第四章 創成の異端者 (終)
議堂には会皇と大槻キュウタ、そしてサザレの三人だけが残っている。
少年と少女の手荷物は返却され、空席の椅子の上に乗せられている。
サザレの刀までもがその横に立てかけられていた。それは会皇の意思表示でもあるのだろうとキュウタは想像する。
U字型の机の横。キュウタとサザレはそこに椅子を置いて座っている。
そして会皇自身も二人と膝をつきあわせるように椅子を動かしていた。白い礼服の裾を払い二人の前に腰を下ろす。
イリユヌス教の指導者というよりは、一人の老人という表情で彼は口を開く。
「君は魔法に強い思い入れを持っている。そこは理解できたつもりだ。だが『目的』がどうしても分からない」
会皇は深い光を忍ばせた目でキュウタを覗きこんだ。
「『何か』を隠しているな?」
どう反応すべきか、キュウタは迷う。
だが不安はない。彼が迷ったときは、いつもその横で道を指し示してくれる一人の少女がいるのだ。
膝の上に手を置き静かに瞑目していたサザレがゆっくり目を開いた。そして彼女はキュウタに向かってそっとうなずく。青い瞳は雄弁に語っている。少年はその意を正確に受け取った。
キュウタは静かに語りだす。
「僕らは二十万年近い時間を生きてきました。そして未来を知る立場でもあります」
会皇の目が険しくなる。彼は教会を守る者として、これまで多くの難局を乗り切ってきた聡明で老練な人物である。少年の言葉の意味と重大性を即座に理解できただろう。
キュウタは軽く視線を伏せたまま言葉を続けた。
「およそ千年後、世界と人間は強大な敵……『魔族』との戦争に突入します。人間が彼らに勝つ手段は『魔法』だけです」
廃墟となった街並みや、そこかしこで無造作に打ち捨てられた人々の骸。忌まわしい光景が少年の脳裏にフラッシュバックした。
一日たりとも忘れたことのない『怒り』が一気にこみ上げ、視界が赤く染まりそうになる。
ふと、そっと暖かい感触が当てられた。
サザレが少年の手に自分の手を重ねている。穏やかな青い瞳が彼を見つめ、心の強張りをほぐしていく。
キュウタは自分の内側を見つめなおすように瞬く。そして彼女に小さくうなずいてみせた。大丈夫、いつものことだと。
ゆっくり息を吐き出し心を落ち着けた。
「人間は魔法を『力』として育てなければなりません。それは僕一人では到底、不可能な事業です」
一旦言葉が切られ、少年の瞳が相手を試すような色になる。
会皇はキュウタの言葉を胸の内でじっくりと検分してみる。まるで狂人の妄想を聞かされたような気分だった。
常識から大きく外れた告白。一笑に付すか、馬鹿にするなと怒鳴りつけるのが普通の対応だろう。
だが会皇の直感は、真実の『気配』を感じ取っていた。
この少年は嘘をついていない、そう思った。
そして会皇は言葉を紡いだ。それは人々や世界を気づかうというより、どこか寂しげな少年の先行きに対する憂慮から出た言葉かもしれない。
「間に合うのか」
「分かりません。ただ、僕らは『未来視』で数多くの歴史の可能性を調査しました」
少年の手が膝の上で握られる。
「その中で、最も早い時代に『魔法学』を『創成』できるのが、今の時代のフィロマ市でした。エルネオ・チェヴール、そして『この歴史』の過去に生きた『偉人』たちの業績の集合。それが最も効率よく魔法学に辿りつく道すじだったんです」
数日前に恐るべき力をもって自分の命を狙ってきた男の名前。そして教義によってあちこちで『異端者』とされている者たちの姿。そんなことを思い出しながら会皇は首をひねる。
「だが、魔法や魔族についてもっと以前から警告しておけば、世間の反応も少しは良い方向に進んだのではないか?」
「人々の行動に影響が生じる規模でそれを行ってしまうと、歴史が『ずれる』んです」
「ずれる、とは……川の本流と支流のような話かな」
会皇のたとえは悪くなかった。
キュウタはうなずいて言葉を続ける。
「特に、魔術士の『家系』への影響が深刻でした」
キュウタの脳裏に今まで出会ってきた人々の顔が浮かんでは消えていく。
「人々が魔法や魔族の知識を得ると、魔術士に対する社会の反応が大きく変わります。魔術士が誰を伴侶とし、どんな子を持つか。そこに影響が出るんです。もし歴史がずれて、エルネオ・チェヴールや他の偉人が誕生しなくなれば、その時点でほぼ『詰み』でしょう」
そして肩をすくめて付け加えた。
「一見、最善に見える選択が簡単に実を結ぶほど、世の中は甘くないようです」
疑うわけではないが、まだ少し理解が及ばない様子の会皇が先日の『事件』について問いを重ねる。
「チェヴールを事件の前に思いとどまらせ、君が直接教会に魔法の価値を説く、という選択もあったと思うが」
少年が頭を振る。
「今後の魔法が『最速』で発展する未来の道すじに、台下への襲撃事件とその『失敗』がどうしても必要でした。申し訳なかったと思っています」
会皇は彼の言葉の『裏』をくみ取る。人、あるいは教会を動かすには『理性』ではなく『恐怖』を用いるのが確実だった。この少年はそう言っているのだろう。
キュウタは視界の端にサザレを捉えながら言葉を続ける。
「サザレの『未来視』は全能でもないし、あらゆる事象を詳細に見通すわけでもありません。ですが、どんなに理不尽な道を選んだとしても、その未来は常に正しかった。僕は彼女を誰よりも信頼しています」
サザレが、にへらっと締りのない表情になって椅子をキュウタの方にぴったり寄せる。少々脇道にそれた発言を自覚し、気まずそうに咳払いをしたキュウタ。少し頬も赤くなっていたかもしれない。
会皇はしばらく考え込んでいた。だが自分に何の答えを出せるのか見当もつかない。
彼は胸のつかえを取るように小さく息を吐き出した。
「私に何かできることはあるかね」
キュウタが一拍の逡巡を置いてから、少しだけ言いにくそうに口を開く。
「エルネオさんの『扱い』についてですが……」
ぽつりと言葉が返された。
「彼は肖像画の製作中に急病で他界した。それでいいだろう」
どこか物憂げな視線は、フィロマ最高の画家を失ったことへの哀悼にも見える。
礼を言うべきか考えあぐねるキュウタ。そんな少年を気にすることもなく、会皇は自分のふところのなかを探りながら尋ねる。
「その少女は鉄でできた盾や剣を切断できる、と聞いたが?」
途端にキュウタの眉根が寄せられ、悪戯をした子供をたしなめるような視線がサザレに向く。ゆるみきっていた顔が一変し、びくっと肩をすくめた少女が亀のように縮こまる。
可愛らしく唇をすぼめて、ぼそりとつぶやく。
「一人も殺してないですよ?」
詳しく詰問するのは後にして、キュウタは会皇に渋々と首肯する。
ようやく目当てのものを探り当てた会皇が右手をキュウタとサザレの前に差し出す。
「これを半分に切れるかね?」
それは一枚の金貨。表面に刻まれているのは聖女イリユナの横顔だ。
キュウタとサザレは顔を見合わせる。小さく肩をすくめた少年は立てかけてあった刀を手に取り、『硬化』をかけつつサザレに渡す。サザレは会皇から金貨を受け取り、手触りを確認してからキュウタにうなずく。
キュウタは『硬化』で宙に小さなV字型の透明な『空気の台座』を作った。サザレは魔力の気配を手がかりにして台座に金貨を載せる。
カチン、と音を立てて空中に金貨が固定される。会皇はその不自然な光景を神妙な顔で見つめた。
サザレがゆらりと立ち上がる。
抜き手も見せぬ、どころではなかった。
瞬きする間もなく完了した抜刀、切断、納刀の流れ。金属の破断音が耳に届いたときには全てが終わっていた。
鏡のような切断面から想像される切れ味。会皇の肝は軽く冷えていた。彼は仏頂面で二つの半月形に割られた金貨の片割れをつまみ上げる。それは心なしか熱を持っているようにさえ思えた。
ぶつぶつと「ちと罰当たりだったかな」などとボヤきつつ、会皇がキュウタに視線を戻す。
「片方は君が持っていたまえ。もう片方は教会が保管し、今後代々の会皇に継承させる」
言われるままもう一方の金色の半月を手にとったキュウタが小さく首をかしげる。
金貨をふところにしまって、会皇が言い含める。
「『割符』だよ。もし、いつの日か教会の力が必要になったら、それを持ってその時々の会皇を訪れたまえ。最大限の協力をさせるように計らっておく」
ぽかんとしつつ、少年はぎこちなく頭を下げる。
「あ、ありがとうございます」
「……そんなに意外だったかね?」
「ええ、まあ」
会皇が腕組みをして歯痒さを吐き捨てるように言葉を出す。
「シンプランツァほどではないが、私も人を見る『目』は多少あるつもりだ。最近少し自信が揺らいだがな」
くすりと微笑んだキュウタが立ち上がる。
「では、そろそろ僕らは行きます。色々とご迷惑をおかけしました」
「まったくだな。今後のことを考えると頭が痛くなりそうだ」
しみじみとしたボヤきに、キュウタが苦笑いになる。
会皇がため息をつく間に、二人は荷物を手に取り白い外套を手なれた動作で身にまとう。
未来を示す驚嘆すべき情報。その数々に疲れた老人の視線が二人を見上げる。
「君たちは、これからどうするつもりかね」
「できることをやるだけです。零を一にする仕事は終わりました。一を十や百に増やすには別方向の努力が必要でしょう」
キュウタはきっぱり言って相手に頭を下げる。
そして身を翻し、扉の方へ一歩進んだキュウタとサザレ。
彼らの背中に会皇の声がかけられた。
「一つ教えてくれ。君は神を信じているのか?」
キュウタが立ち止まり足元に視線を落とす。
彼は決して振り返らなかった。だから、その言葉がどんな表情から発せられたのか会皇には分からなかった。
「もちろん信じています。でも、僕が知っている神は、もうどこにもいません」
そう言い残したキュウタはサザレとともに議堂から出て行った。
◇
数ヶ月後、イリユヌス教最高指導者『会皇』の名において正式な声明が出される。
『異端者』とされている人々が持つ力は、神を真似る奇跡などでは『無い』、という解釈が明確になされた。
彼らはむしろ神から試練を与えられた側であるという、いかにもとってつけた解釈が付け加えられることになる。
そしてフィロマ教会は声明の中で『異端者』への弾圧行為は厳に慎むように求めた。
だが、いくつかの地方領主や貴族の中には、異端者の排斥を強く主張し、弾圧を続けるものが少なくなかった。
やがて奇妙な出来事が起き始める。
異端者弾圧を支持する有力者、その中の数名が数日のあいだに不審な死を相次いで遂げたのだ。
ある者は屋敷奥の寝室で首と胴を切り離され、ある者は棒状の何かで心臓を抉りぬかれて絶命していた。
噂と得体のしれない恐怖が各地に広まっていく。
そしていつしか教会の意向に強く反発する者はほぼいなくなった。
教会が暗殺者を雇ったのではと推測するむきもあったが、真実を確かめることは誰にも出来ない。
◇
太陽がだいぶ傾き、一日の終りが少しずつ近づいている。
広々とした庭を子供たちが駆けまわっている。およそ十歳前後の子が多数を占めるだろうか。
彼らは活発な声を上げて思い思いの遊びに夢中になっている。
庭を見下ろす石造りの二階建ての建物。派手さはないが造りはしっかりした実用性の高い設計だ。
その扉から一人の少年が現れる。
庭に踏み出した少年の足に、よそ見をしながら走っていた七、八歳の少女がびたんとぶつかる。
尻もちをつき、突然の衝撃に目を丸くした少女に手が差し伸べられる。
「ほら。ちゃんと前見てなきゃダメだよ」
少女はカクカクとうなずき、少年の手を取る。立ち上がった彼女は相手の手を握ったまま、少年を見上げた。
「おにいちゃんも、マホウ使えるの?」
少年が目を丸くして微笑む。
「すごいな。よく分かるね」
頭を撫でられ、ほめられた拍子に笑顔があふれだす。
少女は「うん」と大きくうなずいた。もっと少年と話をしてみたいとばかりに、くりくりとした瞳がさらに輝く。
その時、横から声が飛んできた。
「おーい、帰るぞー」
鋭敏な反応で少女が声の方へ体を回す。その先には大柄な体格の男性が手を振っている。
少女のテンションが一気に上がる。
「あ、パパ! パパー!!」
そして少女は少年を両手でぐいぐいと引っ張りながら父親の方へ向かう。それに付き合う少年もずいぶんとお人好しなことだ。
二人の繋がれた手を不審げに見る父親に少年が苦笑いで応える。
「パパ、このおにいちゃんもマホウ使えるって!」
父親が目を丸くして少年を見下ろす。肩をすくめた少年。
そして父親は娘にせがまれるまま肩車をしてやる。ぺちぺちと顔中を触る娘を御しながら彼が少年に尋ねる。
「キミ、この『学校』に通っているのかい?」
白い外套の裾を直しながら少年が答えた。
「あ、いえ。ちょっと知り合いの知り合いが働いているというか……一応、僕も教会認定の『魔術士』ですけど」
「ふーん」
あまり興味なさげに父親は生返事をする。
少年は父親の顔の上ではしゃぐ少女をにこやかに眺める。
「お嬢さんはずいぶん鋭い『感覚』をお持ちですね」
出し抜けに問いかけられ、目をぱちぱちせた父親がとりとめない声色で返す。
「ん、ああ……そうみたいだね。私には何のことやら分からんが」
「ご家族の中ではお嬢さんだけが魔法を?」
父親が困ったような笑顔で返す。
「まあね。もともと田舎のほうに住んでたんだけど、ある日突然この子が……」
そこまで言った時、父親の頭の上に少女が手をかざす。同時に小さな指先がぼんやりと『輝き』を放ちだす。
頭の上でぶらぶらと光が揺れる。そのせいで父親の顔が、大昔に廃墟で見つけた図鑑の深海魚の写真を思い出させ、少年は吹き出しそうになる。
きゃっきゃとはしゃぐ少女を呆れ混じりの笑顔で見る父親。
「ま、こんな感じになっちゃって。田舎はこういうのを白い目で見る人が多くてさ。ちょっと肩身が狭くなってね……」
少年は頭をぽりぽりかきながら頷いた。
「そういう場所はまだ多いみたいですね」
「昔はもっと酷いところもあったって聞くから、まだ恵まれてるほうさ」
父親はそう言って庭の奥の建物に目をやる。
「だけどフィロマ市なら、こういう『力』を持った子に教育を与えてくれると聞いたんだ。だから思い切って家族で越してきたってわけさ」
目を細めて頭の上の娘を見やる。
「教会には仕事も世話してもらえたんだ。先々代の会皇さまには何とお礼を言ったら良いのやら」
しみじみと語る父親の頭の上で、少女は相変わらず『原初魔法』を弄んでニコニコとしている。
笑顔と魔法の『光』に、少年は目を奪われる。
少女の『光』は未来を照らしているように感じた。
少年は今まで多くの人の人生を歪ませてきた。本来そんな自分に未来を語る資格があるとは思っていない。
世界を救って償いになるとも思わない。
結局どこまで行っても身勝手な『復讐』のためでしかないのだから。
だがせめてその先にある未来だけは、人々にとって意味あるものであってほしい。
そう願わずにいられなかった。




