守秘の誓約
――はて。
咲月は、彼の言葉に一瞬、己の耳を疑った。
今何か、妙な単語が聞こえた気がするのだ。“我が城”だの“城の主として”だの……。
それを口にしたのは、ここまで咲月らを案内してきた小姓の少年だ。
「……え、あの、ここって、魔王の城では……?」
もしかして、この小姓の少年は、大悪魔の子弟か何かで、ここは彼の城であるとか……?
悪魔の城とは、貴族の城でもこれだけの規模を誇るものなのか。
「ああ、そうだとも。ここは間違いなく魔界の王、ルシファー様の城だ」
少年は、余裕の笑みを浮かべながら、思わずこぼれ落ちた咲月の疑問に答える。
「――そして、この我こそが、城の主。魔界を統べる王であり、かつては天上の神より熾天使の位を戴いた明けの明星、ルシファーである」
少年は、玉座より優雅に立ち上がり、名乗りを上げた。
「先日の訪いの際は偽りの姿で失礼したが、この件に関しては第一級の極秘事項でな。そのために今日はこの謁見の間の周辺一角全て人払いをしてある」
成る程、どうりで人気が無いわけだ。
「……第一級の極秘事項、ですか。という事はそのお姿が真実の姿であると、偽りの姿ではないと仰る?」
朔海が、彼の言葉に対し、質問を投げかける。
「ああ。……お前は当然知っているだろうが、俺たち悪魔にとって、外見を偽るなど朝飯前、見目を変える程度の初歩魔術は寝ながらでも可能だ。そして、この魔界は弱肉強食が常の世界だ。より強く、より美しい姿でありたいと思うのが当然、故に、悪魔は皆、美しい姿をしている。そしてそれは、より強い魔力を持つ上級悪魔程、顕著になる。……魔術に明るくない下級のものには、いかにも魔物、といった姿をしているものは少なくない」
つまり、悪魔の見目の良さは、そのままその悪魔の能力の優劣なのだということ。
そして、目の前の魔王ルシファーの姿は――。
目は大きく、瞳はくりくりっとして、愛らしい。
子供らしい少々丸っこい輪郭に、ついつつきなくなる頬。
腰まで流れる綺麗な黒髪はツヤツヤで、その頭身は完璧に整っている。
文句なく、超美形ではあるのだが……。
しかし、やはり先日見たあまりに完璧な“魔王の姿”から比べると、あの圧倒的な存在感を今の彼からは感じない。
……美しくはあるが、どちらかといえば可愛い、という表現のほうが正しく思える。
可愛い、というのは、弱肉強食が常である魔界においては褒め言葉にはなりにくい。
ましてや、王。
強さの証であるその位を欲しない者は、魔界にはまず居ないと思われている。
しかも、魔界を統べる王。
この魔界に存在する全ての存在の頂点であるべき存在の形容として、可愛いというのは明らかに相応しくない。
何かの意図あって、あえてその姿をとっているのではなく、この姿が今の彼の真実の姿だというのなら……。
「この度、私にお呼びがかかった理由に、この件が関係していると?」
「うん、正確には俺がこの姿を取らざるを得ない、その原因となっている問題に対して、お前に任せたい仕事がある。だから喚んだ」
言いながら、彼は段を降り、朔海の前に立った。その背丈は、目線がちょうど朔海の胸辺りになる程度。少し小柄な中学生くらいの体格だ。
「俺も、当たり前だが堕ちた当初はこんな姿じゃなかった。先日見せた、あのまやかしの姿、あれは俺本来の姿だ。そういう意味では偽りじゃない」
「……本来、の」
「そうだ。俺は、明けの明星だ。他の連中と違って、魔術などに頼らずとも、最高の美を兼ね備えているからな」
傲慢な様子もなく、ただ当然の事実として言った。
「では、今そのお姿であられる理由とは何なんです?」
「……それを聞かせる前に、まずは誓約をいただこう。何せ、俺のこの姿の件以上の、特級クラスの超極秘情報でな。外部に漏らした時点で命どころか魂まで完膚なきまで消し去る位の罰が相当なくらいのネタなんだ」
だから。この情報を決して口外しないという誓約をしろ、と。魔王はそう命じた。
「……誓約」
「そうだ。その旨を記した特殊な証書を魔法薬に溶かして飲む。それが、魔界における誓約の一般的な方法だ。お前も一度は経験しているだろう?」
未だ、魔界における一般常識に疎い咲月のためだろう、丁寧に説明しつつ、一枚の羊皮紙を取り出した。
日本では一般的でないため、咲月にそれを判断する事はできないが、ぱっと見る限りは特に何の変哲もない、白紙。
魔王がパチン、とひとつ指を鳴らすと、簡易な書き物机が出現し、二つ目でインクとペンが現れた。
魔王は自ら出した机の上に紙を置き、トン、と人差し指で軽くそれを叩くように示した。
「吸血鬼王、紅龍が第一王子、綺羅星の朔海。今ここに、誓約の証を刻め。そして第一王子妃たる双葉咲月、加えてその養父兼教育係、白露――もとい双葉葉月。お前たちもその書面に署名し、血判を押せ。……ああ、その娘はまだ魔界の言語に明るくないのだろうからな。言語は英語でも日本語でも好きにするといい。ただし、その内容の誤魔化しや偽りは許さない」
幼い姿でも、彼は確かに魔王なのだと、嫌でも実感できる凄みを見せ、彼は言った。
「俺は、悪魔――その、王だ。かつて熾天使として持っていた知識を丸ごと今も有し、俺はこの世に存在する全ての言語に通じている。俺を謀ろうとしても無駄だ。もしもそういう企みが明らかになれば、俺はお前たちを抹殺しなければならない」
あの時、吸血鬼の王城の謁見の間で感じたのと同じ圧迫感を、目の前の少年が放つ。
朔海が、ちらりと両脇へ視線を振り、それぞれの覚悟を問うような眼差しを向ける。
咲月は魔王の迫力に気圧されながらも、なんとか頷きを返した。
朔海がまず美しい羽飾りがついた古風なペンを取り、ペン先をインクに浸し、青っぽい色のそれでさらさらと紙に文字を記し、文章を書き付けた。
横書きに、ひらがな、カタカナ、漢字を交えた紛う事なき日本語で。
『この場で見聞きした情報を不用意に口外しない事をここに誓う。誓いを違えし時には、魔王ルシファーの裁きに従い、その罪を贖う旨をここに了承する。』
と綴り、その下に自らの名を刻む。
それは、先日の婚礼の儀の時に見たのと同じ、魔界文字で記されていた。
「……他はともかく、名前だけはね。真名で無ければ誓約は成立しないんだよ」
「まあ、そういう事だ。お前の王子様は曲がりなりにも魔界生まれで、魔界で名を与えられたんだ、当然その真名は魔界文字で記すべきもの、という訳だ」
「――私は、父こそ魔界の吸血鬼、それも最有力貴族の当主ですが、……母はごく普通の日本人、それも全くの一般庶民でしたから。彼女が、私に名を与えてくれたそれが、日本人としての名であったのは当然のこと。……生まれ月からつけた、ありがちな名前でしたが」
そう言って、葉月は白露、と漢字で朔海の名の下に、少し間をあけて自らの名を記した。
「……私の名前をつけたのは、朔海、で、」
「うん。……僕は魔界で第一王子としての教育を受けて、当たり前だけど魔界の言語はマスターしている。葉月とは長い付き合いだから、日本語もできる。ファティマーの一族とも懇意にして長いから、英語も、次元の狭間で使われる共通語も分かる。……でも、葉月と君を見つけて、葉月が君を日本の施設に預けるって言ってたから、僕は日本語の名前を考えた」
「――ならば、お前の真名は日本語で記すのが正しい」
魔王に言われ、咲月はあの時と同じように、双葉咲月、と、漢字で記した。
「では」
咲月が書き終わり、インクが乾くのを待って、魔王は紙を取り上げ、再び指をパチンと鳴らした。
すると今度はかまど付きの寸胴鍋が現れた。
誓約の儀式の間で見たあれよりは遥かに小さいが、一般家庭用サイズでは到底ない寸胴鍋に、彼はポイッとその書面を投げ入れた。
そして、しばらく杓文字のような物で中身をかき回してしばらく、やがてゴブレットになみなみとそれを汲み上げた。
――咲月の脳裏に、あの日の悪夢が蘇る。
あの凄まじいまでの不味さは、もう二度と体験したくないと思うに値するレベルだったのに。
恐る恐る覗いた中身の色は、口にするものとして有り得ない蛍光紫をしており、腐った野菜のような酷い匂いを発している。
「……」
ゴブレットを渡された朔海と葉月も一様に神妙な顔つきになるが、それでも彼らは潔く一気にそれを飲み干した。
今この状況で、拒否は許されない。
咲月も覚悟を決め、目をつぶって鼻をつまんで息を止め、無理矢理一気に喉へ流し込んだ。
どろどろした感触が食道を通過していく度、胃が痙攣を起こしそうになるのを涙目になりながら必死で堪え、なんとか飲み干す。
しかし、呼吸を再開して、その恐ろしい後味を感じるのが恐ろしくて、咲月は襲ってくる息苦しさに必死に抵抗する。
「うん。野郎はともかく、若い娘にはちと酷だったか。――飲め、口直しだ」
魔王はもう一度パチンと指を鳴らして、飲み物の入ったグラスが三つ置かれた、カフェテーブル――揃いの椅子も三脚ある――を出し、それを勧めた。
「長い、長い話になるからな。まぁ、まずは座れ」
そう言って、魔王自身は再び壇上の、玉座へと腰掛ける。
咲月は、ありがたくグラスに口をつける。
レモネード……に似た、レモン風味のするすっきりと清涼感のある炭酸飲料。
嫌な後味をスッキリ流し、爽快感を与えてくれる。
「美味しい……」
「気に入ってもらえたなら、何よりだが。まぁ、まずは現状を説明しよう。世界を揺るがす、危機について、な――」




