第三章 家なき歌姫 (終)
夜の森に怒声がこだまする。
「あそこだっ! 殺せえっ!」
森の中を走る人影に向けて、地上で円陣を組む弓騎兵たちが次々と矢を射掛ける。複数の素材を組み合わせて威力を高められた弓から放たれる矢。それは堅い木々の幹だろうが深々と突き刺さるほどの貫通力を持つ。
だが眼前の相手はそれを上回る。人影は木と木の間を稲妻のごとき疾走で駆けぬけ、降りそそぐ矢の雨を置き去りにした。まばたきする間に視界から消え去る異常な脚力。戦い慣れた弓騎兵たちでさえ弓の狙いが定まらない。彼らの声に怯えがまじっていく。
「当たらねえっ! なんなんだあの足は!? バケモンかぁ!?」
化け物。それはけっして誇張された物言いではない。
夜闇の中で現れたり消えたりを繰りかえし、蜃気楼とさえ見まがう神出鬼没な人影。それは速度と殺傷力の双方において、兵たちを完全に圧倒している。
一つ矢をつがえるたびに、左にいたはずの人影が右の仲間の喉を切り裂いているのだ。
走っている最中の馬の足を切り落とすという、悪夢のような初撃。そこから始まった謎の敵からの襲撃は、降伏すら認めない無慈悲な刃が下す裁定である。
「な、なんとかして、こっから逃げねえと。なあ……あれ? おい、みんなどうした?」
そして兵はようやく現状を把握した。
少し前から月には黒々とした雲がかかり、不気味な暗黒が森のなかに立ちこめている。十人近くいたはずの仲間が一人減り、二人減り。いつの間にか自分以外の全員が体と頭を切り離された死体になって、まわりに転がっている。
物いわぬ骸と成りはてた仲間たち。あたりを見回し呆然とする兵は、たった一人ふらふらと立ち上がり、腰の剣を抜きだした。そして背後に現れる凄まじい殺気に総毛立つ。
兵は振り返り、獣のように吠えてがむしゃらに剣を振り回す。だが、相手は風を受け流す柳のようにその刃をたやすくかわした。
やがて雲がすうっと流れ、月明かりの下に現れた殺戮者の顔。それを見た兵は心の底から驚愕し怒りに震える。
「ふ、ふざけんじゃねえぞ、てめえ……」
目の前に立っていたのは年端もいかない小柄な少女。茶色まじりの黒い長髪がさらさらと揺れている。こんな相手に無敵の騎馬軍団がいいようにあしらわれていたのだ。
少女の青い瞳と、彼女が両手で無造作に持つ細身の二刀。それが暗闇のなかで不気味な輝きを放つ。
最後の意地とばかりに咆哮し、少女に向かって剣を振り上げた兵。だがその剣が振り下ろされることはなかった。一閃された刀によって切り離された兵の頭と両腕と残りの体が、どさどさと音を立てて地面に転がる。
木の陰からひょいと顔を出したキュウタが、サザレの隣に歩み寄る。周囲の地面に散らばる、人間だった物の残骸。それを見回しながら、キュウタは単調な作業に飽きた者の表情で頭をぽりぽりとかく。
「そろそろ、あらかた片付いた計算なんだけどな……」
「そうですね」
こくりとうなずくサザレが、周囲の気配に耳をかたむける。
キュウタが狩人として夜の森のなか、半径数キロの範囲に仕掛けた『罠』。それは地上付近、馬の足の高さに合わせ、原初魔法を使い『硬化』させた『空気の層』である。
いずれも地面に平行に、そしてごく『薄く』硬質化されている。
カミソリよりも鋭く頑強な刃となった空気の層が、そこを駆け抜ける馬たちの足を切断したのだ。
不可視の罠にかかり、そして上げられる馬の悲鳴や投げ出された敵兵の物音や悪態。自分たちの存在と位置をすすんでアピールした彼らは、やがてもう一人の狩人サザレの餌食となるのだ。
夕暮れから真夜中まで続いている『流れ作業』。それは着実に敵の数を削りとっている。研ぎすまされたサザレの聴覚もそれを裏付けていた。
「キュウタ。他にまとまった数の敵は無さそうです」
「後詰めがいるとすれば、森の向こうの平場か」
ふむ、と一思案したキュウタ。
そしてサザレに半ば覆いかぶさるような姿勢で、彼女が両手に持つ刀に軽く指をそえた。ここぞとばかりに体をすり寄せてくるサザレを苦笑いで引き剥がしつつ、彼は刀身に『硬化』魔法を再度かける。サザレの卓越した技量が加われば、その刃は鉄塊すらバターのように両断することができるだろう。
刀から指を離し、サザレからも一歩だけ距離を開けるキュウタ。
「こんなもんかな。二時間くらいは硬化状態が維持できると思う」
スキンシップの時間は、あっという間に終わった。どこか不満げな顔のサザレが円を描くように刀を軽く回す。表面にこびりついていた血がきれいに振り払われ、ぱたぱた音を立てて地面に点描を作っていく。
「ありがとうございます、キュウタ」
刃こぼれ一つ無い輝きに、サザレがあどけない笑顔でキュウタを見上げる。
少年の罠と少女の刀による一方的な掃討。この繰り返しは今夜すでに四十回を越えていた。だがキュウタもサザレも息ひとつ乱さず、傷を負うどころか返り血すら浴びていない。
キュウタとサザレが人と戦い、人を殺す行為。
その理由は正義や義憤とはもちろん別の場所にある。
キュウタが魔族に復讐し、人類を救うための歴史改変プロジェクト。『魔族』と対等に戦える未来を創るために、二人は『人類』と戦う。未来に救われる人命と、今の時代に失われる人命。冷たい足し算引き算が示す答は常に正しく、そして矛盾に満ちている。
キュウタとサザレに罪悪感は無い。だが感情を無くしたわけでもない。楽しければ笑うし、悲しければ泣きもする。誰かを愛しく想うこともある。心の物差しは人それぞれ全て形が違う。
彼らは死体を一山ずつ築き上げながら、森の道を敵陣の方向へと踏み入っていく。二人が通り過ぎた道のりには『死』だけが残されていた。
殺戮の夜は、まもなく終わるだろう。
◇
サザレの青い瞳が、今夜最後の標的を見つけた。
「キュウタ」
「ああ」
少年もそれにうなずく。
キュウタとサザレが森を抜けた広い草地にテントがずらりと並んでいた。少し離れたところでは十人ほどの遊牧民たちがたき火を囲んでいる。ここから見るかぎり、テントの内部はどれも静かで人の気配はない。
ここは森を先行していた弓騎兵たちの休憩所だった。数日後には兵站を担う遊牧民の女子供や老人も到着し、一大宿営地を作る段取りなのだ。
そしてやがては遊牧民たちが王国の喉元に刃をつきつけるための足がかりとなるだろう。
たき火を囲んでいた遊牧民たちが、キュウタたちに気付き腰を上げる。離れた場所からでも彼らの放つ殺気を感じることができた。剣を腰に下げ弓に矢をつがえたまま、彼らは少しずつ左右に散開し、キュウタとサザレを取り囲んでいく。
遊牧民たちのぼそぼそとしたやり取りがキュウタの耳にも届く距離だ。
「仲間じゃねえよな? どうする?」
「めんどくせえ、やっちまえ」
半円を描くように二人を囲んだ遊牧民の一人、血の気の多そうな小柄な男がキュウタに矢を放った。固い何かに弾かれる音とともに、矢は当然のごとく地面へと落ちていく。
「あぁ? なんだ?」
「わ、分かんねえ。いいからバシバシ撃てや」
月明かりの下でそれを目撃した男たちがざわめき、次々と矢を放ってくる。だが全ての矢はキュウタたちの足元にぼろぼろとむなしく落ち転がるだけである。
ふれることすら叶わない超常の相手に、敵兵たちが自身の立場を理解し始める。狩られているのは自分たちであると。
自身とサザレの周囲の空気を『硬化』で盾としながら、キュウタは相手の背後にも空気の『壁』を作り出した。
「な、なんだよ……このガキども」
「おい、ちょっと下がろうぜ」
「だな……あ、あれ? 何だこりゃ?」
敵兵が異常に気付くのは、全てが手遅れになってからである。矢を撃ち尽くして後退しようとした彼らは、背後に突然出現していた透明な壁に退路を阻まれていた。全員が恐慌し悲鳴を上げ、パントマイムの演者がおどけるような動きでぶざまに逃げ惑いはじめる。
「な、なんで進めねえんだよ!?」
「ひっ、き、来やがったっ!!」
「ば、バカ、押すんじゃねえ!!」
サザレが何も言わずに刀を抜き、抵抗する暇も与えず彼らの喉を切り裂いていく。キュウタはそれをだまって見つめていた。
やがて全ての獲物は二人の少年少女によって狩り尽くされる。
夜空の下、動いているのはたき火の炎だけ。
キュウタが小さくため息をついた瞬間。
彼の真後ろから、唐突に空気を切り裂く音が現れる。
そして矢が『空気の盾』にはじかれる、ひときわ高い響き。
微塵の動揺も浮かべていないキュウタが、ゆっくりと振り向く。
森と草原の境界に立っていたのは、弓を構えた大柄な体格の青年。キュウタが五年前に見た時よりも、さらに逞しくなっているかもしれない。
「てめえら、なんなんだよ」
ジャドゥは瞳に怒りと驚愕を浮かべていた。おそらく森に入って仲間たちの死体を見たのだろう。頬がわなわなと震えている。
キュウタは静かに語った。少年の瞳は確固とした意思に満ちている。
「あの町を落とさせるわけにはいかない。今、王国を弱体化させるわけにはいかないんだ」
「お前、王国の手先か」
「僕は誰の手先でもない。自分のやるべき事をやっているだけだ」
ジャドゥは立ち尽くしたまま目を伏せ黙りこむ。キュウタの言葉の意味を考えていたのかもしれない。やがて彼は顔を上げ、目を血走らせながらゆっくりと歩を進めはじめる。
まっすぐな視線が矢のようにキュウタを刺した。
「三年前、王国が北に兵を出したのを知ってるか」
「うん。知ってる」
弓を地に放り捨て、ジャドゥは腰の剣をすらりと抜いた。キュウタの前に出ようとするサザレを、少年は無言で制した。
これは自分がすべき仕事なのだとキュウタは思う。
ジャドゥはキュウタの正面で立ち止まり、ゆっくりと剣を胸の高さに持ち上げる。その切っ先は正確にキュウタの顔を向いていた。
「その戦でボロ負けした王国兵が逃げ帰る途中、そいつらは俺の部族を襲いやがった。腹のたしに家畜を奪うついでに、みんな殺された」
ジャドゥは吐き捨てるような声をもらし、剣をキュウタの鼻先に突きつける。両手を下げてその場にじっと佇むキュウタは眉一つ動かさない。刃先はキュウタの数センチ手前で怒りと絶望に震えている。
「男は、ただ殺された。女は犯されてから殺された。俺の家族も、ナラガン族長も。タアルの家族も虫けらみたいに殺された。だから今度は、俺が王国を殺してやる番だ」
それはキュウタが過去に『転移』する前に過ごしていた世界で、そして転移してから約二十万年を経験してきた中で、何度も見てきた『感情』だった。
今のジャドゥのような感情に支配された者を、キュウタは数えきれないほど見ている。そして彼らのほとんどは同じ結末を辿った。
あるいは自分もそうなるのだろうかと、少年はふと思う。
理解してもらえるわけもないが、キュウタは事実をありのままにジャドゥへ伝えることを選ぶ。
「今、王国が遊牧民に疲弊させられると、後の歴史に支障がでる。人類全体に危機が及ぶ可能性があるんだ」
「ああ!? 歴史だとぉ!? わけわかんねえこと、言ってんじゃねえっ!」
ジャドゥは激怒に顔面を紅潮させ、剣を振りかぶる。その瞳にはもう何も映っていない。もし彼が剣と怒りを収められたなら、別の未来が生まれるのかもしれない。しかし、それは儚い希望だろう。
心を焼くような『復讐』の炎。
キュウタ自身、二十万年近い時間の中でさえ、その感情がまるで薄らいでいないのだから。
無駄だと思いつつ、キュウタは最後の警告を出す。
「君は僕には勝てない。分かってるだろ」
「ああ」
ジャドゥは、ぽつりと言って、剣をキュウタの頭に叩きつけた。
◇
草原に膝をついて座り込んでいるジャドゥ。
その前に立つキュウタの右手は貫手の形をとり、手首のあたりまで真っ赤な血にまみれている。
彼の頭には当然傷一つついてはいない。
笛のような呼吸音をさせながら、ジャドゥがゆっくりとキュウタを見上げる。顔からは血の気が失せ、体が小さく震え始めていた。ジャドゥの脇腹に出来た傷は、内臓の奥深くにまで達している。もう長くはもたないだろう。
ジャドゥが全てを悟ったようにつぶやく。
「お前……俺の部族が……滅ぶのを……知ってたのか」
「うん」
視線を上下にさまよわせ、ジャドゥは何かの記憶をたどろうとするようにまばたきをする。
「だから……タアルを連れ……出したのか」
「うん」
大きな体がふらつき、草原の上にどさりと横たわる。その瞳は、うつろな黒に塗り潰されていた。
「……お前は……悪魔だ……」
キュウタがそれに答えようとした時、すでにジャドゥは死んでいた。
◇
二日後、王国からの増援が到着し、町の住民は安堵する。
森の向こうに布陣する予定の増援隊は装備も整っている。主力である弓騎兵を撃破した現状なら、間もなく現れるであろう遊牧民の後方部隊を難なく追い払えるはずだ。
指揮官は増援隊の前で胸を反っくり返らせるのに忙しいのか、キュウタたちの前に顔すら見せようとしなかった。
申し訳なさそうな顔をする補佐官を少年は苦笑いでなだめる。
補佐官は死体を片付けに森に入る兵たちの後ろ姿を見ながら不安そうに言う。
「ですが、これで終わるとも思えません」
キュウタはその横でいつものように肩をすくめた。
「守ってみせますよ。百年でも二百年でも」
魔術士と呼ばれた少年の言葉は史実となる。
砦は今後、一世紀以上に渡って遊牧民族の進攻を阻止し続ける鉄壁の前線基地となった。その立役者として二人の少年少女の存在がこの地に伝承されている。
だが、あまりに荒唐無稽な逸話であるため、後世の歴史研究者からは信憑性のある記録として認められていない。
◇
夜の港町はひっそりと静まり返り、昼間は雑踏にまぎれ聞こえない波の音があたりに忍び寄っている。
遠い異国の地から口伝えされる、遊牧民と王国の激しい戦いの噂。それはほどほどの酒の肴として町の人々の話題になり、やがては日々の雑事の向こうにゆっくりと忘れ去られていく。
とある民家の寝台の上、一人の女性が胸に赤子を抱いて座っていた。彼女の瞳は授かったばかりの小さな命を優しく見守っている。
やがて女性の唇から『歌』が穏やかに紡がれだした。
タアルは母親のまなざしで、すやすやと寝息を立てる我が子を見つめる。
彼女はその歌を、ただの子守唄がわりとしか思っていない。
だが、そこに秘められた『本質』は、きわめて深遠で含蓄に富んだものだ。
タアルが幼少の頃からたった一人でゼロから作り上げた『歌』の言葉。それはどこの民族や国にも属さない、完全に独立した言語体系である。
特殊な発声から生じる音素の複雑な組み合わせは、とある法則への干渉手段である。
これは原初魔法へと強制変換される直前の『魔力』を、『純粋な魔力』として取り出すためのアクセスキーなのだ。
これは遠い未来、魔法の基本原理として重要な柱の一つとなる。
『呪文』である。
彼女が口ずさむ『歌』が呪文の原始的な形であることに、タアル本人ですら気付くことは無い。
今後、タアルの歌は何百年も人から人へと歌い継がれていく。この歌が持つ本当の意味を理解できる人間が現れるまで。
そしてその日こそ、人類の魔法の発展が始まる日になるのだ。
だが今夜のタアルは我が子のためだけに歌う。草原で暮らしていた日々と、家族や仲間を思いだしながら。
果てしない大地の上で生まれ、帰る場所を失った歌姫の囁くような声。
それは静かに夜闇に舞い上がり、星々の間に吸いこまれるように消えていった。




