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第四章 創成の異端者 (5)

 ピエナート・シンプランツァ灌教督かんきょうとくがロウソクに火をともす。ぼんやりとしたオレンジ色の光が壁と天井にゆらゆらと影を作る。

 シンプランツァは寝台しんだいに腰かけてため息を付いた。


「入りたまえ」


 大槻キュウタが窓から室内をのぞきこみ軽く会釈えしゃくをした。

 フィロマ市の夜景を見下ろす窓の外から、ゆっくりと『空中』を歩いて部屋の中へと進むキュウタ。

 彼は『空気』を原初魔法で『階段状』に『硬化』させ、宮殿の外壁沿いを徒歩で登ってきていたのだ。


 床の上に降り立ったキュウタの顔を見たシンプランツァ。彼はたるんだ頬からアゴをするりと手ででおろす。


「昼間、聖堂でエルネオ・チェヴールと一緒にいた少年だな」


 キュウタは両手を開いて外套マントの前を広げ、武器のたぐいを持っていないことを示す。


「ええ。キュウタといいます」


 しげしげと少年を眺めまわすシンプランツァがぽつりと漏らした。


「この国の人間ではないな」

「はい……なぜ僕の『力』を見て、人を呼ばなかったんです? 悪魔呼ばわりでもされるかと思ってましたが」


 廊下に通じる扉に視線をやったキュウタが首をひねる。手間がかからなくて助かるのだが、正直大騒ぎになることも覚悟していたのだ。

 シンプランツァは、ふんと鼻を鳴らし腕組みをする。


「もし君が私を殺すつもりなら、それを防ぐ手立ては無い。そうだろう?」

「まあ、そうですね」


 肩をすくめたキュウタにシンプランツァが椅子をすすめる。素直に腰をかけた少年のしぐさから、彼は何かを読み取ったような表情を浮かべる。


「なら無駄にあらがっても仕方がない。それに、顔を隠さず堂々と現れたということは、話し合いの余地はあると見たがね」


 キュウタは少しだけ、やましさの残る微笑になった。


「ずいぶんあっさりと僕を信用するんですね」

「灌教督という地位に辿たどりつくまでには色々苦労もあった。人を見る『目』が自然とやしなわれるのだよ」


 どことなく疲れを見せる初老の瞳に、キュウタが苦笑いする。シンプランツァは礼服のえりもとをゆるめて小さく息を吐き出した。


「何か私に聞きたいことがあるのかね?」


 真面目な表情になったキュウタが単刀直入に言葉を紡ぐ。


「エルネオさんの『化けの皮』とは、どういう意味なんです?」


 少々面食らったように目を丸くするシンプランツァ。その顔が当惑から納得に変わっていく。


「……うむ? ああ、そういえば昼にそんなことを言ったかな。多分に憶測を含む話だが、それでもいいかね?」


 真剣味を匂わせる問いかけに、キュウタが小さくうなずく。シンプランツァが慎重に言葉を選びだした。


「エルネオ・チェヴールは、神の奇跡を真似まねる『異端者』だ」





 ぱらりとページをめくる音は酔客たちの喧騒にかき消される。

 

 エルネオ・チェヴールはひざの上の本を読み進めながら、酒場のすみでワインにちびちびと口をつけていた。そっと杯を置き、黒いあごひげについた酒のしずくを指でぬぐう。

 

 彼はこうして人混みのなかで読書にふけることがある。時には静かな環境よりも、こういう騒がしさのなかに身を置いた方が思考に集中できる気がするのだ。

 今夜読んでいるのは『数』についての書物だ。そこに記された論理の数々は、数ヶ月前から彼の心をつかんで離さない。エルネオは自分の目指す『答』の手がかりがここにあると確信していた。

 

 不意に店内の一角がにぎわいはじめる。ひときわ大きな歓声が上がった。


「いよっ! 待ってましたっ!」


 喝采の中心にいるのは二人の男女。歳の離れ具合から見ると親子だろう。壮年男性はリュートを片手に弦の張りを確かめている。隣に立つ少女が喉慣らしといった風情ふぜいで、低くゆるやかに声を伸ばす。


 野次馬が打ちはじめた手拍子の裏を取るように、リュートがかき鳴らされる。少女の澄んだ声がそれを追いかけるように旋律を響かせはじめた。あちこちの酒場で耳になじんだ、古い民謡だった。数百年も昔から多くの国で歌われているものだ。意味の通る歌詞を持たず、どこで生まれたのかも定かではない。


 だが、歌う者によっては不思議な魅力を聴衆に与える音楽だ。雄大な空や大地を想像させる旋律が人の心をとらえている。

 エルネオはつま先でリズムを取りながらその歌声に耳を傾けていた。だが意識はページの上を丹念になぞっていく。

 

 その瞬間、歯車が噛み合うような感覚がエルネオの心を貫いた。


『見つけた』。直感がそう告げる。

 手の中の本と、歌う少女をせわしなく見比べた。


 茫然自失と歓喜と興奮が一気に感情として流れこむ。

 本能的にカバンの中に手を突っ込む。引っ張りだしたスケッチ用の紙束をテーブルの上に広げてペン代わりの木炭を走らせる。少女の歌声の音節を聞いた通りに書き取り、その隣に数字と記号を併記する。

 

 ひざの上に置いた本をめくりながら、さらに作業を進める。氷の中に封じ込まれた彫刻を削りだすよりも容易な作業だ。一つの結論が次の仮定を呼び起こす。全てはつながっている。

 夢ではないかと疑うほど、明快な構造がエルネオの前に姿を現しはじめた。恍惚とした吐息が唇からもれる。


「ふふっ……」


 何千年も前の『数』に対する考察を記した異国の書物。

 数百年前の、誰とも知らぬ者が作った古い民謡の歌詞。

 一見なんの関係もないこの二つが、論理的に一切の矛盾なく関連付けられた。今日、見つけたものは巨大な体系のごく一部でしかない。だが確実に世界の『法則』を記述するものだ。

 

 これだ。


 これこそが探し求めていたものだと確信する。エルネオは髪を両手で鷲掴わしづかみ、感極かんきわまった顔であたりを見回す。

 歴史的な偉業がこんな酒場の片すみで生まれたのだ。思わず笑いがこみ上げてくる。


「はっ……くくっ、ふはははっ」


 隣のテーブルの客が怪訝けげんそうな顔でエルネオを見る。そんなことにはお構いなしに、彼は喜びに打ち震える。

 神の奇跡を真似る、異端の行為として忌み嫌われている『力』。

 だがそれは奇跡でもなんでもない、自然の摂理に基づいたものだ。以前から直感的に分かっていた。ただ、それを証明する方法が無かったのである。


 そして今夜、エルネオ・チェヴールはそれを見つけた。

 この概念は、人の新しい世界を切り開く可能性を持っている。人を迷信から解き放ち、理性とともに秩序ある世界へと導く力になるはずだ。

 

 有史以来、世の人々のなかに時折ときおり出現する奇妙な『力』。それは今日、理解不能な怪奇現象というせまわくから脱出した。

 

『学問』としての『魔法』。

 その第一歩を、人類は広大な海原うなばらへとぎだしたのだ。





 シンプランツァの横顔がロウソクの炎に照らされている。

 垂れ下がった頬の皮膚が深いしわを刻む。寝台に腰かけた彼の瞳は、正面の椅子に座るキュウタの顔に向いていた。


「三十年ほど前のことだ。とある地方領主の一家が盗賊団によって殺害され、屋敷ごと焼き払われた。当時としては珍しい話でもない。いくさや凶作の続いた時期だったしな」


 黙ったままうなずくキュウタ。

 シンプランツァは言葉を続ける。


「だが、これには『裏』があったと私は考えている。実はくだんの領主には対立関係の貴族がいてな。その貴族が『狂信的』なイリユヌス教徒の民衆を扇動せんどうして、領主を襲わせた可能性がある」


 キュウタが視線をめぐらせて首をひねる。無条件に信じるのも危険に思えたのだ。


「それは信憑性しんぴょうせいがある話なんですか?」


 シンプランツァは自分自身を指差した。


「私は教会側からの調査立会人として事件の解明に関わっていた。あちこちから集めた証言を取りまとめる立場にあったのだよ」


 キュウタは半信半疑ながらうなずいて、片手を振って無言で続きをうながす。シンプランツァが人差し指を立てて話の要点を強調する。


「民衆を動かすための『口実』に使われたのが、領主の一人息子だ。息子は五歳あたりから奇妙な『力』を使っていたと言われている。指先からぼんやりとした『光』をはなっていたそうだ。実際、土地の住民に目撃者も多かった」


 キュウタは長い年月のなかで多くの魔術士を目にしている。そして彼らが原初魔法に覚醒する時期は五、六歳前後が多かった。おそらくその息子とやらも魔法の才能を持っていたとみて間違いないだろう。

 原初魔法を手にした人間への反応は国や文化によってさまざまである。だがこの場合はあまり好ましい方向には働かなかったようだ。キュウタは何が起きたのかを想像しながらゆっくりとうなずく。


「つまり信仰心を利用して、領主一家を『異端者』だと吊るし上げ、私刑にかけたと?」

「うむ。ただ、屋敷の焼け跡からは一人息子の死体だけが見つからなかった」


 じっと向けられるシンプランツァの視線。その意味をキュウタは理解した。


「その一人息子がエルネオ・チェヴールだ。そう言いたいんですね」


 シンプランツァが少年を見据みすえたまま黙りこむ。彼の心内こころうちで何かがぶつかり合っているようにキュウタは感じた。やがてふっと肩から力を抜いたシンプランツァが視線をわずかに伏せる。


「証拠はない。だが、エルネオ・チェヴールは元々身元があいまいなところがあってな。幼少の頃にフィロマ市の商人、チェヴール家に養子として引き取られた書類があいつの最初の記録だ。それは領主一家が襲われた時期と一致する」


 キュウタはシンプランツァを見つめた。少年の視線の裏にはどこか品定めするような色が浮かんでいる。


「教会は彼を危険な人物だと思っているんですか? たとえば……イリユヌス教に恨みを持ち、教会に対して害を与える男かもしれないと?」

「分からん。だが、気になる。あいつには底知れない『何か』を感じるのだ」


 シンプランツァの不安。彼が言うところの『人を見る目』が察知したものなのだろう。

 そしてそれが正しい感覚であることを、キュウタはサザレの『未来視』によって知っている。

 キュウタは決断した。


「シンプランツァ灌教督。提案があります」





 キュウタがエルネオ・チェヴールの邸宅に戻ったのは真夜中すぎのことだ。


 足音を殺しながら扉を開け、そっと部屋に入ったキュウタ。

 サザレは寝台の上に正座して瞑目めいもくしていた。少年の気配にゆっくりと開かれた瞳。青く澄んだ視線がキュウタに向く。

 彼は寝台に腰掛けると、ぽつりとつぶやいた。


「教会と取り引きをしてきたよ。しばらくは大丈夫だと思う」

「はい。歴史の道すじに、ところどころ変動が生まれています」


 サザレには説明する必要もないのだろう。キュウタの行動の結果が歴史にどう影響を与えるのかは、彼女の『未来視』で確認できるはずなのだから。

 キュウタはちらりとサザレを見る。


「そっちは何かあった?」

「つい先ほど、『魔法の発展』に強くつながる業績が歴史に『定着』しはじめました。おそらく、エルネオ様が『見つけた』のだと思います」


 少年は長く息を吐き出して、どさりと体を寝台に横たえる。ついにここまで来たのだ。ずいぶん長い道のりを歩んできたように思う。


 今からが正念場だ。残された時間は、およそ千年というところか。

 おそらく文字通り、時間との戦いになるだろう。魔族が攻め込んでくる時までに、どれだけ効率的に魔法の技術を進化させ、世界に広めていくか。自分たちの力では直接それに寄与できないのがもどかしいが、こればかりは仕方がない。

 キュウタたち自身は、魔法を理論化し進化させるための研究者的才能を持っていないのだから。


 サザレが正座のまま、横たわるキュウタの髪をやさしく手ででる。彼は二十万年近く積み重なった疲れがやわらいでいくような気分を味わっていた。

 ささやくようなサザレの声が、キュウタにそっとかけられる。


「エルネオ様が『異端者』として教会に裁かれ、『処刑』される未来は『消えました』」


 少年は靴を脱ぎ、寝台の上にごろりと全身を寝そべらせた。サザレもそれに寄り添って体を横にする。

 キュウタが天井を見つめた。


「シンプランツァ灌教督は約束を守る人ってことか」


 安心するように一息つくキュウタ。そこだけが気がかりだったのだ。体から力を抜いたキュウタの腕にサザレがしがみつく。彼の肩口に顔をうずめた少女が静かに告げた。


「ただし今後十年ほど、私たちの行動範囲が制限されることになります」


 キュウタはサザレの体を抱き寄せる。少年のあたたかな態度にサザレは寂しげな笑顔でこたえる。彼がこんなふうに彼女を気づかうのは、心の奥に何かを隠している証拠なのだ。二十万年近く一緒にいれば嫌でも分かってしまう。

 何もかもを受け入れる覚悟が少年の声にこめられている。


「分かってる。エルネオさんの様子を見ながら、しばらくフィロマで暮らそう」


 サザレはキュウタの腕をぎゅっと強く抱きしめる。彼のかかえているものを、少しでも自分に分けてほしいと心に思う。だが、この少年はそんなことを口が裂けても言わないだろう。


「キュウタがいいと思うようにして下さい。私はキュウタについていきます」


 芯の通った少女の言葉に、キュウタは思わず彼女と視線を合わせる。すぐ目の前にあるサザレの美しい顔に見入みいった。二人の鼻先は軽く触れあい、唇どうしも申しわけ程度にしか離れていない。


 窓からさす星明かりのなか、キュウタはサザレの存在を強く感じていた。

 求めればきっとサザレは受け入れてくれるだろうと思う。だが、それをしてしまえば自分は弱くなってしまう。それだけは絶対に認められない。


 少女の優しさに甘え、復讐の炎を少しでもかげらせることは出来ない。サザレに『不老』という呪いにも似た宿命を負わせてしまったのは自分なのだ。たとえ彼女が自分と今以上に深い結び付きを望んだとしても、それにただ流されることはしたくなかった。

 何があっても最後まで復讐を貫き通すことが自分の義務だと、彼は信じている。

 だからキュウタは、これだけを言って目を閉じる。


「うん。ありがとう」


 全てが終わった時には、嘘偽うそいつわりなく自分の心を彼女に伝えたい。

 今、彼が心の中で誓えるのはそれだけだった。



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