初契約
あの、次元の狭間の家具店の店員をしていた妖精。
彼女のような、透き通った翅は無い。彼女のように可愛らしい容姿をしているわけでもない。
いや、むしろくしゃくしゃした不細工な顔つきをしている。
よくよく見れば、まあ、愛嬌があると言えなくもない……ような……。
それでも、その小さな姿に人の姿を模したそれは、咲月の手のひらの上に腰を落ち着けたまま、こちらを見上げてくる。
「これは……地属性に属する、ノームの下位妖精、だ。コブラナイ……、いやコボルトか?」
朔海も、妖精という事までは分かっても、個々の種族にそれほど詳しくないらしい。
だが、どちらにしろ地属性の鉱山妖精なのには違いない。
「いや、どちらでもないな。ノッカーでもない。この辺に溜まってた地属性の陰の気が、姫様のお力で陽の気に変わり、それが集まって形を成した。地属性の妖精なのは間違いないが、現存の種族にはどれにも当てはまらないだろう」
しかし、潮は小鬼のような姿のそれを見て言った。
彼は、幼くとも元は大精霊の分け身だ。この種の知識に関して、この3人の内では誰より詳しい。
「姫様のお力で生まれた妖精だ、悪い妖精じゃない。鉱山妖精の亜種みたいだからな、良質な石を見つけたり、その石のお守りをするのは十八番のはずだ。……姫様、こいつと使い魔契約を交わしてみたらどうでしょう?」
その彼が、そっとそう提案する。
「姫様のお力を存分に生かすのに、そいつはきっと役に立つでしょう。それに……」
語尾を濁しながら、周囲を見回す潮。
「確かに、生まれたばかりのこんな小さな妖精をこんな場所へ放っておけば、あっという間に他の魔物に喰われるだろうな。……亜種だというなら他に帰る場所もない、か」
この地の嫌な記憶を浄化しようとした結果生まれた妖精がそんな結末を迎えては、本末転倒もいいところだ。
「こういうのは、ちゃんと最後まで責任もって面倒みるのが、確かにセオリー、か」
指先でちょんちょんと、その額をつつけば、少々迷惑そうな顔をしながらも、目を細めて懐いてくる。
「モーガン一族の魔女として使い魔契約をするなら、何かを対価に差し出して、その代わりに力を借りる……のよね。でも、吸血鬼として使い魔契約をするなら、私の血でこの仔を従える……と」
「こいつはまだ、今生まれたばかりで、あまり力も強くない。今の段階で力を借りる契約をしても、たかがしれてます。育てるつもりなら、吸血鬼としてこいつを従え、姫様の血の加護を与えるほうが効率がいいと思います」
潮の意見に、朔海も頷いた。
「……もともと魔界に棲む種族ならともかく、普段は天界に棲む妖精たちにも、魔界の空気は少なからず毒になる。……死ぬ事はなくても、良くない影響を受ける可能性は高い。そうならないようにするには、確かにその方がいいと、僕も思う」
彼らが言うなら、その方が良いのだろう。
「うん、そうだね。……魔女としては、まだまだ修業中の身だし、……だからと言って吸血鬼としてもまだまだ未熟なんだけど。えっと、吸血鬼として使い魔契約を交わすには――」
「君の血を、この妖精に与えて、命じればいい。この程度の相手なら、難なく従えられるはずだから」
「……うん。やってみる」
咲月は、人差し指の腹を牙で食い破り、じわりと血の滲んだそれを、妖精の前に差し出した。
妖精は、その匂いをくん、と一度嗅ぐと、咲月の指をその小さな両腕で抱え、びちゃびちゃと子猫がミルクを舐めるようにして、血を口に含んだ。
「姫様、それに名前を与えて、命じてください。“使い魔になれ”と」
「名前……」
ほんの少し、考え込んでから、「スタン……」ポツリとこぼれた響き。
「スタン……、英語の古語で石を意味する言葉だね。うん、いい名前なんじゃないかな」
朔海の後押しを得て、咲月は頷いた。
「――スタン、私の使い魔となって、私を手伝いなさい」
そして、命じる。
妖精――スタンは、ぱちくりと目を瞬かせてから、嬉しそうににこりと笑顔を浮かべ、抱えたままの咲月の指に懐いてすりすり頬をすり寄せた。
「……本当に君は、そういう類の生き物に良く好かれるんだなぁ」
その様子を見て、半分感心しつつ、もう半分で少し複雑そうな表情で朔海が呟いた。
スタンは、ちょこちょこと咲月の腕をよじ登り、そしてちょこんと肩に乗る。
そこで腰を落ち着け、楽しそうにしている彼を、潮が少しばかりムッとした様子で眺めてから、対抗するように反対側の肩に乗り、同じように座り込んだ。
しかし、随分と大きくなった潮は、特に重さは感じないものの、そうして居られると少しばかり邪魔である。
「……潮……?」
まるで弟に母親をとられた兄の様な潮の態度に、朔海は苦笑しつつもちょっと羨ましい気がして、ひょいっと咲月の身体を抱き上げた。
「さぁ、そろそろ行かないと。これから、本格的に忙しくなるし。明日から、本格的に挨拶回りを始めるつもりなんだ。帰って、少しくらいは休みたいでしょ?」
朔海は、珍しく有無を言わせぬ強引さで、ふわりとそのまま自らの翼で空へと舞い上がった。
「葉月の先触れの返答も、遅くとも明後日までには届くはずだ。魔王からの仕事が舞い込む前に、そのあたり全部片付けてしまわないと。ある程度候補が集まった時点で、一度くらいは彼らを集めて夜会の一つも開かないといけないし」
そのための準備もある。ゆっくりしている暇は、もう無い。
「咲月、社交ダンスの経験なんて、無いよね?」
「……あるわけ無いでしょ。日本の一般庶民でそんなの出来る人なんて、殆どいないって」
よっぽど趣味で習っているとか、一部のセレブでもなければ、そんな機会のある人間などまずいない。
だが、何度か垣間見たあの様子では、これからはそういう機会は頻繁に巡ってくるに違いない。
「そういう礼儀作法に詳しい知り合いが居る。明日、訪ねてみよう」
それだけでなく、咲月に足りないものを補い、教え導いてくれる存在が必要だ。
まだ、正式な日取りは決まらないが、戴冠式までの間にやらなければならない事は、時間に比べて相当に多い。
お互い、忙しくなる。結婚式の準備の時の様に、お互い常に傍に居て全てをフォローしあうのは難しいけれど――。
「うん。……頑張ろう」
もう、他の未来を選ぶ余地は無いのだ。
示された未来を行く、それが決定事項なら、それを少しでもより良いものにする為に、出来ることがあるなら、頑張る、それしかない。
確かな支えと、希望がある。――十分だ。
だから、咲月は言った。
「朔海の隣に自分の足で立って歩けるように、頑張るよ」




