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第四章 創成の異端者 (3)

 朝の澄んだ空気の匂いが、薄暗い部屋にそっと漂っている。


 大槻キュウタは木製の寝台の上でぼんやりと目を開けた。

 まともな寝床で手足をだらりと投げ出して眠れたのは久しぶりである。キュウタと一つの毛布にくるまっているサザレは思う存分キュウタにしがみついている。幸せそうな寝顔をした少女のヨダレが少年の下着がわりのシャツに染みを作っていた。


 キュウタは天井を眺めながら、寝起きで混濁こんだくする頭をゆっくりと覚醒させていく。独り言がぽつりともれた。


「あ……そうか。結局、泊めてもらったんだっけ」


 フィロマ市に滞在するあいだ二人に提供された部屋は、エルネオ・チェヴールの邸宅の一室だった。

 窓は人一人がなんとか通れる程度の大きさの、必要に応じて一枚板を跳ねあげて棒で支える単純なタイプだ。さほど広くもない室内で家具らしいものはこの寝台だけである。だがこれは上等な待遇と言えるだろう。この時代、客間として使える部屋がある家、という時点で相当に裕福なのだから。

 キュウタは体を起こして、自分に抱きついたままの少女の肩を優しく揺する。


「朝だよ、サザレ。起きなよ」


 サザレは拒絶するようにキュウタのシャツに顔をぐりぐりと押し付けた。


「ううぅ、まだ……まだですう」


 意味不明なうなり声が上がる。

 結局、二人が身支度を整えるまで一時間ちかくも一進一退の攻防が繰り広げられた。





 朝食のテーブルにエルネオの姿は無かった。

 パンとシチューをもくもくと腹に収めるキュウタとサザレに、厨房から現れたカロリエッタが声をかける。彼女の身なりと立ち居振舞いふるまいには相変わらずすきがない。名実ともに使用人としての職務を朝からまっとうしていた。


「お食事のほう、お口に合いましたでしょうか。よろしければ、お代わりもございますが」


 目をきらめかせたサザレが口を開く前にキュウタが先手を取る。

 

「いえ、これで十分です。食費はあとでお支払いします」


 この世の終わりのような顔になるサザレを、視線でいましめるキュウタ。サザレは木製のスプーンをがじがじとかじりながらからになったシチューの器を恨めしそうに見ている。

 カロリエッタは少し小じわのよった目元を細める。あまり表情の出ない女性だが、二人に対して悪い感情をもっているわけでは無さそうだった。


「お二人とも、お気になさらずに。当主は、ああ見えて収入には余裕がありますので」


 目をぱちくりさせたキュウタが半信半疑にうなずく。


「そうですか……ところでエルネオさんは、もうお仕事ですか?」

「はい。工房のお弟子さんたちを連れて、お客様に依頼の品を納めに行く予定でございます」


 色々と興味をひかれる単語があらわれ、キュウタが質問を重ねようとする。

 だがカロリエッタの言葉は少年よりも早かった。


「当主からお二人宛てに伝言を預かっております。面白いものをお見せしたい、とのことです」





 エルネオ・チェヴールは数名の弟子が壁に肖像画をかける作業を監督していた。黒いあごひげをなでながら作品の出来栄えを確認する褐色かっしょくの瞳。それはわしのように研ぎすまされ、一切の妥協を感じさせない鋭さである。


 精巧な細工を施された額縁がくぶちは一つの美術品として成立しており、室内の豪華な家具に引けをとらない仕上がりだ。


 肖像画は一人の女性の立ち姿を描いたものである。精緻せいちな筆使いによって描かれた、柔和な表情ときらびやかなドレス。活き活きとした描写には、実物の五割増し程度の美化がさりなく加えられている。いかに自然に美化するかというのもアーティストの腕の見せどころなのだ。

 モデルとなった貴族夫人が肖像画をうっとりと見つめていた。


「素敵……あなたにお願いして本当に良かったわ、エルネオ・チェヴール」


 エルネオはうやうやしく頭を下げた。黒いあごひげに浮かぶ微笑は茶目っけのある印象を他人に与える。


「残念ながら、これは私の手柄ではございません、子爵夫人。私は、ありのままの美をうつし取ったにすぎません」

「おほほ、お口もお上手ね。女性に人気がある理由がよく分かるわ」


 扇子せんすで口元を隠しながら、夫人は小さく首をかしげてエルネオを見やる。


「ところで、エルネオ・チェヴール。最近はフィロマ教会のお仕事もされているとか?」

「はい、聖堂改築の方を。と言ってもアーチ部分の構造設計を少々手伝った程度ですが」


 エルネオは両手を広げて視線をくるりと回す。子供のちょっとしたお使いの成果を語るような口ぶりである。

 夫人は、彼の人物にますます感じったようだ。


「絵の腕ばかり評判になっていますが、本当に多才なかたなのですのね」


 エルネオが片目を閉じておどけてみせる。


「根っからの浮気者でして」

「あらあら。独り身を貫いているのも、そのせいかしら?」


 流し目で返す夫人の手を取って、エルネオが椅子へと導く。


「おっしゃる通りかもしれません。もっとも、子爵夫人のような魅力的な女性と出会っていたら、また違っていたでしょうな」


 上品に笑い声をあげる夫人に軽く会釈えしゃくをするエルネオ。

 軽口で返した彼の声には自嘲するような色がほんのわずかに混じっていた。





 にぎやかに行き交う人波に流されるように、キュウタとサザレは道を歩いていた。昼をすぎた太陽はうららかな陽気で街を温めている。

 

 カロリエッタが用意してくれた服は二人の体に合わせて仕立てたようにぴったりと馴染なじんだ。布地や縫製ほうせいも手がかかっている。

 さすがのサザレでもスカート姿で刀を持ち歩くような真似はしていない。ぱっと見ただけなら、なかなかの上流家庭の子息子女と思われそうだ。


 市場へ続く道の両側に並んだ屋根は木や藁葺わらぶきの簡素なものだ。軒下のきしたには店舗を持たない露天商らが、食品や雑貨を陳列し、道行く者へ引っ切り無しに声をかけている。

 サザレは足元を見つめたまま、隣を歩くキュウタに声を向ける。その口調はどこか堅苦しい。


「エルネオ・チェヴール……彼の『業績』自体は近日中に歴史上へ『定着』します」

「うん」


 よそ見をしながらうわそらの生返事でこたえるキュウタ。だが、その眼差まなざしはいつも通り思慮を絶やさぬ慎重な少年のものである。

 キュウタに寄りそって進むサザレの言葉は事実だけを告げる。


「彼を『起点』として『魔法の発展』が始まるのは間違いありません」


 少年は軽く握った手を口元に当てて考えこむ。


「問題は『発展の速度』か」


 四、五人の子供たちが、二人の前をはしゃぎながら走り抜ける。露店を出している親についてきた子らが、暇を持て余しているようだ。

 人懐ひとなつっこく手を振ってくる子にサザレがほほえんで返す。彼女はキュウタに視線を振った。


「はい。歴史の分岐によっては、魔法が『学問』として世界に認知されるまで、七百年ほどの『遅れ』が生じます」


 キュウタは空をあおいで嘆息する。


「七百年か……致命的だな」


 数字をはっきり提示されれば結論を迷う余地は少なくなり、行動への後押しになる。だがそれは運命の残酷さの裏返しだ。こんな時、歴史に介入することの重みを改めて認識させられる。

 サザレが半歩分キュウタに近づき、声を低めた。


「魔族が出現すると思われる時代の『未来視』は、まだまだ流動的です。ただ現在の流れのままだと、未来は……」

「魔法が十分発達する前に、魔族の進攻が始まる、か」

「おそらく」


 そして二人は言葉を交わすことなく露店が並ぶ道を進んでいく。騒がしい雑踏の中だというのに、キュウタには自分の足音だけがやけに大きく聞こえている。

 やがて二度ほど角を曲がったところでキュウタは決断した。


「エルネオさんの『未来』を改変しよう。サザレ、僕らでも実行できそうな策を『未来視』で洗い出せる?」


 彼の質問に少女は予期していたようにうなずく。


「ここ数日、複数の『問題』を解決できる道すじが『見えて』きました。ただ、選択肢は限られています」


 サザレが言外げんがいひそませたものの意味を、キュウタは完全に理解していた。


「うん。分かってる」


 選択の自由などない。

 いつでもそうだった。きっとこれからもそうなのだろう。


「おーい! キュウタ! サザレ! こっちだこっち!」


 人混みの向こうから大声が呼びかけてくる。

 キュウタたちを目ざとく見つけたエルネオ・チェヴールが満面の笑顔で手を振っていた。





 ハンマーが石や木を叩く乾いた音。

 閉じた空間のなかで反響するそれは四方八方から耳に届き、何重にも続く輪唱りんしょうのようだ。


 聖堂のなかはそこかしこに足場を組み上げられ、改築作業のために二ヶ月ほど閉鎖されていた。高所に数人ずつの班に別れた職人たちがもくもくと割り当ての仕事をこなしていた。


「で、『面白いもの』ってこれですか?」


 キュウタは振り向いて尋ねる。あごひげを撫でながらエルネオがにんまりと歯を見せて笑う。

 祭壇の方向へ指を向けてから、高々とした天井の方を示す。

 

「てっぺんについた傾きが分かるか? あれでアーチ全体の強度を上げると同時に、より高さを稼ぐことができる。ついでに人の目をく効果も生みだせた。見ていると吸い込まれそうになるだろう」


 目を輝かせるエルネオが肩からさげたカバンから紙束を取り出す。いくつかのスケッチと計算式らしき数字が並んでいる。キュウタが見ても当然ちんぷんかんぷんだが、エルネオは構わずに語り口をゆるめようとしない。

 

「本来はもっとなだらかな曲線で組むのが定石でな。だが、俺は以前からもっと別のやり方があると思って、色々考えていたんだ」


 キュウタの隣ではサザレがあくびを噛み殺している。

 手渡されたスケッチ用紙をぱらぱらと眺めながらキュウタがつぶやく。


「へえ……でもこういう教会の建物って、民間の人間が思いつきでいじくり回せるものなんですか?」


 指をぴんと立てたエルネオがちっちっと舌を鳴らす。


「たまたま絵の仕事で知り合った客が、教会の出入でいりの業者でな。その伝手つてを頼って、俺の設計案を教会で検討するようにはからってもらったわけだ」

「ああ……本業は絵のほうでしたっけ。カロリエッタさんに聞きましたよ」


 キュウタから戻されたスケッチ用紙を自分で見返しながら、エルネオがしみじみとした口ぶりになる。


「たしかに仕事として多いのは絵だな。手っ取り早くカネになる。だが、他にも興味のある仕事はある。絵はガキのころから好きだが、扶持ぶちを稼ぐ手段というのが正直なところだ」

「他にも興味……と言うと?」


 薄く微笑ほほえんで半眼はんがんになったエルネオは、盗人仲間が夜の計画を打ち合わせるような低い声になった。


「うむ。あまり口外できない秘密の仕事……というか個人的な趣味だな。今はまだ俺の頭のなかにしか存在しないモノだ」


 エルネオがキュウタの肩を抱いてにやりとよこしまな笑みを浮かべる。


「キュウタ、これは間違いなく世界を変える発明だぞ」

「ああ……そういえばそんなこと言ってましたね」


 大して興味もなさそうに返すキュウタ。つれない反応にエルネオが少年の頬を指でつっつく。男同士のスキンシップに横のサザレが少し不満げな視線を向ける。

 エルネオはさらにキュウタに顔を寄せた。


「知りたくないか? これは本当に凄いぞお?」


 キュウタは苦笑いで肩をすくめる。


「本当に世界が変わるんなら、その時まで楽しみにとっておきますよ」


 少年の答えに、ぱっと体を離して大げさに顔を覆うエルネオ。


「なんだ、つまらんなあ。若いうちからそんな枯れてどうするんだ、キュウタ?」


 サザレが気配をぴくりと察知し視線を振った。

 すこし遅れて、やいのやいのとキュウタにしつこくからむエルネオの後ろに足音が出現する。

 神経質そうなとげとげしい声が投げられた。


「神の御許みもとで騒がしくするな。エルネオ・チェヴール」


 振り返ったキュウタとエルネオの視界に初老の男が立っている。

 見かけは五十歳前後だろうか。灰色の頭髪はひたいを出すように後方へと撫で付けられていた。垂れ下がった頬と目は年齢以上に老けこんだ印象を彼に与えている。


 高位の聖職者に許された紫の礼服の胸元は、真紅の紋章が刺繍ししゅうされている。それは信仰に捧げられた心臓を意味していた。


 相手の顔を見た途端、エルネオはバレエダンサーのような身振り手振りで深々と頭を下げる。彼の猫なで声には皮肉以外の感情は込められていない。


「これはこれは、『ピエナート・シンプランツァ』灌教督かんきょうとく猊下げいか。ご機嫌きげんうるわしゅうございます」


 慇懃無礼いんぎんぶれいなエルネオの態度に、シンプランツァ灌教督かんきょうとく下卑げびたものを見る視線を向けていた。



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