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第三章 家なき歌姫 (3)

 空が夕焼けに染まりかけた頃。草原では部族全員が集まり、にぎやかなうたげが開かれていた。


 パチパチと、はぜる火の粉が空に舞い上がる。大人も子供も皆、暖かなたき火を中心に寄りそいながら、たがいのきずなを強固なものとして確かめあう。


 やがて彼らの部族だけに特別の、誰もが待ちのぞむ瞬間が訪れる。それに不可欠な人物が一歩まえに出ると、たき火の明かりが夕闇のなかに影を浮かびあがらせた。


 タアルは大きく深呼吸をして、胸の前で両手を組んだ。


『歌』はどこまでも続く低音から始まる。


 またたきはじめた星に誘われるように、タアルの声は少しずつリズムが上がり、情熱的な色を帯びはじめる。

 それを歌詞と呼ぶべきかは分からない。言語として意味のある音ではないのだから。だが、少女の唇からひたむきにつむぎだされる声の響きは、それを聞く者の心と体を確かに揺さぶり包んでいく。


 やがて旋律は最高潮に達する。

 身を焼くような熱情、それを全て受け止めるいつくしみ。寄せては返す波のごとく人々の耳を打つハーモニーは、とても一人の声とは信じがたい。

 生きとし生けるもの全てへと向けられた賛歌。高らかに歌いあげる少女の顔は紅潮し、ひたいからは汗が幾筋いくすじもしたたり落ちている。


 そして終演が近づく。ゆるやかに絞られていく声が、皆の顔をなごり惜しそうに曇らせる。

 星空に吸いこまれた流星のような余韻よいん

 それだけを残して歌は終わった。


 一拍の静寂ののち、喝采かっさいが巻き起こる。


 にっこりと微笑ほほえむタアルに横から馬乳酒ばにゅうしゅが手渡された。喉をうるおしている少女を見ながら、ナラガン族長が大槻キュウタに自慢げな顔でささやく。


「どうよ、客人。たいしたもんだろ」


 キュウタは興味深い視線を向けたままうなずいた。


「ええ。驚きました」


 彼は本当に驚いていた。その『歌』からは『魔力』が発現していたのだから。





 人の輪から少し離れたキュウタとサザレ。二人は、他の女たちと共に宴の後片付けをしているタアルを見ていた。


「『原初魔法』とは少し違う感じだな」


 キュウタのつぶやきにサザレが唇に指をあてて目を閉じる。


「確かに『魔力』の発現を感じました。ですが、何らかの魔法が発動していたようにも見えません。あれは何というか……」


 口ごもるサザレに、キュウタがぱちんと指を鳴らした。


「『なまの魔力』がそのまま吐き出されている?」

「ええ。そんな印象ですね」


 それはキュウタとサザレでさえ『不可能』な作業だった。二十万年近くに渡って魔力の鍛錬を行い、原初魔法を使う経験を積んできた彼らをもってしても不可能なのだ。


 発現した魔力は、『問答無用』で原初魔法へと変換される。二人が長年その身で経験してきた魔法の常識だ。


 彼らにとっての『魔力の発現』とは『原初魔法の発動』とイコールである。これは意思の力で制御できる次元の話ではない。おそらくは魔法の根本原理に関わるものなのだろうと、キュウタとサザレは経験的に結論づけていた。


 だが、タアルは言わば『純粋な魔力』を『歌』によって取り出してみせた。彼女の『歌』は、キュウタたちが二十万年かけても見つけられなかった未知の領域を切り開いているのだ。


「タアルの『歌』が無い未来では、魔法は今以上に発展しないんだな?」

「はい。彼女が二年後に歴史から消えた場合、人類の魔法技術が進歩する可能性は『ゼロ』です」


 サザレの『未来視』がその予想を外したことは今まで一度たりとも無い。キュウタは遠くからタアルの笑顔を見つめたまま確信する。

 この一見なんの変哲もない遊牧民の少女が、遠い未来の人類を救うのだ。


 千五百年後に迫った、人類存亡を賭けた魔族との戦争。

 タアルはその『鍵』を握っている。

 しかし彼女自身がそれに気付くことはないだろう。





 真南にある太陽が、一面の草原をいつもと変わらず照らしている。


 こまごまとした仕事の帰りみち、タアルは一人の少女が舞っている場面に出くわした。


 サザレは茶色がかった黒い長髪をたなびかせ、草地を蹴って高々と跳躍した。その両手には抜き身の刀が握られている。

 大人の頭を軽々と飛びこえられるほどの高さに舞い上がり、サザレの体がくるりと回転する。着地のタイミングに合わせて振り下ろされた二刀の風圧が、彼女の周囲の草を放射状にかしがせた。


 ゆらりと立ち上がったサザレが正面に向かって刀をX字に構える。次の瞬間、タアルの視界からサザレが消えた。

 予備動作なしに一瞬で五メートル以上の距離を駆け抜け、仮想上の敵の首を白刃はくじんが刈り取っている。


 サザレの動きは止まらない。だがその動きは一様ではない。一輪の花のようにたたずんでいたかと思えば、タアルがまばたきした刹那せつなには稲妻のような疾走。流れる水のように体をしならせていたかと思えば、深く根を張った大樹のような構えが出現する。


 静と動、柔と剛が織りなす舞。その一挙手一投足がサザレの体から汗を飛び散らせ、太陽の光を受けてきらめいている。


 息をするのもはばかられた。見入っている自分の頬がすこし熱くなっている。それを自覚したタアルは妙に心臓を高鳴らせてしまう。

 タアルの胸の鼓動が届きでもしたのか、サザレがふと舞を中断した。


 二人はいつの間にか声が届く距離にまで近づいている。

 サザレはわずかに乱れた呼吸を整え、タアルに向きなおった。


「何?」


 ぞんざいに向けられた言葉に、タアルは思わずどきりとする。


「あ……いや、ごめん。邪魔するつもりじゃなかった」

「別に邪魔じゃない」

「そう……ならいいけど」


 サザレが刀を腰のさやにおさめる小気味いい音が鳴る。彼女は地面に畳みおかれていた白いローブを取り上げ、肩から羽織はおった。その下に隠れた細身の二刀をのぞきこんで、タアルの口から素直な感想がもれる。


「結構やるじゃん。剣とか好きなんだ?」


 サザレはローブのえりもとから布地を引っ張りだして口元をおおう。


「私はキュウタのような力が無いから。キュウタの足手まといになりたくないだけ」

「ふーん。そういや、あいつ意外に強くてびっくりしちゃった。ジャドゥを子供みたいにあしらうなんて、あいつ軍人か何かなの?」


 そこで、タアルはふと見た相手の表情が妙に険しくなっていることに戸惑う。

 サザレがぽつりと言う。


「キュウタ」

「……え?」

「キュウタ。あいつ、なんて名前じゃない。あと『キュウタさん』って呼んで」


 先ほどまではいくさの女神かと見違えたほどの美少女が、突然ただの面倒くさい小娘に変貌へんぼうした気がする。

 自分は夢でも見ていたのだろうか。タアルは頭を押さえて半眼はんがんをサザレに向けた。


「それは断るわ」


 きっぱりと言い切ったタアル。

 サザレは不満げであったが、別段しつこく絡むつもりもなさそうだった。

 タアルは両手に腰をあてて首をかしげ、サザレを見下ろした。身長は自分の方が少しばかり上である。妙な優越感が、声色こわいろも一段上に引き上げていた。


「あんたたちさ。なんで私を買いたいなんて言うの? わざわざこんなとこまで出向いて。働き手なら、もっといいのが近場で手に入るんじゃないの?」


 サザレの起伏のない声が返される。


「知りたければ、あなたが自分で確かめればいい。それを選ぶことが許される場所に、あなたは居るんだから」


 むうと唇を結んだタアルが腕組みをしてにらみつける。


「あんた、それって無責任じゃない?」

「自分で自分の運命を選べるのは、幸せの一つのかたちだと思う。そうできなかった人をたくさん見てきたから」


 空のように青い瞳。どこか寂しげな視線は空虚に色づく。自分よりも三つ四つ下のはずの少女が、タアルには妙に大きく見えた。


 サザレは、もう言うことはないとばかりに目を閉じ、髪をかるくまとめる。そしてローブの襟からさらに布を引きだして頭を完全に覆い隠した。

 彼女がタアルに背を向けて立ち去る直前、ちらりと向いた青い瞳が歳相応としそうおうの少女のものに戻る。


「それから、私はサザレ。あんた、なんて名前じゃない」





 遊牧民たちの宿営地からほど近くにある小川。そのほとりでキュウタが座禅を組んで瞑目めいもくしている。

 

 魔力の鍛錬。

 もはや彼の本能の一部のようになっている行為である。キュウタも当初は誤解していたのだが、魔力とはコップに貯められた水のようなものでは無い。


 魔力とは言わば、『バネ』のようなものである。


 つまり魔力の『強さ』とは、押し縮められたバネが復元する力にたとえることができる。

 また、バネは伸縮を繰り返す内に徐々に『疲労』し亀裂が生まれたりもする。あるいは限界を越えて無理やり押し縮められれば形もゆがみ、十分な『強さ』を失うだろう。


 劣化したバネ部品をさらに酷使すれば機械本体にダメージを与える。つまり限度を越えた魔力の酷使は、術者の命を削る行為なのだ。

 逆に言えば、『疲労』が生じない安全マージン内での『強さ』の魔力ならば、文字通り無限に発現させることもできるだろう。


 バネの復元力である『強さ』、そしてバネの使用状況から生じる『疲労』への耐久度。

 その二点を高めることが、『魔力の鍛錬』なのである。


 そして、物理的な材質の強度や構造によって性質が定まるバネと違い、魔力は『無制限』に鍛錬することができる。

 キュウタやサザレのように『不老』を利用して二十万年近く鍛錬された魔力の強靭さ。それは一体どれほどの境地に達しているのだろうか。

 それを測る手段は、この時代ではまだ確立されていない。


 背後で小枝を踏む音。それがキュウタの集中を中断させた。

 座禅を崩し、少年は座ったまま体を回して相手に微笑みかける。


「何?」

「あんたたち、反応がそっくりね……」


 息を吐き出してあきれるタアルに、首をかしげるキュウタ。


「へっ? そっくりって?」

「こっちの話。座っていい?」

「もちろん、どうぞ」


 タアルは目だけで形ばかりの謝意を示し、キュウタの前にあぐらをかいた。地面につけられた彼女の手は、そぞろに草葉の先をいじっている。

 興味深げにみつめるキュウタをちらちら見返しつつ、タアルはぽつぽつと口を開く。


「あのね……町で暮らすことに興味はあるの。だから、ちょっと話を聞きたくて」

「いいとも。心配なこともあるだろうからね」


 そして口を開きかけ数秒かたまっていたタアルが、やっとのことで言葉を絞り出した。


「その……どうして私なの?」


 キュウタは手をひらひらと回して、肩をすくめる。なんとなくだったが、タアルには正直に話してみるのが正しい気がしていた。


「僕はある仕事をしている。その仕事に君の『歌』が必要なんだ」

「は? どんな仕事よ、それ」

「悪いけど詳しく教えることはできない。でも嘘は言ってないよ」


 髪をがりがりとかきむしって、タアルが苛立つ。


「よく分からない。歌うだけなら、テントや部族のみんなと一緒にいたっていいじゃない」

「君の歌には価値がある。もっとたくさんの人に聞かせるべきなんだと、僕は思う」


 姿勢を変えたタアルがひざを抱え、キュウタを上目づかいに見る。まだ不安をぬぐいきれていないのだろう。


「……私が行く町って、どんなところ?」

「港のある、きれいな場所だよ。使ってる言葉も君たちと近いから不便なことにはならない。そこの商人が働き手を探してるんだ」

「商人? 私、商売なんてしたことないわよ? 字だって読めないのに」


 げんなりしたタアルの顔に、キュウタが笑って返す。


「ええと、その人は店をいくつかやってて、その手伝いを欲しがってるんだ。たしか酒場もあったな。歌を披露するにはちょうどいいんじゃないかな?」

「……ほんとに私なんかでいいのかな。迷惑じゃないのかしら」

「その商人は昔から知ってるけど、いい人だよ。それは保証する」


 タアルは黙りこんだまま、しばらく足元を見つめ続けていた。





 タアルの旅立ちは、部族が宿営地を離れる前日の朝だった。


 少女は両親にきつく抱擁ほうようされたあと、弟を思いっきり抱きしめてやる。そして全てのテントを周り、部族の仲間たちと最後の言葉を交わす。

 ジャドゥはふくれっつらのままだったが、タアルが一言二言声をかけると、苦笑いをして自分の胸を叩いた。


 ナラガン族長はキュウタから受け取ったコイン袋の中身を、タアルの家族と部族全体に正しく配分してくれるだろう。


 少しばかりの日用品を背に積んだ馬。その手綱を引き歩き、タアルはキュウタとサザレが待つ丘へとおもむいた。

 白いローブをまとったキュウタが最後の確認をする。


「それじゃ、行くよ」


 小さくうなずき、歩き出したタアル。夜になるまで彼女は一度も振り返らなかった。


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