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序章  分岐点に立つ少年 (1)

 すべての人生には分岐点がある。


 そしていま、少年も分岐点の真上にいた。

 だが彼は自覚していないだろう。


 なぜなら彼の人生は毎日が『生と死』の分岐点なのだから。


 そんなこととはつゆ知らず、少年は地べたに座りこんでいる。コンクリートのガレキの陰で、汚れた手には握りめし。彼は貴重な食料を一心不乱に食べていた。


 かたわらの自動小銃は使いこまれ、無数の傷や汚れがついている。それは彼がくぐり抜けてきた戦場の記憶にほかならない。

 指についた飯粒めしつぶをついばみながら、少年がのんびりした声でたずねた。


「あのさ、今日で何日目だっけ」

「あ? うーん、六日……いや、七日だな」


 答えた友人は少年とコンビを組んで十年近い。双眼鏡でガレキのすき間から周囲を見渡す姿は手なれたものである。二人一組で行われる、敵地深くへの偵察行動。それは予定の後半にさしかかっていた。

 ジャージと作業服を機能性のみの理由から着あわせた二人。お世辞にも立派な『兵士』と呼べる身なりではない。


 そんな格好の少年たちが戦場に駆り出されている。それは今の人類が崖っぷちにある何よりの証拠と言えるだろう。

 腹の虫を「ぐう」と盛大に鳴らした友人が、ため息をついて少年の隣に座った。


「最近、肉食ってねえよなあ」

「この作戦が終わったら、特別に配給増えるみたいだよ」

「生きて戻れりゃ、な」


 皮肉たっぷりに片眉を上げた友人に、少年は茶目っけのある笑顔を向けた。


「僕が死んだら、配給分は君にあげるよ」

「ははっ、そいつは楽しみだ」


 命をネタにした軽口のやり取りが、少年たちの心の安定剤になっている。隣りあう『死』と折り合いをつけて生きるための知恵だったのだ。

 友人がガレキの間から空を見上げた。灰色の雲と鉛色の廃墟が視界を埋めている。


 ここはかつて国の首都として栄えた場所だった。だが、その面影はもはや無い。天を突くようにそびえていた高層ビル群は中ほどでへし折られ無残な姿をさらしている。街じゅうに張り巡らされていた道路はアスファルトごとズタズタに切り刻まれている。

 ここは、まったくもって静かだった。少年たち以外に生きている者がいないのではと思わせるほどに。


 その時、『声』が廃墟となった街に響いた。

 

 まるで鳥と人を混ぜたような、狂ったようにわめきたてる声。一度聞いたなら決して忘れられないだろう。そしてそれこそが世界を破壊しつくそうとしている『敵』の声だった。

 くつろいでいた少年たちが一瞬で『戦士』の顔に切り替わる。自動小銃をすばやく構えて壁に寄り、気配をさぐる目と耳に死角はない。

 物音ひとつが死を招く。

 壁のはしからゆっくりと顔をのぞかせた少年たちは『それ』を見た。げんなりした友人がそっとささやく。


「おいおい……うじゃうじゃ出てきやがったな」


 少年は軍基地で耳にした情報をふっと思い出した。


「大陸のほうで交戦回数が減ってるのって、これのせいじゃないかな?」


 数えきれないほどの『魔族』の集団が、空をゆっくりと旋回している。


 背にコウモリのような翼を生やした、人間の形に似た異形いぎょう。墨を流したように黒い肌の魔族たちが、灰色の空に黒いうずを描いている。夜空の銀河を白黒反転させればこんな感じかなと少年は感想をいだく。


 こんなに多くの魔族を目撃したことは、少年たちの経験には無い。

 それは当然だろう。軍には魔族との戦闘記録が数多くある。だが、せいぜい五、六体の魔族がゲリラ的に襲いかかってくる事例しかなかったのだ。

 しかも数体の魔族相手でさえ、人類は百人規模の軍隊を動員して相討ちに持ちこむのが精一杯、というありさまである。


 その時、空をうごめく無数の魔族の群れのなかから、小さな光球にみえる『何か』がいくつもはなたれた。それは魔族たちの手のひらや指先、あるいは口から発射されたものである。

 高速で飛行する光球は、ゆるやかな軌跡をえがいて地上へと到達した。


 そして廃墟のあちこちで巻き起こる無数の『爆発』と轟音。

 少年は爆発音の位置関係を記憶のなかの都市地図と重ねる。 


「僕らに気付いた感じじゃ無いね」

「だといいけどな」


 当たれば即死は間違いない。恐怖と震動が四方八方から少年たちの感覚をびりびりと責めたてる。彼らの数メートル先に着弾した光球が地面をえぐり小石や土を飛び散らす。


 二人は思わず身を縮め、自分の頭上に光球が降らないように祈る。

 人類が現代兵器をおしみなく投入しても魔族に勝てない理由。それがまさに『これ』だった。魔族が振るう力は、非常に強力なほこであり盾である。人の技術が生んだ武器などはほぼ、あるいは完全に無効化されてしまっているのだ。


 数十年の戦争のなかで人類は思い知らされた。町は破壊され、家族は殺され、希望は絶たれた。残酷な現実が、魔族と自分たちの力の差を嫌というほど骨身に叩きこんだのだ。

 地響きで小刻みに震えるガレキの陰で、友人が舌打ちをする。


「クソが」


 彼の悪態が届いたのか、あるいはひとしきり暴れまわって魔族たちの気がすんだのか、光球の雨はぱっと降り止んだ。そして廃墟は再びひっそりとした空気に包まれる。

 だが魔族たちが立ち去る気配は、まだ無かった。


 二人がじっと見守る中、滞空している魔族たちの上空に光が生まれる。それは空に開いた巨大な『門』であり、魔族たちが長年待ち望んだ瞬間でもあった。

 わめき声のトーンが甲高いものに変わる。魔族の言葉は理解できなかったが、彼らの声が『歓喜』に変わったことだけは少年でも分かった。

 

 魔族たちが高度を上げ、門の前を取り囲んでいく。それはまるで英雄を出迎える民衆の姿だった。

 

 やがて門から一人の魔族がゆっくりと進み出てきた。黒いローブをまとい、他の魔族と比べても明らかに巨大な体からは、凄まじい瘴気しょうきが発せられているように感じられる。

 

 その魔族は宙に浮いたまま、鉤爪かぎづめが鋭く伸びた両手を天にかざす。そして指先に稲妻がまとわりついた手が、オーケストラの指揮者のようなしぐさで振りおろされた。

 同時に空全体が激しく光り、無数の雷が大地へと叩きつけられた。世界を丸ごと揺さぶるような凄まじい大音量に、少年たちは思わず耳をふさいで顔を伏せてしまう。

 

 雷の嵐は一分近くも続いただろうか。やがてその音がやみ、少年たちが恐る恐る壁際から顔をだす。友人の半開きになった口から思わず言葉がもれた。


「おい……冗談だろ」


 土煙の向こうに広がっていた光景に、彼らは言葉を失った。つい先ほどまで立ち並んでいたビルの廃墟たちが木っ端微塵に砕かれ、その跡には地平線の向こうまで更地さらちが広がっていたのだ。

 もし上空からここを見下ろすことができたなら、元首都の西半分が白いクレーターになっているのが分かるだろう。

 少年は友人のポケットをす。そこには携帯無線機が入っている。


「とにかくここから離脱して本部に報告しよう。なにかマズいことが起きてる気がする」

「同感だ。考えるのは俺たちの仕事じゃねえしな」


 こんな恐ろしい相手に人類に勝ち目などあるのだろうか。そう少年たちは疑問を浮かべていた。そして魔族たちがこの場からさっさと立ち去ってくれるのを、彼らはガレキの陰でじっと待ちわびる。少年たちに今できることはそれくらいしか無いのだから。

 だが、二人の願望は聞き入れられなかった。


 神のような力を見せつけた一人の魔族。

 その大きく開かれた口から放たれる声が、空と大地を激しく震わせる。

 

「我は『魔神王まじんおう』。この世界を滅ぼす者である」


 名乗りを上げた魔族の金色の瞳孔どうこうがぎろりと動く。それは少年たちが隠れているガレキの方向だった。

 長年戦場にいる少年たちには、なじみ深い感覚。それが背筋を走った瞬間、友人がぽつりとつぶやく。


「ヤバい」


 少年たちは同時に後ろへ振りむきトリガーを引いた。いつの間にか彼らの背後に一人の小さな魔族が忍びよっていたのだ。その小鬼のような顔にライフル弾が立て続けに命中し、傷口から緑色の体液が飛び散る。


 かん高い悲鳴を上げた魔族が体のバランスを崩した。そのすきに二人は一目散に走りだす。当然の判断である。この程度で殺せる相手なら、人類は滅亡の危機になどあるわけがないのだから。

 友人が走りながら携帯無線機を取り出しスイッチを入れる。

 

「本部! 本部! こちら第三斥候! 現在交戦中! 位置は……」


 少年はその時、はるか上空で魔神王と名乗った者がゆっくりとこちらを指差ゆびさす気配を察知した。彼の視界の中では豆粒のようにしか見えないその魔族。そこから向けられた『殺意』を少年はハッキリと感じたのだ。

 反射的に手近なガレキの陰に体を飛びこませると同時に、迫る危険にまだ気付かない友人へ必死に叫ぶ。


「伏せろおぉっ!」


 魔神王の指先から放たれたビー玉サイズの光球が、数百メートルの距離を一瞬で飛び、少年たちの間近で激しい音を立ててはじけた。その衝撃波で小石や土ぼこりが舞い上がる。

 

 少年は自分の言葉の遅さを後悔した。もう一瞬、もう一瞬早く叫んでいればと。

 

 友人の上半身が爆発し、大量の血が花火のようにまき散らされた。下半身だけになった友人が全力疾走の勢いのまま、細かいガレキの上を転がっていく。

 人生の半分以上、生死をともにしてきた、かけがえのない友人。その残骸ざんがいがびくびくと痙攣けいれんする光景に、少年は怒りとともに歯噛はがみしながら立ち上がった。


「殺してやる」


 自動小銃を構え直し、魔族たちが浮かぶ空をにらみつける。だが、そこに魔神王の姿は無かった。


「貴様に出来るかな? ひ弱な人間よ」


 魂に響くような低い声が背後から投げられる。目を驚きに見開いた少年がゆっくりと振り向いた。

 身のたけ五メートルはあろうかという巨体が、少年を見下ろしている。


 魔神王。その名前を少年は心に刻んだ。絶対に忘れないように。


 何も考えず、少年はトリガーを引いた。魔神王の頭部に命中したはずの弾丸は、そのどす黒い皮膚に傷一つつけられずに跳ね返されていく。撃ち尽くしたマガジンを交換し、再び発砲する。何発も、何発も。


 少年はいつの間にか涙を流していた。怒りと、後悔と、恐怖がぐるぐると心をかき混ぜていく。とっくの昔に全てのマガジンを使い切っていた。

 正気をほとんど失った少年が、トリガーをかちりかちりと引く音だけが静かにこだましている。


「殺してやる……殺してやる……殺してやる……」


 涙や鼻水を垂れ流しながら、取りつかれたように繰り返す少年。魔神王はそれをつまらなそうに眺めていた。

 やがて魔神王は小さくため息をつくと、人差し指を軽く振った。


 少年の体を衝撃が貫く。かくんと頭を下げた彼の視界の中、胴体に無数の光の刃が突き刺さっていた。


 殺してやる。少年はそう言ったつもりだったが、声が出なかった。


 呼吸が詰まり、口から生温かい血が吹きこぼれる。ヒザから力が抜け、少年は大地にあおむけに倒れこんだ。残った力をふりしぼって魔神王に視線を向ける。その顔を絶対に忘れないように。

 殺意に満ちた少年の視線を、魔神王はやはりつまらなそうに黙って眺めている。


 そして少年は自分が『死ぬ』ことを悟る。世界がスローモーションになり、視界が白く染まっていく。全身の感覚がしびれるように薄れ、消え始める。それでも少年は最期まで魔神王の目を、超越者ちょうえつしゃが全てを見下みくだ傲慢ごうまんな目をにらみ続けていた。

 

 その時、優しげな女性の声が、少年の耳の奥に届いた。


『ようやく見つけました。間に合ったようですね』


 五感が完全な無で塗り潰される瞬間。少年が最期に思い描いた光景は、基地で配給された肉料理を友人とともに笑いながらつついている場面だった。



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