サキュバスの誘惑
……TPO、とはよく言ったもので。
彼女の着る衣装は、確かにこの城のメイドが皆着用している制服で、主らと同様、この地方独特の衣装を基盤とした、秋葉原で見かけるような西洋風のなんちゃってメイド服とはまるで別物だ。
彼女が、もっと凹凸の少ないスレンダーな体型なら――もしくは、もっと恰幅のよいの体型であれば、こんなに目のやりどころに困る事はなかったはずだ。
しかし、基本はスレンダーな体型なのに、出るところがあまりにはっきりと出て、逆に引っ込むところはがっつり引っ込んだ、あまりに凹凸に富んだ身体は、どちらかといえば体型の分かりにくいはずの服の上からでもはっきりそれが分かってしまう。
今にもはちきれそうな胸部など、正直同性の咲月ですら直視しにくい。
ましてや、年頃の男の子である朔海は、先程からそわそわと落ち着きがない。
葉月も、朔海より年を重ねている分彼程分かりやすく態度に出してはいないけれど、よくよく見れば、微妙に目が泳いでいるのが分かる。
「どうぞ、こちらのお部屋でしばしごゆるりとお寛ぎ下さいませ」
その部屋の扉を押し開け、こちらを振り返った彼女は、
「あら、うふふ、何だか久しぶりで新鮮な反応で、私嬉しいわぁ」
と、楽しそうに意地の悪い笑みを浮かべた。
「ここの男どもは、みぃんなあの堅物狼みたいなのばっかりでねぇ。いくら品の良くない悪さはやめたとはいえ、やっぱりこうじゃないと、淫魔冥利ってものが……ねえ?」
ふふふ、と流し目をくれながら微笑む。
「残念だわ。賓客でなければ今夜、早速オイシクいただいちゃいたいところなんだけど」
それからちらりと咲月の方を見ながら彼の方へ一歩、近づく。
「あんまりやりすぎると、そこのお嬢様のご機嫌を損ねそうだし、まぁやめとくわ。会ったばかりのライラちゃんみたいな、磨きがいのある女の子も、私は大好物なの」
今にも舌なめずりしそうな顔を咲月へと向けた彼女に、慌てて朔海が割って入った。
「あのっ、僕も彼女も、そういうのは間に合ってますから!」
「やぁねぇ、何も取って食おうなんて思ってないわよ。でも、まだ磨かれてない宝石の原石みたいな娘を磨くのがあんなにも楽しいなんて、私、ライラちゃんに会うまで知らなかったんだもの」
確か、ライラというのはあの女王の名だったはず。いくら彼女付きの侍女頭という上級使用人とは言え、主の名をこうも気安く連呼するとは……彼女は一体……?
「うふふ、ご存知かしら? 彼女は元は何の変哲もない砂漠の遊牧民の娘。本当に純粋で、垢抜けなくて、真面目で……。でも、肝が据わってて、尚且つあの堅物狼をたった数日で射止めちゃったのよね。私はそれをリアルタイムで見ていたから」
「え、……じゃあ、あの人は……」
「ああ、あの娘は今も人間だよ。……あいつの、アルフレートの術で時間を止めているけどね、身体は生身の人間」
彼女のセリフに、咲月は彼女を守るように立っていた彼の姿を思い出す。
「あの、じゃあ彼が言っていた、あの人たちの理想というのが何か、あなたはご存知なんですか?」
「ええ、もちろん。だってそれは、彼女に仕えるものたち共通の願いだもの」
「その願いが何なのか、教えてはいただけませんか?」
「うぅん、そうだねぇ。とってもささやかでありながら、とっても大それた望み――とだけ、言っておこうかしらね」
そっと、立てた人差し指をその蠱惑的な唇に当ててウィンクしながら彼女は答えた。
「詳しいことは、本人たちに聞くといい。あいつのお眼鏡にかなえば、教えてもらえるはずだからね」
彼女の微笑みに、こちらを試すような色が混じる。
「……そうね、でも――お代をいただけるなら、特別に教えてあげなくもないわ。無闇に悪さをする事は禁じられているけれど、正当な契約を結んでの事なら、許されるからねぇ」
朔海と、咲月それぞれに迫るように、そっと耳元で囁いた。
「淫魔……つまりサキュバスが契約の対価に望むものといえば、生気というのが定番、でしたね」
それに対し、朔海は一瞬固まったものの、努めて冷静を保ちながら問い返した。
「もしも支払う対価に対して相応の見返りがあるなら、時としてその選択をしなければならない時も、この先は出てくるかも知れない。でも、今、それが絶対必要か、と言えばそうでもない。その程度の事で安易な選択はできません」
「あら、まぁ。血は遠いと聞いていたけど。それにしちゃあその堅物ぶり、アルフの朴念仁そっくりねぇ」
その答えに、彼女は気を悪くするでもなく、むしろ面白いおもちゃを見つけたような目で朔海をとっくり眺め回した。
「でも、無愛想が標準装備なあいつと違って、くるくると表情が素直によく動いて可愛いねぇ。品も育ちも良さそうだし。うぅん、是非味見してみたい美味しそうな気を感じるんだけど。……断られちゃったら仕方ないね」
肩をすくめながら、彼女はこちらに背を向けた。
「それでは、晩餐の支度が整い次第、またお声をお掛け致しますので。どうぞしばしごゆるりとおくつろぎくださいませ」
扉の前でこちらへ形式的な礼をとりつつ、彼女の笑みはまだこちらをからかう風をしている。
「御用がお有りでしたら、そちらのベルを鳴らして下さいませ。――では」
そうしてようやく彼女が扉の向こうへ消えると、朔海は一気に脱力し、近くの腰掛けにだらしなくへたりこんだ。
「……サキュバスの誘惑、か。彼女、相当の実力者だね」
額に手を当て、疲れたように目を閉じる。
「特別、力を使ったようには見えなかった。……けど、吸血鬼の体液も毒になるように、サキュバスの声はそれだけで幻惑の効果を有する。その力は、微弱なもののはずだけど……、かなりの力を感じた」
「吸血鬼一族の英雄と、サキュバスの大物が、当然のように傅き、忠誠を誓う。……あの女王陛下はそれだけの器の持ち主だという事ですね。今後のことを考えれば、少しでも、後学のため彼女らから話を聞き出したいところです」
葉月の返しに、咲月と朔海は二人揃って頷いた。




