。先ほど父上より。ずいぶんと急なお話ですね」


 椀を置いたエイコがヤコに真剣な目を向ける。


「これから色々と忙しくなるでしょう。家を守る者としてヤコも心せねばなりませんよ」


 母親の眼差まなざしに、ヤコは引き締まった面持ちで応えた。


「承知しています。母上こそ御身おんみをおいたわり下さいますよう。これから寒さも厳しくなりますゆえ」


 エイコは優しくうなずき、椀を持ち上げて再び一口味わう。


「なかなか美味ですね」


 母親の言葉に、ヤコはぱっと顔を明るくする。その途端、気がゆるんだのかヤコの腹の虫が「ぐう」と盛大に鳴った。

 みるみる頬を赤くしたヤコを、エイコがくすくすと笑う。


「あなたも食事はしっかりとるのですよ。ほら、一口おあがりなさい」


 エイコが匙にすくったかゆをヤコの口元に差し出す。

 少女は正直、こんな風に子供扱いされるのを好きではなかった。だが誰も見ていないなら別に構うこともないかと、されるがままに口を開ける。


 ヤコの舌にのったかゆあたたかく、ほんの少し塩辛しおからく感じた。




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