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第四章 創成の異端者 (4)

 フィロマ市の中央にそびえる『宮殿』に向かい合うように、その聖堂は建っている。

 そして聖堂の中、二人の男は言葉を交わすどころか、視線を合わせる気配すらない。

 

 エルネオ・チェヴールは職人たちの親方らしき男と図面を見ながら作業の方針について話し合っている。

 その反対側の壁際に立つのはピエナート・シンプランツァ。彼は周囲にしたがえた数人の若い修道士へ、工事の進み具合について色々と質問を投げていた。上質な紫の礼服はこの作業現場には少々場違いな色合いである。


 サザレは作業用の足場の間から、壁や柱に刻まれたレリーフを物珍しそうに見学している。

 大槻キュウタは、エルネオとシンプランツァの間にある溝のようなものの理由を想像していた。するとそれを察したかのように、隣に立っていた男が口を開く。


「あの二人は相変わらずだなあ」


 キュウタの横に立っていた青年が苦笑いでつぶやく。さきほど紹介された、エルネオの工房で働く弟子たちの一人だ。

 エルネオとシンプランツァを見比べながら、キュウタが小声でたずねる。


「あちらは教会のかたですよね? たしか、灌教督かんきょうとくって言ってましたけど」


 筒に丸めた図面をいくつも脇に抱えた弟子が頭をぽりぽりとかく。なかなか人がさそうな顔つきであり、ついでに口も軽そうな男だ。


「ん? ああ、シンプランツァ灌教督のことか。『灌教督』ってのは、イリユヌス教の最高指導者である『会皇かいおう』さまを直接補佐する人。とっても偉い役職だよ」

「へえ……それがまたどうしてエルネオさんとあんなふうに?」


 弟子は肩をすくめて困り顔になる。


「五年くらい前かなあ、先生と灌教督が、教義の解釈で揉めたことがあってね」


 眉をひそめるキュウタ。

 エルネオが色々と手広く仕事をしているのは、少年も何となく理解できつつある。だが、さすがにそれは彼の人物からは畑違いの仕事に思えたのだ。


「教義の解釈……? エルネオさんってそんな仕事もやってるんですか?」


 弟子はバツの悪そうな顔で、筒にした図面をメトロノームのように振る。


「いや、違うんだよ。以前、先生が『人体』について本を書いたことがあるんだ。生きてる人間だけじゃなくて、解剖死体や、骨の構造をスケッチしてまとめたやつ。実は俺がモデルになったページがいくつかあるんだぜ」


 自分の体を上から下まで指差して弟子がおどけた顔になる。


「で、絵だけじゃ味気あじけないって、先生は色々な解説書きみたいなものも付けたんだよ。その中の一節で、人間の特別な『力』についての考察が、教会から警告を受けたんだ」

「特別な力……ですか?」


 弟子はにやりとして、手をキュウタの顔の前にかざしてみせた。


「知らないかな。手から火を出したり、水を凍らせたりする人のこと」


 目をぱちくりさせたキュウタがゆっくりとうなずく。


「ああ……話には聞いたことが。たまにいるらしいですね」

「そうそう。で、教会は明言こそしてないけど、その力をよく思ってないらしい。奇跡を真似まねる行為だから、って」


 キュウタは先日の街での光景を思い返した。


「『奇跡は神のみが与える』、でしたっけ?」

「お、異国の人にしては、よく知ってるじゃないか」

「このあいだ道で説法してる人を見かけたんです」


 ああそうかと、弟子がうなずく。


「要するに先生はそれとまったく逆な考えを、本の中で書いちゃったのさ。あれは奇跡などではなく、もともと人が持つ力である、ってね」


 キュウタから見たエルネオの人物像とよく親和する話だ。振るまいや言葉の端々はしばしから見るかぎり、彼はあまり信仰心にあついようには思えない。教会の意向など石ころほどにも思ってない、と言われても不思議ではなかった。


「なるほど……その本は結局どうなったんですか?」

「なんとか世には出たよ。ただ、問題の部分は削除した。教会は本そのものの出版を止めたかったみたいだから、痛み分けってとこかな。まあ、おかげでちょっと話題になって結構売れたんだぜ」


 目を閉じてうっとりとする弟子。よほどいい稼ぎになったらしい。なんとも分かりやすい男である。

 キュウタは相変わらずピリピリとした空気をただよわせるエルネオとシンプランツァの距離に目を向けた。それはまさに歩み寄るつもりの一切ない、対立する思想の間の距離に思える。

 口元に指をあてたキュウタが小さくため息をつく。


「教会と個人がやり合うって、なんか凄い話に聞こえますね」


 弟子が口を引き締め、まるでことのように語る。


「ほら、うちの先生、あれでもフィロマ市の人気者でさ。貴族とか商人連中にもウケがいいんだよ。教会も大事おおごとにしたくなかったんじゃないかな」


 世の中コネってことだよなあ、としみじみつぶやく弟子。

 ふっとキュウタの頭に浮かんだ疑問が口をついて出る。


「つまり、シンプランツァさんがその時にエルネオさんと揉めたと?」


 一段、弟子の声が小さくなる。教会の施設の中でする話題としては、やはり好ましくないらしい。


「そう。本を出す出さないで騒ぎになったころ、教会は非公式の聴聞会を開いたんだよ。その時にうちの先生が、灌教督を完膚なきまでに言い負かしちゃったらしい。先生、口ゲンカもすごい強いんだぜ」


 弟子が武勇伝を語る口調に、キュウタもふっと小さく吹き出して笑顔になる。


「なんとなく想像できます」

「だろ?」


 こらえきれなくなりげらげらと笑いだす弟子。

 すると、彼の前にふっと影が差す。気付いた弟子の顔色が蒼白になり、唇が引きつる。

 

 シンプランツァ灌教督が無言で、弟子を正面から見下ろしている。たるんだ頬のあいだでは一文字に引き結ぶ口元。その眼力がんりきは獲物のサイズを見定める蛇のようだ。

 静かだが、刃のように硬質な声が向けられる。


「失礼。そこを通りたいのだが、構わんかね?」

「あ、は、はい。どうぞ」


 満面のび笑顔になった弟子が、飛び退すさるザリガニのような動きで通り道を開ける。

 弟子とキュウタの間を抜けて、シンプランツァが外へ通じる扉へと向かう。すれ違いざま、彼がぶつぶつと小さく言い捨てた声がキュウタの耳に届く。


「まったく……チェヴールめ……必ず化けの皮をいでやる」


 小さな違和感がキュウタの心に引っかかる。

 弟子は高鳴る胸を押さえながら、ひたいの脂汗をぬぐう。


「うっわ、ビビった……え、なんだい?」


 弟子の袖をキュウタが軽く引っ張っていた。


「灌教督のお住まいってどこか知ってます?」

「え? んーと……高位聖職者は『宮殿』住まいって聞いたことがあるな。それがどうかしたのかい?」


 怪訝けげんそうな顔をする弟子をよそに、キュウタはシンプランツァの背中をじっと見つめていた。





 最後に鳴った鐘から考えて、時間はそろそろ夕方が近づいてくるころだ。


 弟子たちを聖堂から工房へと戻らせたエルネオは、今日の仕事はおしまいだと宣言する。

 ただし、その言葉はキュウタとサザレに向けられたものである。本来ならば工房の人間に対して言うべきセリフではないだろうかと、キュウタは疑問に思う。

 そんな少年に対してエルネオは笑ってみせる。


「気にするな。弟子どもは良くできた連中だからな。俺がいなけりゃいないで好き勝手……あ、いや、立派に仕事をこなしてくれる」


 三人はエルネオの自宅へと戻る道へと進んでいた。街は混雑し様々な人が家路へと向かっている。

 腹の虫をぐうぐうと鳴らし始めたサザレが、食品が並ぶ店の前を通るたびに足を止めそうになる。しかたがないのでキュウタは彼女の手を握って引きずるように街を進む。

 やがて、聞き覚えのある声が近づいてくる。


「……君たちの隣人に、教義きょうぎに反する者はいないか!? 『カヤロの祝福の書』、二章三節を……」


 先日聞いた文句と、一字一句変わっていない気がする。男は箱の上に立ち、道行く人々に熱弁を振るう。

 人の興味をきたいのならもっと変化をつけるべきだろう。そんな余計なお世話がキュウタの頭のすみに浮かぶ。

 男の前を通りすぎたあとで、エルネオが苦々しくつぶやいた。


「ったく。どいつもこいつも」


 珍しくあからさまに機嫌を斜めにしたエルネオ。

 キュウタは、彼の素顔の片鱗へんりんを初めて目にしたように感じる。少年はエルネオと少し踏み込んだ話をしてみたくなった。

 

「お弟子さんから聞きましたよ。教会とケンカしたんですってね」

「ん? ああ、本の事か。ありゃケンカとは言わん。俺がシンプランツァを一方的に叩きのめしただけだからな」


 くっくっと邪悪な笑いを見せるエルネオ。よほど痛快な思い出のようだ。

 キュウタがなかば案ずるような笑顔になる。彼がエルネオと出会って数日も経っていない。だが、常に暴走気味なエルネオが周囲を引っ張りまわしているのは、実に危なっかしく思えて仕方がない。


「エルネオさんは、イリユヌス教の教義には否定的なんですか?」

「いいや。むしろ熱心な信者のつもりだ。教義については誰よりも詳しい自信がある」


 黒いあごひげをいじりながらエルネオが返す。褐色の瞳が好奇心の光をうかがわせつつキュウタを見下ろした。

 少年は相手に胸の奥底まで見透みすかされてる気分を味わう。

 ふっとエルネオが柔らかな笑みを浮かべ、少年と少女に向けられる。


「キュウタ、サザレ。お前たちは東から来たと言ったな」


 わずかな当惑とともにキュウタがうなずく。


「ええ。ずっと遠くですが」

「お前たちの国では、イリユヌスとは別の神が信仰されているのか?」


 興味津々な思いを隠せないエルネオに、キュウタは遠い記憶を引っ張りだしてみる。時の彼方の情景をあまり苦労せずに思い起こせることに少し驚く。色褪いろあせた思い出ではあるが、それはやはり少年の今を形作っているものなのだろう。


「そう……ですね。色々な宗教が浸透しんとうしていましたが、熱心に信仰する人は少なかったです。特定の神を崇拝はしないけど、どんな神もないがしろにしない風土でしたね。中庸ちゅうようというか、呑気のんきというか、どっちつかずというか……」


 エルネオが目を丸くする。


「それが許されるってのは、なんとも風変ふうがわりなお国柄くにがらだな。よっぽど豊かな土地だったのか?」


 キュウタが肩をすくめてみせる。


「どうでしょう。いくさばかりで、祈る暇もなかっただけかも」


 エルネオが苦笑いで応じた。


「生きるのに忙しくて神どころじゃなかったか。それもまた難儀な話だな。どこの国でも、自分を救ってくれるのは自分だけってことか」


 皮肉めいた調子の言葉に、キュウタが首をかしげた。


「信仰で人は救われませんか?」


 人波をかきわけながら歩くエルネオの瞳がほんの少し鋭くなる。何者にも曲げることのできない強い意思がそこにあった。


「少しは役に立つさ。面倒な真実から目をそむける程度にはな。だがいつかは向きあわなきゃならん」


 しばらく無言で進む三人。

 やがてキュウタがぽつりとつぶやいた。


「一部の人が持つ奇妙な『力』……教会が言うところの『神を真似まねる奇跡』も、向き合うべき真実ですか?」


 エルネオは正面に視線を投じたまま、きっぱりと答える。


「ああ。迷信に目をくらまされているあいだは、本当に秩序ある世の中なんぞ作れはせん」


 キュウタは『道』を見つけたかった。何か全てを円満に解決する糸口があるはずだと。少年は周囲の人混みに目を向け、人々の支えになっているはずのものに思いを巡らせた。


「ただの迷信でも、人の心をつなぐ役には立つと思います。この国のように」


 エルネオは達観した笑顔とともに吐き捨てる。


「教会の権威によって成り立つ秩序なんぞ、まがい物さ」


 キュウタは言葉を続けようとした。だがその時、彼の手をサザレが強くつかんだ。


 黙ったままキュウタを見つめる少女。

 その視線は語っている。自分たちはエルネオと違う時間の流れに生きている人間であると。深く関わるべきではないと。

 懇願こんがんにも似たサザレの眼差まなざし。それを見たキュウタは口をつぐみ、彼女の手をそっと握り返した。





 日が完全に没してから二時間ほどが経っている。


『宮殿』から見下ろすフィロマ市の街並み。

 それは窓からこぼれる無数の明かりによって、地上に描かれた星空のようだ。


 高々とそびえる宮殿の一角の窓。そこから一人の男が街を眺めおろしている。

 彼がいる部屋は宮殿の中層階にあった。だがそれでもなお、この部屋より高い建物は市内のどこにも無い。


 ピエナート・シンプランツァ灌教督かんきょうとく窓枠まどわくに手を置いて、何ごとかを考え込んでいた。

 窓から吹き込む風は涼しく、思考を明晰にさせてくれる。


 その時、シンプランツァの耳は『異常』を感じた。

 あり得ない感覚を、彼の常識が拒絶する。ごくりと唾を飲む音がやたら大きく聞こえ、心臓の鼓動を速める。

 

 窓の外、頭上の宙空から、足音と衣擦きぬずれが近づいてくる。


 あり得ない、不可能だと首を振る。自分がいる部屋の外部は手がかり一つない壁。見上げるだけで目もくらむ高さだ。当然、縄や梯子はしごがまともに届く高さでもない。ただの幻聴に決っているのだ。

 その願望に似た結論は、そっと投げられた声によって打ち砕かれる。


「こんばんは。シンプランツァ灌教督かんきょうとく猊下げいかですね?」


 少年らしき声が夜空からってくる。窓際で立ち尽くすシンプランツァは、びついたような動きで声の方向へ視線を上げた。


 月を背にした一人の少年が、何の支えも無く『空中に立って』いる。


 白い外套マントが夜風にパタパタとはためく。

 あまりにも非常識な光景に言葉を失い、たるんだ頬を引きつらせるシンプランツァ。彼の瞳は驚愕きょうがくに染まっている。


 キュウタは人差し指を自身の唇にあてて、静かにするようにとウインクで合図する。

 誠実そうな表情でキュウタは告げた。


夜分やぶん遅く申しわけありません。少し、おうかがいしたいことがあるんです」



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