第四章 創成の異端者 (10)
にぶい音が廊下に響く。
最後の一人の顎に、真下からサザレの蹴りが叩き込まれた。牛に突き上げられたような重い衝撃。少女の小柄な体から放たれたとはとても信じがたい。
大柄な男の体がふわりと浮き上がる。この時点で彼の意識はぷつりと断ち切られていた。
サザレが両手に持つ二刀の刀身に『汚れ』はついていない。
攻撃の結果を確認することなく、少女は白い外套を翻し背を向ける。相手が床に倒れた時には、サザレの刀はすでに鞘に納められていた。
廊下を埋め尽くすように転がる衛兵たち。
もちろん死んだ者は一人もいない。サザレの『手加減』の結果、彼らには苦痛がもたらされた。
失神した者はある意味で幸運かもしれない。
鎖骨や肋、あるいは手足を砕かれた者たちのくぐもった呻き。まるで地獄の亡者の恨み節のようだ。
周囲には刀身を真ん中から斬り落とされた剣や、真っ二つに両断された金属製の盾の残骸などが散乱している。
サザレは少し前から『戦い』が終わったことに気付いていた。
魔力の発現する気配の消失。
謁見室から壁越しに伝わっていた嵐のような唸りも今や止んでいる。
戦いの結果がどうなったか。
サザレがそれを『目』で確認する必要はない。
歴史の『分岐先』。
それが確定すれば『未来視』は即座にそれを感応できる。彼女にとって、誰が生き、誰が死んだかは火を見るより明らかだった。
◇
魔法。
それは本来、人の歴史に現れることの無いイレギュラーな存在である。世界から巧妙に『隠蔽』されていると言ってもいい。
魔法を学問として『創成』する。
その前提として必要な知識と技術は広い範囲にわたる。またそれらの多くは既存の学問から派生するものでは無い。
平凡な才能がどれだけ集まって悠久の年月を努力しようが決して届かないところ。そこに魔法の理は隠れている。
だが時として、飛躍的な発想をもたらす人物が世界に出現する。
『偉人』である。
超人的な洞察によって、世界の陰に潜む『法則』を理解する人々。彼らがその結論に至るプロセスは凡人の想像力をはるかに超える。
たき火の『炎』、神秘的な『数』、身から湧き出る『歌』。
魔法へ続く道は、本来なら見すごされる場所に隠れている。彼らはそれを直観的に発見するのだ。
だが偉人は極めて希少な存在である。
なかでも『魔法学』の成立に貢献できる偉人は更に少ない。
彼らが『適切な時代』に誕生し、かつ『適切な業績』を残せる歴史。それが自然に実現する確率は非常に低い。
不自然な歴史を作り出すため、『歴史改変者』は時に不条理で残酷な選択を強いられる。
世界と人類を本来ありえない歴史に誘導する、針の穴に糸を通すような道のり。
そこに個人的な感傷の入りこむ余地がどれだけ残されているのだろうか。
◇
『宮殿』において魔術士同士の戦いが行われてから数日が経過した。
フィロマ教会が聴聞会などに使用する『議堂』と呼ばれる部屋。それは宮殿の深奥に位置している。
室内中央には、ゆるやかな水平U字型に湾曲した長い机が置かれている。そこには十数人の人々が席についていた。
U字の頂点にあたる席には『会皇』、その左右には会皇を補佐する『灌教督』の面々。
彼らこそ大陸西域の最大宗教勢力、イリユヌス教の方針を決定する要人たちである。
そしてこれだけの顔ぶれが一堂に会するのは極めて異例な事態だった。
その事態をもたらした張本人。
それがここにいる。居並ぶ聖職者たちの視線が集まる中央で、二人はのんびりと佇んでいた。
大槻キュウタとサザレは簡素なシャツとズボンを身につけている。もちろん武器は取り上げられていた。
二人は聖職者たちの責めるような視線をどこ吹く風とばかりに受け流している。
この日、衛兵や一般の聖職者は議堂に近づくことを禁じられていた。彼らが話し合おうとしている事は決して外に漏らされてはならないのだ。
会皇の隣に座っているのはピエナート・シンプランツァ灌教督である。彼は手元の紙に落としていた視線をゆっくりと上に戻した。
たるんだ頬に挟まれた口。それは普段にもまして神経質そうに結ばれている。
シンプランツァはどこか苦々しさを漂わせる声をキュウタに向けた。
「君の書簡を読んだ。『魔法』と『魔術士』、その概要。実に興味深い内容だ」
少年は軽く会釈する。
「恐れいります」
シンプランツァが露骨に不機嫌な目つきになる。
「必ずしも褒めているわけではない」
「……失礼しました」
気まずそうにキュウタが苦笑いする。
シンプランツァのもう一方の隣席、でっぷりと太った別の灌教督が指をぴんと立てて、まわりの注意を集める。
「いくつか質問をしたい。構わないかね?」
キュウタは相手の方に向き直る。
「ええ。喜んで」
灌教督は数枚の書類を眺めながら籠った声で問いかける。
「君は写本工房で働いていたそうだが」
「ええ。西区の方です」
「ここ数年、エルネオ・チェヴールが個人的に書いて表には出さなかった本……『魔法諸原理』を何度か翻訳したな?」
「はい」
もともと細い目が、さらに糸のように鋭い光でキュウタを睨めつける。
「翻訳先の内訳を説明できるかね?」
キュウタは指のペンだこを無意識にいじりながら記憶をたぐり寄せる。
「十三種類の言語、総数でいうと六十冊前後です」
室内がざわめく。隣同士、ひそひそと言葉を交わし合うものもいる。
質問者はしばらく口元をきつく結んでいた。彼はやがて一冊の本を机の上に立て、表紙をキュウタの方へ向けてみせる。
「我々はチェヴールの邸宅……失礼、『元』邸宅を調べた。だが本はこれ一冊しかなかった」
キュウタは表紙を一瞥してから首肯する。
「原本ですね。装丁に見覚えがあります」
「では『写本』はどこにいった?」
「存じません」
淡々と返すキュウタ。
一方、その太った灌教督は声に苛立ちを募らせていく。顔にも朱がさしかけているように見えた。
「チェヴールは顔が広く、貿易商との交流もあった」
「それも僕の与り知らない部分です」
灌教督は自分の言葉に合わせて机の上を指で叩く。低い声音は腹の底から響き出て、一切の妥協を認めない意思のあらわれにも思える。
「あの男は、どこの国の誰に、どれだけの魔法の知識をバラまいたのかね?」
キュウタは半眼になり、相手の視線を真正面から受け止めた。
「存じません」
ため息をつくような沈黙が立ちこめる。
最前の質問者の隣に座る、痩せぎすの灌教督が軽く身を乗り出す。上品な発声が育ちの良さをうかがわせる。
「君は書簡の最後をこう締めくくっている。『魔法に対抗できるのは魔法だけである』、と」
キュウタが軽く右腕を押さえる。まだほんの少しだけ痺れが残っているような気がした。
「ええ。失礼ながら会皇台下とシンプランツァ灌教督猊下には、ある程度ご理解いただけていると思います」
質問者がキュウタの表情を探るように視線を尖らせる。
「では、『他国』や『異教徒』が魔法を技術として実現させる可能性はあると思うかね?」
「『魔法諸原理』とそれを読み解く知性を持つ者が揃えば可能でしょう。残念ながら僕には無理ですが」
そう言ってキュウタは申しわけなさそうに肩をすくめた。
痩せぎすの灌教督は最後に、皆が最も気にかけている質問を口にする。
「魔法を『武器』として使う者が兵となり、戦に参加する日は来るか?」
返すキュウタの声色は動揺の欠片もなく平坦である。
「来ないと考える理由はありません」
沈黙が議堂に満ちる。
ちらちらと互いに視線を交わしあう彼らが何を思っているのか、キュウタには分かっていた。隣に立っているサザレが退屈そうに欠伸を噛み殺す。
やがてシンプランツァが再び口を開く。
「君は教会に対して、魔法の才能を持つ者の保護と、魔法の研究機関の創設を推奨しているな」
少年の眼差しに真摯なものが宿る。
「はい。それは教会の御判断にお任せします」
少年がそのつもりなら力づくで強制できる、そう言外に匂わせていることをこの場にいる全員が理解している。
シンプランツァが心を落ち着けるように大きく息をついた。
「君は……自分のしたことを理解しているのかね」
「僕は会皇台下をお守りしただけです」
白々しく答えた少年に、シンプランツァは叩きつけるように言い放つ。
「違う。君は世界に『呪い』をかけたのだ」
キュウタは押し黙ったまま、相手の言葉に棘が混じっていくさまを見つめる。
シンプランツァのまぶたがぴくりと震えた。
「……見事だ。君は完全にやってのけたよ。フィロマ教会は魔法の恐ろしさを十二分に理解した」
彼はキュウタの平静な佇まいに、胸のむかつきを感じ始めている。
「我々は『異端者』……いや『魔術士』か。彼らの保護と、魔法の研究に力を割かざるをえない。誰に強制されるわけでもなく『自発的』にな」
シンプランツァは隣の灌教督の前に置かれた本を取り上げ、少年に向かって突き出した。
「もはや『魔法諸原理』の拡散は止められん。我々と対立する他国や異教徒が魔法を『武器』とする可能性を見過ごすこともできない」
彼は忌々しげに表紙を睨みつけてから、本を机の上に戻して脇へ押しのける。視界に入るのもうんざりだと言わんばかりに。
「魔法の存在とその可能性を知った国のすべてが、私たちと同様の疑心暗鬼におちいるはずだ。やがて際限のない『競争』がはじまる」
彼は体を乗り出し目をぎらりと見開いて、さらに言葉を接ぐ。
「敵よりも強い魔法を見つけ、敵より多くの魔術士を育てることが至上の命題となるのだ。外敵から自分を守るために、今後の教会は必死になって『魔法と魔術士を育てる』だろう」
言葉にも、うっすらと怒りが混じりはじめている。
この男は心の底から秩序を重んじ、平和を愛する人なのだろう。そうキュウタは思った。
シンプランツァは口にするのも汚らわしいと言わんばかりに顔をゆがめる。
「君の本当の目的は『これ』だったのだな」
ずっと神妙な顔で聞いていたキュウタの唇に、自嘲するような微笑みが浮かぶ。
これでいい。これで大きく近づいたのだから。
『復讐』というゴールに。
重苦しい空気があたりを包み込む。
誰も身じろぎ一つしようとせず、めいめいの思索に入り込んでいる。何を考えているかは人それぞれだったが一つだけ共通の認識があった。
世界が変わろうとしている。それだけは間違いないように思えたのだ。
やがて、ずっと黙りこくっていた会皇が静かに口を開く。老人の物静かな視線は、ここまでのやり取りの間ずっとキュウタだけを観察していた。
「灌教督は全員退席してくれ。彼らと個人的に話をしたい」




