教師探し
咲月は、あまり楽器には詳しくない。――音楽の知識も殆どない。
だが、それでも趣味が良い、と思えるサックスとピアノと、あといくつかの楽器によるジャズ演奏が優雅に流れる店内は、あえて少し薄暗い程度の照明が各テーブルにスポットを落としている。
次元の狭間の、商業の街。欧州系の飲食店の立ち並ぶそこに店を構えるそこに入ってまず目立つのは、生演奏を披露する演奏者達の舞台、そしてその前に広々とスペースのとられたダンスホール。
そして、バーテンダーの立つカウンターテーブルと、その背後に並ぶ各種酒瓶やらの棚。
他に、立ち飲み用に誂えられたと分かる高さの丸テーブルが、いくつか。
それぞれのインテリアは、薄暗い中でもほどよく焦がしたカラメル風の飴色をしたアンティーク調でまとめられ、また、そこに集う客たちの装いも、女性はドレス、男性は一張羅に身を包み、店内には格調高い雰囲気が漂っている。
シャカシャカシャカ、とリズミカルにシェイカーを振っては、美しい色をした様々なカクテルを作り出し、客に提供しているバーテンダーも、白のシャツに黒の上下で決めている。
その横で、彼の手伝いをしているらしい女性は、スレンダーな体に青みの強い緑色のシンプルなマーメイド系のワンピース型のドレスを着て、赤い髪を頭の上で纏めて整え、バーテンダーが使い終わった道具を洗ったり、彼がカクテルに使う材料の下準備を請け負ったりと、忙しく働いている。
自らもまた、赤のスカーフタイと灰色のベストつきの黒スーツに身を包んだ朔海が、少し客の途絶えた隙を狙ってカウンターに近づいた。
「ジャック・ローズを2人分、頼めるかな?」
そして彼はそれなりに慣れた様子でバーテンダーにカクテルを注文した。
バーテンはそれに黙って頷き、まず背後の棚からまるで理科の実験に使うフラスコのような形をした瓶を下ろし、栓を抜いた。
丸々とした瓶の底にはリンゴが丸々一つ沈んでいる。
濃厚なはちみつ色をしたその液体をまずシェイカーに注ぐ。
その隣で、赤髪の女が、真ん中から半分に切ったレモンを、絞り器にぎゅうぎゅう押し付け、絞った新鮮な果汁をこし器へ注ぎ、そうして作られたフレッシュレモンジュースを、バーテンは同じシェイカーに注ぐ。
最後に、透明感のある美しい赤色をした液体の入った瓶を開け、それもシェイカーに注いだ。
「あれは、グレナデンシロップ。ザクロと砂糖で作られたシロップだよ」
シャカシャカシャカ、と、それらを入れたシェイカーを、バーテンがリズミカルに振る。
その様子を物珍しそうに眺める咲月に、隣の女性がニヤリと笑った。
「お嬢ちゃん、こういう場所は初めてかい?」
カウンターに、レースのコースターとカクテルグラスとを並べつつ、そのままニヤニヤ笑いを深めた視線を朔海に流す。
「あんたが、まさか、女連れで来るとはね。……って事は、やっぱりあの噂は本当なのかね、王子様?」
バーテンが、用意されたグラスにシェイカーの中身をそれぞれ等分に注ぐ。
それは、とても鮮やかな赤色をした美しい色をしている。
「……噂、って?」
朔海はチップをバーテンに渡し、代わりにグラスを受け取った。その片方を咲月に手渡しつつ、朔海が尋ね返す。
「妃を迎えたあんたが、王位を継ぐ事になったって。一番王位から遠いと言われていたあんたが、まさかって、あちらの世界に縁深い奴らは皆こぞって噂してるよ」
腰の部分に緩く巻いたリボンがアクセントの、黒いシンプルなドレス姿の咲月にちらりと視線をやりつつ、彼女が答えた。
「その噂の彼女が人間上がりだって話もね」
「……もう、そんなに話が広まっているのか。でも、それならマダム、僕がここへ来た理由も想像ついてるんじゃないの?」
言いながら、朔海はダンスホールに視線を移す。
そこで踊る人々は大概が男女ひと組でくるくると優雅なダンスを披露している。
……中には、女性同士、または男性同士で踊っているカップルもちらほら見受けられるが、彼らが踊るのも、三拍子の曲調に合わせたワルツだ。――つまり、社交ダンスと呼ばれる類のダンス。
「――彼女に、アップル・プランを」
朔海がカウンターに銀貨を数枚滑らせ、バーテンに新たな注文を入れる。
当たり前だが、咲月はカクテルの名前など分からない。
「白ワインを、青りんごのリキュールで割った酒でね。甘くて飲みやすい。ピクシー族の彼女にはぴったりのカクテルだろ?」
「まあ、そうだね。ついでにクロテッドクリームたっぷりのスコーンもついたら言う事なしなんだけど?」
「……ここは、酒場じゃないか。そんなメニューが無いのは貴女が一番良く知ってるはずだろう、マダム・パンジー?」
照明のせいだけではなしに青白いほどに白く見える肌に、少し尖った特徴的な耳。薄暗い中でもキラキラと魅惑的に輝く瞳に、高く反った鼻。
ピクシー族といえば、確かにダンスを得意とする――けれど少々悪戯好きで知られる妖精だ。
朔海や、隣のバーテンと大差のない背丈をしている所を見ると、それなりに力を持った妖精なのだろう。
ワイングラスに注がれたカクテルを、美味しそうに飲み干してから、マダム・パンジーは柔らかく微笑んだ。
「……まあ、そうだが。ダンスを教える、それは構わない。だが、魔界へ行くのは遠慮したいねぇ。あたしには天界の空気は清浄すぎて火傷しそうだけど、魔界の空気は重すぎて踊れやしない。ピクシーがダンスを奪われるなんて、ありえないでしょ!」
彼女の返事に朔海は、甘酸っぱい酒に口をつけつつ渋い顔をした。
「うぅん、やっぱりそう来るか……」
「だが、まぁ酒一杯奢ってもらったからね。その分の情報くらいは恵んでやろう」
「――分かった。バーテン、彼女にもう一杯……そうだな、今度はゴールデン・アップルを頼むよ」
「明日の夜。この街から見える山脈の向こう側の森へ行ってみると良い。――幸運くらいは祈っておいてやるよ」
マダムは、魅惑の笑みを浮かべながら、新たな酒を飲み干した。




