赤竜の主のお膝元
それは、広い広い砂漠の中、360°全方位が地平線で囲われ、目に映るものは延々と続く砂丘ばかりという、そんな場所にあった。
それも、地面に立っての視界ではなく、空から見下ろしたふかん図でそうなのだ。
一番近い集落まででも、らくだで一日、二日は軽くかかるであろう、そんな中に、それはあった。
そしてそれは、築数百年が経過しているとは思えない、立派な出で立ちをしていた。
しかも、こんな構造の建築物が、そんな昔に建てられたとは思えない――そんな造りになっている。
砂漠の真ん中に、ぽつんとあるオアシス。
周囲に砂丘しかなく、他に対比する対象が無いため、感覚が定かではないが、それでもかなり大きな――琵琶湖程は無くても、富士五湖の一つ、山中湖よりは間違いなく大きいだろうと思われる。
その、水の上に、小さきといえど一つの都市とも言うべき規模の城郭が構築されている。
ここは、魔界でも、次元の狭間でもない。紛れもなく人間界だ。
ただし、咲月の生まれ育った日本から遠く離れた、アフリカ大陸、その赤道直下から広大な面積を占めるサハラ砂漠のほんの一角。
建物は広く、大きいが、しかしこの広大な砂漠に比べれば遥かに小さく、例えば衛星写真でも、よほど気をつけてみなければ見逃してしまうはず。
けれど、この規模の建物を突然、こんな砂漠のど真ん中に建てるなんて、普通の人間には難しい。
しかもそれが数百年もの間朽ちもせず、これだけ美しい様を保っているなど――。
間違いなく、人間には不可能な事。
白茶けた砂漠の中のコバルトブルーの美しい水面を囲う様に、緑の木々が茂る。
そのオアシスの輪郭をなぞり、そのまま等倍縮小をかけたように二回りほど小さくなったそのラインに添って、オアシスの上に浮島を作り、それを高い城壁で囲っている。
浮島、と言っても埋め立てているわけではないらしい。
オアシスの中に何本も土台を支える杭を打ち込み、柱として、水面より僅かに高い所へ土台を造っている。
そして、城壁で囲ったその土地の中央に、アラビア系独特の丸みを帯びた屋根と、キリスト教会で見かける尖塔を組み合わせたような形のひときわ大きな建物――あれが、城本体なのだろう、3段重ねのホールケーキのように、下部、中部、上部とすぐに見分けることのできるそれの周りの城下町にも所狭しと沢山の建物がひしめいている。
けれどその建物全てが、色と形をある程度まで統一されており、ごちゃごちゃとした印象は全くない。
オアシスの輪郭は、細かな凹凸はあれど、おおよそ正円というよりは楕円に近い形をしており、その横に伸びた上下の両端に、それぞれ一つずつ、島と外を繋ぐ橋がかけられ、その橋の入口を守るように、小さな砦のような門が設けられている。
橋は、こうして見る限りどうやら跳ね橋のようであるから、きっと非常時には堅牢な城門の役目も果たすのだろう。
そして勿論、門の傍らにも、門の上部――砦の二階部分に当たるルーフバルコニーにも、ずらりと衛兵らしきもの達が並んでいる。
先触れとして赴いた葉月からの連絡があったのは、アルテミスと別れ、屋敷へ戻ってすぐの事だった。
――と、言うより留守宅の朔海の屋敷の玄関で、彼の帰りを待ちわびた一匹の簡易使い魔コウモリが居た、というのが正しい。
よって、地下室の魔法陣を使ってファティマーに一度セレナを預け、慌てて身支度だけ整えて急いで出てきたような有様だ。
けれど、見れば二つあるうちの門の片方――太陽の方向からすると、東側の砦の上でこちらに向かって手を振る人物が居る。……勿論、それは先触れ役の葉月だ。
朔海たちが自分に気づいたと察すると、彼は急いで下へと下りてきて、門の前で出迎えてくれた。
「お待ちしておりました、朔海様、咲月様。赤竜の君とその主たる王への謁見の申し入れが通り、本日の午後、お時間を裂いていただける運びとなりましたので、まだ少し時間があります。その間、城下町見物でもどうでしょう? どうやら、中々興味深い街のようなので」
葉月に誘われるまま、橋を渡り、城壁内部の街へと足を踏み入れる。
砂漠の真昼と言うと、日本育ちの咲月にはとにかく暑そう、というイメージしかわいてこない。
実際、空高く昇る太陽が放つ日差しは、日本で感じるそれよりも強烈で、正直同じものとは到底思えない。
ここがオアシスの上に作られた水上都市だから、これでも少しばかりマシなのだろうと思われるが、じっとりと汗が噴き出してくるのは避けられない。
そして、吸血鬼である咲月にとって、その日差しの痛みは前回、日本で感じたそれよりもかなり辛い。
この間も海辺でジリジリと夏の日差しに焼かれるような痛みはあったが、これではまるで常に直火で炙られているかのようだ。
それを葉月も感じているのだろう、さっと日傘をさしかけてくれた。
そう言えば、よく周りを見回してみれば、この町の住人の装いは皆独特だ。
衣装のつくり自体はは、素肌の露出が極めて少ないアラブ系の民族衣装に似ているが、デザインとしては古代ローマ人の衣装のようで、皆色やデザインが様々な布を肩から腰へと斜め掛けにし、腰には帯を巻いている。
その帯のデザインも、飾りのような綺麗な布だったり、もっと実用的な革のベルトのようなものだったりと様々だ。
――が。殆ど素肌の露出のない服、とは言え、最低限手首から先と顔面は表に出ている。
けれど、その出ている部分が人間仕様なのは、全体の約半数ほど。
残りの半数は、鳥獣その他の生物の顔や手であったり、一応作りだけは人仕様でも、明らかに人間ではない、鬼や下級悪魔とひと目で分かるような見た目をしている。
……ここは、魔界でも次元の狭間でもない。紛れもなく、人間界だ。
しかし、肌を焼く日光の存在がなければ、咲月は今自分が人間界に居る事を忘れてしまいそうだった。
「凄いな。規模は、あれよりはるかに小さい。でも、この人間界で、こんなにも沢山の人外が、それもこれだけ多種多様な種族が行き交って、これだけ秩序が保たれているなんて」
「朔海様、確かにこの街に多く住むのは人外ですが、彼らに混じり、一部人間も暮らしているのです。……通常の人里で弾かれた、そういう身の上の者が大半ではありますが、それでもここでは人外と魔物がこうして平和に暮らしている」
「……次元の狭間のあの街で、秩序が保たれているのは、相応の理由があるからだ。あの街は商業の街で、だから争い事はあの街の大半のものにとって迷惑な事で、だからあの街は平和が維持されるようになっている。だけど――」
朔海は、町並みを見回しながら呟く。
「ここは……。特に、商業の街、という訳でもなさそうだ。店が無い訳じゃない、でも殆どの店は食料品や日用品みたいな、生活に必要な物を売る店だ。それ以外は殆ど住居か、公共施設で……」
街を行き交う“ひと”の数は決して少なくないにもかかわらず、街はとても静かだ。
……賑わっていないわけではない。ただ、どこにも騒がしい賑やかさは無い。
「日々の生活を維持する必要最低限のものしかない、どうしてもこの街にしか居場所が無い者でない限り、特に利害が絡みそうなものも無さそうなのに、こんなにも整然とした秩序が保たれているなんて……」
「ええ。一応、日本で言う警察のような治安維持を担う職業も存在するのですが、私が見たところ、日本の警官より余程も暇そうに見えました」
世界の中では特に治安が良いと言われる日本でも、日々つまらない諍いや細々した事件は頻繁に起こる。警察官というのは、暇どころか相当に忙しい職業である。
そしてそんな日本よりも、ずっと暇を持て余すとは、この街がいかに平和で平穏かが良く分かる。
「これはいよいよ……。絶対に、力を貸してもらわなきゃ。是非、教えてもらいたいことが山ほどあって……。でも、謁見にそう長い時間は割いてもらえないかもしれない。今のうちに質問を整理しておかないとだね」
街の中心にそびえる城を眩しそうに見上げた彼の、ぎゅっと握り締められた手は、微かに震えていた――。




