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第四章 創成の異端者 (2)

 太陽が西に傾きはじめたころの、市場や商店が並ぶ区域にある十字路。ここはフィロマ市の中央からやや西に外れた場所である。


「諸君! 君たちの隣人に、教義きょうぎに反する者はいないか!? 『カヤロの祝福の書』、二章三節を見よ! 『奇跡は神のみが与える』とある!」


 その男は木箱を踏み台にして、通行人たちより頭ひとつ高いところで弁を振るう。彼の口から放たれる言葉は、絶対の自信に満ちあふれている。力強く発せられる声にあわせて、握られたこぶしが振りまわされる。


「諸君! 君たちのまわりに怪しげな『術』を使う者はいないか!? 手から火を生じる者、うつわの水を凍らせる者、目から光をはなつ者はいないか!?」


 石組みの壁にもたれかかり、男の言葉に耳を傾けていた二人の人物がぴくりと反応する。白い外套マントに包まれた体は歳相応の平均的な体格で、どこにでもいる少年少女のものだ。

 大槻キュウタとサザレは男がツバを飛ばして展開する論理にじっと聞き入っていた。

 声のトーンが一段階上昇する。


「それは『異端者』である! 我々は神の奇跡を真似まねる異端者を排除せねばならない! 昨今のいくさ流行はややまい! これらはすべて、異端者を野放しにしている我々へ、神がくだされた罰なのだ!」


 男は意気揚々と語るが、まわりには暇人がちらほらと遠巻きにするくらいで、同意も反論もしていない。やがて男の論説が冒頭のフレーズから繰り返されはじめる。

 キュウタは見物人の反応も含めた一部始終をしばらく観察していた。やがて内心でため息をついた少年はその場を離れて歩きだす。後ろをついてくるサザレがそっとささやいた。


「キュウタ。これは……」

「ああ。分かってる」


 キュウタは歩きながら考える。あの男が『異端者』と言っているのは『原初魔法』に覚醒した者のことだ。

 ここ数十年、魔法は『イリユヌス教』の教義に反する存在である、といった暗黙の共通認識が世間に広まりつつある。


 大陸西部の諸国を見わたしてみれば、『イリユヌス教』が最大の宗教勢力であるのは間違いない。この宗教は国や民族によって、歴史的な経緯のなか、いくつかの教派として分かれている。

 だが、聖地フィロマ教会の最高指導者『会皇かいおう』を頂点として一応のまとまりを見せているといっていいだろう。

 つまり、イリユヌス教の観点から『異端者』とされた者は、どこの国でも生活しにくくなるということだ。

 

「今はまだ露骨な差別や排斥はいせきは起きていない。でも一旦『タガ』がはずれたら、僕らだけじゃ止めることはできないだろうな」


 人々は常に『獲物』を探している。強者の力は、弱者や少数派に向けられるのだ。

 人は他の命を食らい生きる生物である。他者を屈服させ従えることに快楽を感じるのは、人が決して逃れられない『本能』なのかもしれない。

 サザレは、遠くで相変わらず大声を張り上げ熱心に説法している男をちらりと見やる。


「魔法の才能を持つ人間がしいたげられる状況は避けるべきだと思います」

「うん。いい傾向じゃないな。何か対策を打てればいいんだけど」


 二人が危惧する理由はもちろん倫理的なものではない。ただ単に、魔族と戦う『手段』としての魔法の弱体化につながりかねないからだ。

 

 残念なことにサザレの『未来視』では答を出せない。『未来視』は特定の未来にいたる『道のり』を大雑把おおざっぱに示すだけなのだ。複雑な難題に対して明快な解答を得るといった便利な道具では無い。

 歴史の上で起こりうる『イベント』は天文学的な数に達する。それらの組み合わせを順繰じゅんぐりに検証している時間も無い。歴史のすべての可能性を精査し終わるころには、魔族が世界を滅ぼしているはずだ。


 今の世界には、魔法が『発展』する気配すらない。魔法の才能を持つ者が手にした原初魔法の意味も知らず、魔力の鍛錬という概念も無い。そんな状態の人類が、凶暴な魔法を操る魔族と対等に戦えるイメージなど、まったくわいてこないのが正直なところだ。


 魔族がこの世界に出現するまで、あと『千年』ほど。

 人類に残された時間は、日々確実に減り続けている。





 キュウタとサザレはいくつかの路地を奥に進み、目的地にたどりついた。

 酒場の軒先にぶら下がった、ったデザインの小さな金属看板。サザレはその形を確認してからキュウタにうなずく。

 少年は一拍のあいだ思案したあと、小さく肩をすくめた。考えても仕方がない。


「とりあえず、入ってみよう」


 キュウタが酒場の木製扉に手をかけた。

 その時、扉が内側から突然開かれる。反射的に後退するキュウタとサザレ。

 

 一人の大柄な男が、屋内から足をもつれさせながら歩み出てきた。彼は倒れそうになる体を、目の前にいたサザレの両肩に手を乗せて踏ん張る。

 一瞬目を丸くしたサザレが、相手の顔を見て表情をきりっと変える。


「キュウタ」


 サザレがそっとささやいてうなずく。どうやらこの男が『そう』らしい。

 キュウタは男の顔を観察する。三十代半ばといったところだろう。黒髪と黒いあごひげは几帳面に切りそろえられ、整った身なりによく似合っている。

 彫りの深い顔立ちは真剣そのもので、視線はサザレの頭上を通り越してどこか遠くへと向けられている。

 黒いあごひげの上の唇が小さく開く。

 

「……う」


 ぽかんと固まったサザレが男を見上げてオウム返しにつぶやく。


「う?」


 キュウタの脳裏に嫌な予感が走る。下がれとサザレに声をかけようとした瞬間、男のほほがふくらむ。

 横で見ていたキュウタの心は諦めの境地にいたる。


(あ、こりゃダメだ)


 そして男の口から『噴水』がほとばしる。

 

 消化されかけたパンやシチューやワインの混合物。それは放物線を描き、男を見上げていた『サザレの頭』へとり注いだ。

 胃がからになるまで十秒ほどだったろうか。どろりとしたモノをすっかり眼下の少女の上にぶちまけた男が、すっきりしたように深々と息をつく。

 キュウタの口から思わず声がこぼれる。

 

「うわぁ……」


 そしてようやく事態をのみこんだサザレの唇がわずかにゆがむ。「ひっく」と、しゃっくりのような声をさせた次の瞬間。少女の愛らしい顔が紙のようにくしゃりとなり、青い瞳に涙がにじむ。

 

「キュ、キュウタぁあぁ……」


 整った容姿ようし吐瀉物としゃぶつまみれにされたサザレが、ベソをかきながらキュウタに抱きつこうとふらふらと歩み寄る。


 キュウタの反応は迅速じんそくだった。


 原初魔法の『硬化』で作った『空気の盾』で、サザレが自分に接触できないように壁を築く。びたん、という音を立てて透明な壁にはばまれるサザレ。彼女は両手をじたばたとさせ、必死でキュウタに抱きつこうとする。汚物まみれの少女に、少年は心の中で謝る。


(ご、ごめん、サザレ。それはちょっと無理)


 サザレは駄々をこねる子供のようにか細い泣き声を上げ、キュウタにすがりつこうとする。少年は少女にあまり意識を向けないようにしつつ、改めて男に声をかける。

 

「あ、あの……」


 口の中にこびりついたパンのかけらを指でほじくりだして地面にはじき捨てていた男が、悪びれる様子もなくキュウタの視線を受け止めた。

 

「ん? ああ……その子、お前さんのツレか? いやあ、デカい仕事が一段落したんで昨夜ゆうべからずっと飲み通しでなあ」


 開け放されたままの扉から、酒場の店主らしき男が呆れ顔で出てくる。


「エルネオの旦那ぁ、本は持って帰ってくだ……うわっ!? お嬢ちゃん、それどうしたんだ!?」


 しゃくりあげるサザレの惨状に、幽霊でも見たように青ざめる店主。

 元凶である男はげらげらと笑っている。やがて笑いを収めた男は、良く通る低音の声とともにキュウタへ芝居がかった仕草で頭を下げた。

 

「いやあ、すまんすまん、坊っちゃん嬢ちゃん。申し訳ないことをしたな。このつぐないはもちろんさせてもらうぞ……おっと、その前に名乗っておこうか」


 男は胸の前に片手を当てて、もう一方の手をゆらりと上へと伸ばす。まるで詐欺師がダンスの誘いでもしているような胡散臭うさんくささだ。


「俺は『エルネオ・チェヴール』。人は俺を『フィロマの奇跡』と呼ぶ」


 男の背後で店主が首をかしげる。


「そうでしたっけ? 初耳だなあ……」


 ぼそりとつぶやかれた横やりもどこ吹く風と、エルネオと名乗った男は胸を反らせた。

 不敵な笑顔がキュウタたちを見下ろす。


「そして俺こそが、『世界を変える男』だ」


 断言するエルネオ・チェヴールの褐色かっしょくの瞳は確信に満ちていた。





 エルネオの自宅にたどりついたのはちょうど日が没した頃合いだった。

 

 フィロマ市の建築物は石やレンガ造りの壁と木のはりを組み合わせて荷重を制御する構造が主流であり、彼の住居も例外ではない。

 市内は過密する一方の人口のせいで、慢性的に土地が不足している。結果として街並みは複雑に入り組み、建物は互いに支え合うように密集している。

 

 そしてここにも身分や財産の差は現れる。貴族の別邸や裕福な商人の邸宅が並ぶこの区画は、庶民の住宅に比べれば大きさや装飾が二回り以上は高いランクの建物がつらなっている。もっとも、それでも土地を無駄に使う余裕のある者は皆無である。結果として小奇麗ではあるが庭どころか塀すらない物件が混沌とひしめき合っているのだ。

 

 エルネオの自宅は周囲の邸宅ほど派手ではないにしろ、しっかりとした実用的な造りに見える。道路に面した入り口からは、フィロマ市中央にそびえる『宮殿』の白いいただきを見ることができた。


 エルネオが騒々しくドアを開ける。

 シンプルな燭台しょくだいの上では、灯されたばかりのロウソクが家のなかをぼんやりと照らしていた。入り口から見るかぎり屋内は小じんまりとしているが、家具や内装には一貫した美意識のようなものが感じられる。後ろにいるキュウタの耳にも突き刺さるような大声が部屋の奥に向けてぶつけられる。


「カロリエッタ! カロリエッタはおらんか!」


 戻ってくる返事はエルネオと対照的に、もの静かで落ち着き払っている。


「はい、ここに」


 奥の部屋から、見たところ四十歳前後の女使用人が現れた。背筋をぴんと伸ばし、頭からつま先まで一分いちぶの隙もない姿は、モノクロームのシンプルなスカート姿によく調和している。


「お帰りなさいませ、御当主ごとうしゅ様」


 カロリエッタと呼ばれた女性は、体の前で両手を組んだまま軽く会釈えしゃくをする。あまりに優雅な所作しょさに、キュウタも思わず頭が下がってしまう。


 キュウタの隣に立っているサザレは、酒場近くの井戸で髪と顔についた汚れを一応ながら落としていた。だが衣服についた染みまでは完全に取り除くことは出来ていない。むっつりとした顔からは普段の怜悧れいりな雰囲気が吹き飛び、やさぐれた目の下には軽くくまが浮かんでいるように見える。もう何もかもに嫌気が差したとばかりに肩を落として、ガニ股ぎみになった立ち姿は今にもその場に崩れ落ちそうだ。

 エルネオがサザレの肩をむんずとつかんで、カロリエッタのほうへ押しやる。


「この娘に着替えを」

「かしこまりました。お嬢様、こちらへどうぞ」


 カロリエッタがごく自然にサザレの手を取って奥へと導く。何一つ問いただすことなくエルネオの指示に従うプロ意識に、キュウタは少なからず感心する。

 戸惑うサザレに、キュウタは微笑ほほえんで肩をすくめた。とりあえずここは厚意に甘えておけばいいだろう。


 奥へ消える二人を目で追ったあと、キュウタはなんとなしに周りを見回していた。庶民とは明らかに別格の暮らしぶりなのだが、代々受け継いできた財力というのとは少し違う何かを感じる。

 キュウタの頭にエルネオの大きな手がぽんと載せられる。


「どうした、少年」


 無遠慮に髪を鷲掴わしづかんでぐりぐりと頭を揉んでくるエルネオ。少年は仏頂面ぶっちょうづら苦笑にがわらいの中間の表情でこたえる。


「いえ……綺麗なお宅だと思って」

「ほう、その若さで年長者の扱いを心得こころえているとは感心だな。お前さん、きっと出世するぞ」


 黒いあごひげの上の唇がニヤリと持ち上がる。

 キュウタは別にお世辞のつもりでもなかった。この家はけっして大邸宅などではない。華美な美術品や家具が陳列されているわけでもない。だが建物全体から感じられる雰囲気のなかに、一種の機能美のようなものをキュウタは感じた。ていに言えば、家のあるじの『人生観』が映し出されているように思えたのだ。


 先ほどから笑みを絶やすことのないエルネオは、何が気に入ったのか相変わらずキュウタの頭を掴んだままである。骨太の指のすき間から少年が視線を上げる。


「エルネオさん……の、ご趣味なんですか? この家は」

「まあな。自分の稼ぎで建てた家だ。親兄弟に口出しされることもない」


 頭を掴む指の力がわずかにゆるんだ気がする。キュウタは少し突っ込んだ話をしてみたくなった。


「……失礼ですがエルネオさんは、何のお仕事を」

「ん……色々、だな。一言で説明するのは難しい」


 快活さのなかに見え隠れする陰をキュウタは感じた。少年がその正体を思案する暇を奪うように、今度はエルネオが問いを向けてくる。


「お前さんたちは旅の途中か? フィロマの人間じゃないだろう?」


 キュウタはエルネオの目をじっと見つめたまま、罪を告げるような口調で答えた。


「ええ。ちょっと探しものをしています」


 少年の言葉を聞いたエルネオの笑みのなかに、どこか寂しげなものが混じる。彼はキュウタの頭から手を離して、胸の前で腕組みをした。細められた目は子供を見るような暖かさを持っている。


「宿のあてはあるのか?」

「いえ。これからですが……野宿には慣れているので、どうとでもなります」


 のんきに肩をすくめ、キュウタはエルネオから視線をそらした。しばらくあごひげをいじりながらキュウタを観察していたエルネオが、ぽんと手を打って家のなかをアゴで指し示す。

 わるだくみを思いついたような黒い笑顔がキュウタを見下みおろす。


「よし、これも何かのめぐり合わせだろう。フィロマに居るあいだは、この家に泊まっていけ。なあに、部屋もいくつかいている」


 キュウタはまるで熱いスープでも飲み込んだような顔になって口ごもる。

 

「あ、いえ、そこまでしていただかなくても……」


 その時、部屋のすみから控えめな咳払いが聞こえた。いつの間にか現れたカロリエッタが直立不動で二人を見すえ、落ち着いた声を向けてくる。


「いえ、キュウタ様。どうぞご遠慮なさらずに」


 名乗っていないはずなのにと思いつつ、少年がまごつきながら辞退しようとする。だがそれより先にカロリエッタは言葉を続ける。その声音こわねは芯が通り、口を差し挟むすきも無い。


「聞けば、御当主様が『粗相そそう』をされたそうで。サザレ様のお召し物も洗いに出しましたゆえ、本日はお二人にお部屋をご用意させていただきます」


 カロリエッタが反対側の奥に続く扉を片手で指し示した。


「お食事の準備も済んでおりますので、皆様ご一緒にどうぞ」


 くいっとキュウタの袖が横から引っ張られる。いつの間にか隣にいたサザレが上目づかいで少年を見つめている。

 キュウタの胸がどきりと打つ。


 サザレの姿は見違えるように変わっていた。

 少女を包むのは、生成きなりのブラウスとスカートが作る柔らかな曲線。ていねいに入れられたくしのおかげで、茶色混じりの黒い長髪は少女の背中へさらりと流れていた。サザレの小柄な体からはどこか甘い香りさえただよっている。

 この短時間でカロリエッタは蒸した布でサザレの髪や体全体をきよめ、どんな手品を使ったのかサイズのあった清潔な衣装を調達していたのだ。

 サザレが首をかしげて頬をほんのり染める。


「キュウタ……私、変ですか?」


 思考を経由せずにキュウタの口から素直な言葉が出る。


「い、いや。いいんじゃないかな。かわいいよ」


 より一層紅潮したサザレが、へらっと顔をゆるませ、キュウタの腕にすがりつく。

 少年は我ながら妙なことを口走った気がしていた。胸の鼓動を抑えようと意識するなか、そういえばサザレがこんな格好をするのを初めて見たなとも思う。

 エルネオは少年少女の様子を満足そうに眺め、訳知わけしり顔で力強くうなずく。


「ま、『そういう事』だ。しばらくは自分の家だと思ってゆっくりしていけ」


 どういう事なのかを尋ねる気にもなれず、キュウタは小さくため息をつく。

 何か、とてつもなく面倒な状況に巻き込まれた気分だった。



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