魔王の城
おどろおどろしい雰囲気を漂わせる巨大な城。背後に広がる、荒れ果てた城下町。そしてその上空を舞う無数のコウモリ、カラス、何やら得体のしれない生物……。
そこまでは、吸血鬼の城で見た光景とさして変わりない。
だが、視線を下に向ければ――
シンデレラ城――もとい、ノイシュヴァンシュタイン城のような、尖塔が数多く立ち並ぶ形の、華奢なイメージの吸血鬼城とはまるで印象の違う――かと言って、無骨な砦の様なものでもない。
建物の周囲は所々物見用の円柱状の塔が等間隔に並んだ堅牢な城壁に囲まれている。
城壁の外周はぐるりと堀に囲まれ、城壁の所々、それぞれ規模の違う城門には跳ね上げ式の橋がかけられている。
敷地の中にはまず真ん中に大きく、まるでピエールフォン城の様な、要塞風の建物が堂々と居座り、その周囲に、それぞれ規模の違う尖塔や、シャンポール城の様な居城と言うべき建物、ヴォー=ル=ヴィコント城の様な、城というよりは中世貴族のマナーハウスのような建物が、特に規則性は無いようながら、絶妙なバランスを保った配置で並び、それぞれの建物は回廊で繋がれ、また建物と建物に囲まれた合間にはそれぞれ手の込んだ中庭が整えられている。
――残念ながら、英国の薔薇園のように美しい花々が咲く庭園……ではなく、黒々とした樹木や低木、芝がそれぞれ綺麗に刈り込まれて形を整えられているといった程度であるが……。
それが意外と、建物とのバランスが取れていて、華やかではないがそれなりに美しい。
ただ――吸血鬼の城との共通点は、皆無ではなかった。
いくつも並ぶ建物の外壁の色が、皆どれも黒――多少艶や濃淡の差はあるようだが、この時間帯の暗さでは尚更違いなど分からない。
が、城の所々、ふわふわと不思議な光を放つ灯が灯され、ある意味とても幻想的だ。
やがて、簡易使い魔の天馬を繋いだ馬車が、ゆっくりと、一番大きな城門を目指して降下を始めた。
先日、吸血鬼城を訪れた際には使わなかったこのような代物を使用している理由は、馬車に同乗している葉月にある。
……朔海や、彼の血で吸血鬼化した咲月は己の翼を持っているが、単に彼の眷属となっただけの半吸血鬼である葉月に、それはない。
ちなみに、馬車本体はファティマーからのレンタル品である。……無論、有償での貸出だ。
「……これが、魔王の城」
馬車の窓から見える外の景色に視線を釘付けにされながら、咲月が呟いた。
成る程、とてつもない規模の城である。まず、人間界ではお目にかかることのないだろう――何しろ建物一つだけで、既に人間界の城ひとつ分の大きさがある――比べることすら馬鹿らしいと思えるくらいに広大で……。
初めて見たとき、広いと感じた吸血鬼の城でさえ、2,3は軽く入ってしまいそうだ。
もう、ため息すら出ない。
馬車は、ゆっくりゆっくり、視えない坂道を下るようにして、見上げるくらい大きな門へと近づく。
これだけ大きな城だ、当然警護兵も呆れるくらいたくさん並んでいるのだろう――と、そう思ったのに、まったく人気――もとい悪魔気が感じられない。
ひとの姿どころか、魔獣の姿すら見えない。
ただ一人、橋の前に立ってこちらを出迎えに来ていたのは、先日、魔王の使いとして吸血鬼城を訪れた小姓の少年――。
御者の居ない馬車は、彼の前でぴたりと停車し、まず朔海が車を降りる。
そして、咲月が車を降りるのに手を貸した後、改めて咲月と共に彼に軽く会釈をした。
「――待ちわびたぞ、客人」
彼は、そう言ってニヤリと笑い、パチン、とひとつ指を鳴らした。
途端、足元に青白い光を放つ魔法陣が現れる。
「まずは、中へ案内しよう」
その言葉とともに、青白い光が視界を満たし、次元の狭間の移動用魔法陣を潜った時のような感覚を覚えた――次の瞬間には、無数の燭台を擁したシャンデリアが惜しげもなく等間隔に天井からぶら下がる、豪奢な廊下に、咲月は立っていた。
隣に朔海、後ろに葉月、そして前には小姓の少年。
「……って、馬車は??」
「案ずるな、車宿りへ送った。城を出る際にまた、支度させる」
少年は、肩をすくめながらニヤリと不敵に笑い、そうして「ついて来い」と、こちらに背を向け歩き出した。
果てしなく続くようにすら見える、長い廊下。両脇の壁にはいくつも巨大で重厚かつ精緻な造りの扉が並び、床には毛足の深い真っ赤な絨毯が一分の隙もなく敷き詰められている。
長い廊下の途中、幾度か両脇の壁が途絶え、十字の交差点を通り過ぎたが、そのこちらと交わった廊下の全てが、ここと同様、果の見えない廊下の両脇に、たくさんの扉が並ぶ。
それを、時折右に左にと折れて行くうちに、段々とどこをどう通ってきたのか分からなくなってくる。もしも今、案内なしに入っていた場所へ戻れと言われてもおそらく無理だ。
しかも、ここが内廊下だからなのか、窓の一切が見当たらず、今自分たちがあの広大な敷地のどこを歩かされているのかもさっぱり分からない。
今はぐれたら、迷子になるのは確実だ。
咲月は、遅れないように早足になりながらも、長いスカートの裾を踏んづけて転ばないよう、必死でついて行く。
だが……魔王の城だというのに、まったくひとの気配が感じられない。
これだけ広大な城だ、使用人だってごまんと居るはずであるのに、メイドや執事どころか、衛兵の姿すらない。
――吸血鬼の城では、儀式の日でさえ、立ち番の衛兵は要所要所に居たというのに……。
これではまるで、人払いがされているような……。
もう、いくつ目かも分からなくなった十字路を曲がると、初めて果てなく続く廊下ではない光景が目の前に現れた。
これまで廊下の両脇に並んでいたいくつもの扉のどれよりも大きく立派で重厚な、両開きの扉が、ギギギィ、という音と共に、ゆっくりと観音開きに開け放たれる。
――が、扉を動かしている者の姿は見えない。
……まあ、ここは魔王の城だ。扉がひとりでに開くくらいで一々驚いていたらキリがない。
咲月はそう割り切り、開いた扉の先を見据えた。
がちゃん、と重々しい音をたてていっぱいまで開ききった扉の向こうには、とてつもなく広大な空間が広がっていた。
小さな町一つくらいなら、余裕で呑み込めそうな、あまりに広すぎる空間の向こう側の壁までキロメートル単位の距離があるはずで、たとえ吸血鬼となり人間だった頃より遥かに優れた視力を手に入れた咲月の目でも、まともに見えるはずがない――はずが、何故かはっきりと目に映るそれは、大変豪奢に作られた椅子――そこだけ高く作りつけられたそれは、吸血鬼の城で見た玉座と大きな違いはないが、より豪華な設えを備えたもの。……きっと、何かしらのまやかしの魔法がかけられているのだろう。
――しかし、何故か玉座は空だ。
一歩部屋へ足を踏み入れ上を見れば、10階建てのビルと同じくらいの高さがあり、回廊が5段、部屋の四方を囲んでいる。
広々しすぎなくらいの部屋に、一本、玉座へ続く道が続く。決して狭くはない。人が5人は横に並べる幅はあるのに、比較する部屋の広さがありすぎるせいで、長すぎる一本道は酷くか細く見える。
その道の周囲、部屋の床に満たされた赤黒い液体がゆらゆら波打ちたゆたっている様が不気味なせいもあるだろう。
玉座へつづく道も、部屋を支える柱も壁材も、全てが漆黒に統一され、ところどころ美しい金銀のラインがそれらを縁取り、揺らめく青や赤の炎が水面を照らすと、まるでそれが血のように見えてくる。
とても広い空間であるのに、ここにも窓は見当たらない。そのせいか、これだけ広いのに、閉塞感と圧迫感に苛まれる。
――が、その部屋のどこにもあの圧倒的な存在感を放っていたあの王の姿はなく、それどころかここにも他にひとの姿がない。
今、この広すぎる空間にいるのは咲月と朔海、葉月と小姓の少年のみ。
その彼は、変わりなく優雅に自然な様子で当たり前のようにその一本道を堂々と歩いていく。
すぐそこにあるように見えるのに、歩いても歩いても中々たどり着けない。
――当然だ。本当は数キロ分も歩かなければならない距離にあるのだから。
なのに、全く大きさが変わることのないそれを目に歩いていると、ずっと同じ場所で足踏みしている気分になる。
横壁につづく回廊を見て確認しないと、確かに確実に歩を進めていることも忘れてしまいそうだ。
正直、ようやく本当に玉座の前まで辿り着いた時には、吸血鬼としての体力を持つ咲月でも、結構な疲労感を感じていた。
朔海が、玉座へ続く高座へ続く階段の前で足を止め、咲月と葉月もそれに倣って立ち止まったが、少年は構わずそのまま段の中央を遠慮なく登って行く。
彼は、最上段まで到達すると、玉座の前でくるりとこちらへ身を返し、驚くことに、その豪奢な椅子へと腰を落ち着けてしまった。
大人が横に並んで三人は座れそうな大きさの、豪華絢爛な椅子に、その小さな子どもが腰掛ける様は、何ともちぐはぐな感じであるが――……王の椅子に小姓如きが掛けるなど、どの時代、どこの世界でも不敬罪に問われるだろう。
しかも、ここは魔界。容赦なく首をはねられてもおかしくない。
――と、いうのに。
かの少年は、実に優雅な笑みを浮かべて口を開いた。
「さて、お客人。改めて、ようこそ我が城へ。城の主として、お前たちの訪問を心より歓迎しよう」




