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第四章 創成の異端者 (1)

 板の合わせ目がミシミシと鳴る一定のリズム。それは午後の陽気と徒党を組んでのどかな空気を作り上げている。

 

 半加工された木材を積みあげた日陰。キュウタとサザレは寄りそって睡魔に身と心をあずけていた。その表情はただのあどけない少年少女のものだ。

 二人が毛布代わりにまとうのは、簡素な造りの白く袖のない外套マントである。それは旅の道のりを示すようにところどころ土汚れや、かぎ裂きがついていた。

 だみ声の男の呼びかけが、まどろむキュウタたちに向けられる。


「そろそろ起きてくんな、にいちゃんたち」


 キュウタは目をこすりながら体を起こす。サザレはまだまだ寝足りないのか、彼の体にしっかり抱きついたまま離れようともしない。

 少女をぶら下げるように何とか立ち上がったキュウタが、大きく伸びをする。固い床板の上でりかたまった背中がパキパキと音を立てた。

 視線をめぐらせたキュウタは水面からの太陽の照り返しに目を細める。


 キュウタが気前よく渡したコイン袋と引き換えに乗りこんだはしけ。それは長いロープで運河沿いの道を歩く二頭の牛に繋がれ、下流へとゆったり進んでいる。積み荷は第一次産業が盛んな上流地域の生産品が主だった。

 男は船尾でかじをとりながらアゴで進む先を示す。


「ほれ、もう見えてきたぜ」


 土手の向こうの木々のすき間に、背の高い建物の屋根がちらほらと出現している。

 キュウタは、しがみつくサザレをずるずると引きずりながら男の横に立った。端正な面持ちの少女がさらす醜態しゅうたいを男がニヤニヤと眺めている。


「兄ちゃん、ずいぶんと好かれてるなあ。そういや聞いてなかったけど、あんたら兄妹か何か?」

「は? あ、ええ、まあ。ははは……」


 苦笑いで適当にごまかすキュウタの脇の下から、サザレが真顔できっぱりと断言する。


「夫婦です」


 サザレを二度見するキュウタはまるで豆鉄砲をくらった鳩である。ゲラゲラと男が笑う。


「そりゃうらやましいなあ。別嬪べっぴんな嫁さんつれてフィロマ巡礼ってとこかい?」


 キュウタがサザレの頬を手でぐいっと押して距離をとる。顔をゆがませながら不満げにうなるサザレを無視して、キュウタが言い訳をする。


「いや、人を探してるんです」


 それだけを言って、キュウタは大都市が持つ特有の気配に耳を澄ます。喧騒や無数の建物から漏れ出る環境音と、人々の暮らしから生まれる数々の匂い。それらが白いノイズとして町の『空気』を作り出している。

 市街地はまだまだ先だが、そこから溢れ出る活気はキュウタの肌にハッキリと感じられた。


 ここは大陸西部における最大の都市。

 聖地『フィロマ』の町並みが彼らを見下ろしていた。





 南北を巨大な大陸に挟まれた海域。

 そこに細長く突き出た半島が存在する。


 大陸と接している部分はけわしい山脈地帯である。これは古来から天然の要害として機能してきた。外国からの圧力はこれによっていくらか緩和かんわされ、半島内部の社会の成長を助けている。


 古代から安定した発展を続けるこの地域でも、とりわけ巨大な一つの都市がある。河口からしばらくさかのぼった土地を切り開いた場所は、地理的そして歴史的な条件に恵まれていた。

 そこに住む人々は周辺の小数民族や都市国家を従え、徐々に支配圏を半島全域へと拡大していく。


 やがて紆余曲折うよきょくせつの果てにたどり着いた、ゆるやかな帝国的支配。それは支配者層と被支配者層の双方に一定の満足と妥協を与えた。だが人々の出自しゅつじや身分、貧富の幅広さを完全に埋めることはできない。

 一つの社会を彼らが共同運営するためには、ある程度の『文化の均質化』が必要だった。


 人々は『信仰』をその手段として選んだ。





 午後の太陽に雲がわずかにかかり、風の涼しさが少しだけ強く感じられる。


 大小さまざまな建築物が、地平線の先までびっしりと視界を埋め尽くす街並み。大陸で一二を争う大都市にふさわしい景観である。


 フィロマ市の中央にそびえる『宮殿』は市内最大の建造物である。そこに集中する行政機能を起点とした実質的な帝国支配が、半島全域に行き渡っているのだ。


 宮殿を見上げる大広場はにぎやかで、ひっきりなしに男女様々な階層の人々が忙しそうに行き交う。


 広場の中央に巨大な『銅像』が立っていた。

 一人の『女性』が自分自身の胸を剣で貫いている。彼女は空の一点を見つめて叫ぶように唇を大きく開いていた。

 天に向かい何かを訴えかける表情は、彼女が捧げた想いの一心さを余すところなく描写している。


 絶え間ない人混みのなか、キュウタは銅像を見上げたまま五分以上もそこに立ち尽くしていた。


「イリユナ様が珍しいかね?」


 背後からかけられたどことなく間延びした声。キュウタは、はっと振り向いた。

 真っ白なあごひげをたくわえた老人がニコニコとしている。彼がもたれかかっている荷車にはふくらんだ麻袋がいくつも積み重ねられていた。品物をどこかの店におろしにいく途中の一服、といったところだろうか。

 キュウタは笑顔を取りつくろいながらうなずく。

 

「え、ええ、ずいぶん立派な像なので驚きました。フィロマには初めて来たものですから」

「ほう。巡礼かい? ちと季節外れじゃな」


 たるんだまぶたの下の目を丸くする老人。キュウタは肩をすくめる。


「あ……いえ。信者ではないんです」

「ん、そうなのか? ああ、そういやこの辺の連中とは顔の造りがだいぶ違っとるなあ」


 しげしげとキュウタの顔をのぞきこんでくる老人に、少年は片手をひらひらと回す。

 キュウタは一定の警戒を保ちつつ、さりげなく話題を振る。


「ええ、東から来ました。実は人を探していて……フィロマに住んでいるはずなんですが」

「ふむ、誰じゃね? 有名人なら案内してやれると思うぞ」


 老人はあごひげをしごきながらニヤリとする。旅人特有の小銭の匂いをかぎつけたようだ。あわよくば知り合いの宿なりなんなりに連れ込んで紹介料でも取る腹づもりかもしれない。

 キュウタは軽い苦笑いで、できるだけ礼儀正しい態度で応じる。


「名前まではちょっと……人相なら分かるんですが」

「おっと、そいつは大変じゃな。フィロマで人探しってのはタダでさえわらの中の針だぞ」

「覚悟しておきます」


 キュウタは皮袋に入った水を老人に差し出し、たずねるように首をかしげる。にんまり笑ってそれを受け取り、一口飲んだ老人がぷはっと息を豪快に吐き出す。歳に似合わぬ壮健さに、少年は思わず微笑んだ。

 キュウタが広場のまんなかに立つ銅像を振りあおぐ。


「ここは『イリユヌス教』を信仰されているかたが多いんですか?」

「まあな。フィロマに住んでる人間で、聖女イリユナ様に足向けて寝られる奴はおらんわな」


 手に持った枝で巨大な銅像を指す。とうとうと語る老人の口調はどこか誇らしげである。


「昔々、このあたりは人間が神さまからくだされた『罰』のせいでひどい土地でな。畑どころか井戸も掘れねえとこばっかだった」


 そう言って、ひょいと皮袋をキュウタに放り返し、手の甲で口元をぬぐう。老人の視線は銅像をまぶしそうに見上げている。


「で、ある時それを見かねたイリユナ様が、自分の体に剣を突き刺して天に祈ったわけだ。『人々をお許し下さい』ってな」


 いきさつを聞いてみると、像の女性の表情もまた別の意味をもつように思えてくる。老人の視線を追ったキュウタが素直に感嘆の声を漏らした。


「なるほど。あの像がその場面なんですね」

「そういうこった。イリユナ様がみずからの『命』で罪をあがない、最後には神さまに『許す』と言わせたって寸法よ。御自分ごじぶんの命と引き換えにして、ここを豊かな土地にして下さったんじゃな」


 老人はふうとため息をついて背後の積み荷の状態をざっと確かめる。もう休憩の時間は終わりらしい。

 荷車の支木しもくを持って歩き出そうとした老人が、ふっとキュウタに振り向く。


「異国のにいちゃんに豆知識を一つ教えてやろう。『イリユヌス』ってのは昔の言葉で『イリユナの血』って意味だ。信者でも意外に知らんやつが多くてな」


 得意げな表情が、深い皺のすき間に現れる。彼があちこちで披露している、とっておきのネタなのだろう。その光景を想像したキュウタから思わず笑みがこぼれる。


「へえ……勉強になりました。お話が聞けて良かったです」


 ニヤリと笑った老人が、えっちらおっちらと荷車を引いて去っていく。ふっと息をついたキュウタは苦笑しながら反対側へ視線を向ける。

 宿や商店が並ぶ地域へとくだる、長い石段の途中にサザレが座っていた。少女は瞑目めいもくしたままじっとその場で意識を集中させている。


 キュウタはサザレの意識を乱さないように静かに石段を降りていく。背後に立った少年の気配に、サザレはゆっくりと目を開けて振り向いた。


「見えました。『酒場』です」





 酒場の中は薄暗く静まりかえり、厨房で店主が片付けをする物音がひっそりと伝ってくる。

 

 うとうとと頭をゆらす大柄な男は椅子に浅く座り、両足をテーブルの上にどっかりと載せている。夜通し何度となくお代わりを注がれたかたわらのさかずきが男の居眠りの一因だろう。

 テーブルに幾山いくやまにも積まれた様々な分野の本は、男の好奇心の幅広さを示している。


 相変わらず目覚める様子のない彼の腹の上には、一冊の本が伏せられている。何千年も前に、遠い異国で書かれた『数』についての書。

 数ヶ月前に古書商人の店でこれを見かけたときに、男の脳裏に天啓のごとく閃いたものがある。それは世界を変えうる可能性を持っていると彼は確信していた。

 だが、完全な形に作り上げるにはまだ何かが足りない。

 

 足りないものの正体がまるで見当もつかなかったので、彼はこうして酒をあおって眠っている。

 解けない問題はったらかして、答が向こうからやってくるのを待つ。それが彼のやり方だった。

 

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