開式
一台のタクシーが、鳥居の前でブレーキを踏む。
この町の、たった3台しかない車のうちのもう1台も、そろそろあちらを出発する頃だろう。
この日本という国のとある田舎町であるここで暮らし始めてもうかれこれ二十年以上が経つ。
かつて生まれ育った国と時代にあったそれとは全く違う、文化や慣習にも慣れ親しみ、つつがない日々を送っている。
「――お待ちしておりました、王子殿下」
薄く、雪化粧をした田畑の広がる冬景色の下、神職姿で彼を乗せた車を待っていた晃希は略式の礼で彼の人を迎えた。
晃希は、この豊生神宮の狛犬であるが、表向きは神職として働いている。
今日の式も、この社の巫女である竜姫と共に神職として式進行役を務める事になっていた。
「忙しい時期にも関わらず、今日まで色々とお心遣いを頂き、ありがとうございました。今日一日、咲月共々お世話になります。どうか、よろしくお願いします」
黒の紋付袴を身につけた彼は、髪色こそ黒だが瞳の色は濃紺、肌色も日本人には見えない容姿をしているが、見事に和装を違和感なく着こなしている。
本来、豊穣の神を祀る神社であるが、近頃では縁結びの神としても名を馳せるようになったここで、神前式を挙げるカップルも随分と増えたが、今日の主役は彼らとは違い、「人」ではない。
ある意味、自分と「同じ」とも言える「吸血鬼」、だが中途半端な存在である自分とは違う、完全な「純血」の吸血鬼であり、吸血鬼の王族の一員である彼は、晃希とは生まれも育ちもまるきり違う。
しかし、他の多くの純血の吸血鬼とは異なり、彼は自分と変わらない価値観を持ち、つい先日も晃希の娘である瑠羽を救ってくれた。
歳は自分の方が上なのだが、それでも自然と頭が下がる。
しかし、今後王位に就くことがほぼ確定している身であるにもかかわらず、彼はこれまで通り、腰の低い気安い態度を崩すことなく、丁寧な挨拶を返してきた。
「――はい。……では、上へどうぞ。皆様、既に揃ってお待ちですよ」
ここから拝殿のある場所までは、徒歩で山道を登っていかなければならない。
葉を落とした山の木々は、昨夜の雪で白く染まり、地面も粉糖を塗したようだというのに、意外にも参道の黒土にそれはなく、しっかり乾いている。
「俺らはともかく、盛装した娘さんを、雪で湿った泥の上を歩かせるわけにいかないからな」
それに気づいたらしい彼に、晃希は軽く肩を竦めてみせた。
「ま、このくらいは朝飯前だしな」
全員が、普通の人間ではない豊生神宮関係者の面々にとって、この程度の作業は造作もなくこなせる。――が、実際に作業をこなしたのは「狛犬」と書いて「雑用係」と読む晃希と清士の二人だ。
それを察したのか、彼は「お気遣い、ありがとうございます」と軽く会釈をする。
やがて二つ目の鳥居が見えてくると、一気に視界が開ける。
「やあ、待ちわびたぞ」
と、ひらひらとぞんざいに手をふるのは、シンプルな黒いワンピースドレス姿のファティマーだ。
「――ほう、それがこの国の婚礼衣装か。ふむ、悪くないな」
遠慮なく頭の先からつま先までじっくり検分した彼女は一人納得したように頷いた。
「とはいえ、まあ、男の衣装などどこの国でもさして面白みは無いがな」
「では、俺はもう一人の主役を迎えに戻ります」
拝殿前の広場に集い、歓談する竜姫たちに一礼し、くるりと踵を返す。
あの民宿から参道入口前まで車で約10分、ちょうどいい頃合のはずだ。
今来た道を引き返し、先程と同じ場所に立つ。
すると、ちょうどタイミングを見計らったかのように道の向こうからやってくる車が見えた。
機嫌の良さそうな顔で運転しているのは杉内さん。――彼もまた、この社の事情を正確に把握している希少な一人だ。
「はい、お疲れ様でした」
にこにこしながら後部座席の両扉を開ける。
車の向こう側からまず葉月が降り、ぐるりと車の後ろを回って、彼女に手を貸す。
運転手の杉内さんも、運転席から降りて彼女の降車を手伝う。
慣れない衣装に少々動きづらそうにしながら、ほんの半年ほど前、数ヶ月の間共に暮らした少女が車から降りてくる。
「――成る程、これは山中さんが自信満々で連絡を入れてくるはずだ」
思わず、そう漏らしたあとでぱっと慌てて口を手で押さえ、改めて頭を下げる。
「――お待ちしていました。本日は、誠におめでとうございます。今日が、貴方方にとって良き日になるよう、お祈り申し上げます」
「本日は、お忙しい中、我々のためにご尽力頂き誠にありがとうございます。今日一日、よろしくお願いします」
丁寧な礼を返してくる彼――彼もまた、「人」ではない。しかし、先ほどの彼よりは自分と近い存在である「半吸血鬼」。半分人の血を引き、半分吸血鬼の血を引く半人半魔。娘の瑠羽や潤とほぼ同じ存在だ。
そんな彼と、この社は随分と長い付き合いらしい。なんでも、初代巫女姫に世話になった恩があるとかで、代々、お互い持ちつ持たれつの関係を築いてきたという。この社では新参者である自分も、娘のことで既に何度も世話になっている。
そんな彼の義娘である彼女は、つい先日までは「人」だったが、今は先ほどの彼と同様、「吸血鬼」である。
人から吸血鬼になったという経緯だけ見れば、彼女が一番自分と似ているように思えるが、彼女は「純血の吸血鬼」たる彼の手で正式に一族に迎え入れられている。ただ咬まれ、その血の毒によって吸血鬼にされた自分とは違う。
その彼女は、少し恥ずかしそうに頬を朱く染めながら、たどたどしく腰を折った。
「あの、忙しい時期に、急に無理を言ってごめんなさい。……この間のことも、今日の事も。本当に、ありがとうございます」
普段、押しの強い女性陣に囲まれている晃希にとって、彼女の反応はとても新鮮なものだ。
「いや、俺らもめでたい席に立ち会えるのは嬉しい事だ。君が幸せを掴む、その手助けが出来た事もな。――さあ、上で君のお相手が首を長くして待っている。そろそろ行こう」
自然と顔をほころばせながら、晃希は先程よりも数段ゆったりした足取りで、ゆっくり参道を登り始める。
「――はい」
彼女は、葉月の手を借りながら、少し覚束無い足取りでそろそろと歩き始める。
半年前、何度も行き来した道だが、整備はされていても舗装されていない山道を重く、慣れない衣装を纏って歩くのは容易ではない。
彼の数倍時間を費やし、ようやく二つ目鳥居が見えると、目に見えてホッとした表情を浮かべた彼女は、そこに彼を見つけ、自然と笑みを浮かべた。
半年前、ここで預かっていた間、暗い顔をしがちだった彼女の、こんな笑顔を晃希が見たのは初めてだった。
彼女を見つけ、見つめ返す彼もまた、こちらの方がつい目を背けたくなる程に甘い視線をこちらへ向ける。
そんな彼に、葉月は満足げに微笑み、そこまでエスコートしてきた花嫁の手を新郎に渡す。
そして、彼らの前に竜姫が進み出る。
「――それでは、これより両名の結婚式を執り行います。それでは、神殿へご案内申し上げます」
巫女の正装姿をした竜姫は、厳かに告げ、彼らの先に立って歩き出す。
新郎が、花嫁の足元を気遣いつつまずそれに続き、その後に葉月、そしてファティマー、さらにその後ろに清士が続く。自分も彼と並んで後を追うように歩き出す。
「……吸血鬼、か」
その隣で、清士がぽつりと呟いた。
「あの娘、あの時と違って随分と幸せそうに見える。……複雑な気分だ」
彼は難しそうな顔をして、前を行く二人を眺めていた。
「そりゃ、そうだろう。あの子にとって彼は、俺にとっての竜姫と同じなんだ。俺だって、竜姫の安否が不明だなんて言われたら死ぬほど取り乱すし、けど、彼女と居られりゃそれで充分幸せなんだって知ってるからな」
「大切な存在、か――」
ちらりと、腕に抱いた潤を見下ろしながら、清士はひとりごちた。
「我は……」




