晴れの日の白
「……本当に、降りましたね」
朝一番、和室の障子を開ければ、新雪に輝く太陽の反射光が目に痛いほど差し込んでくる。
「全く、稲穂様がいらっしゃらなかったらどうなっていた事やら……」
早々と、礼装用の紋付袴を身につけた葉月が肩をすくめる。
「幸い、道路に積もる前に雲を散らしていただいたから、この程度で済んだのだもの。後日、改めてお礼の菓子折りの一つも持ってくるべきでしょうね」
家々の屋根や庭や道の脇の木々や植物にうっすら白く積もる雪化粧が、色味の少ない寂しげな景色を美しく彩る。
――と。ぽすぽすと襖をノックする音と同時に女性の声が届く。
「お着付けの支度が整いましたよ。さぁさ、隣の部屋へどうぞ」
するすると襖を開けたのは、恰幅のよい4、50代程の女性だ。
「おはようございます。忙しい時期に申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
宿に備え付けの浴衣姿で、咲月は丁寧に頭を下げた。
「まあまあ、本当、若いのにしっかりしたお嬢さんだこと。――任せておきな、今日の晴れ舞台に相応しく仕上げてやるから」
水仕事に少し荒れ気味の大きな手のひらでパシンと咲月の背を叩いて笑う彼女は、この町の町内会会長の奥さんで、名を山中和枝と言う。
一時は社の現巫女姫の竜姫の保護者でもあった彼女には、咲月も半年前、神社の祭事の折りなどには色々世話になっている。
割とどこにでも居そうな世話焼きのおばさん、といった風の人だが、彼女は竜姫の事情を含めて社の事を本当に理解した上で、いろいろ手を貸してくれる、常人ながら貴重な人材だ。
今回も、咲月や朔海の正体を知りながら、流行りに乗っかって数年前に始めたという農園民宿の部屋と、着付けのための人手を咲月のために用意してくれた。式の後は、宴会の支度まで請け負ってもらっている。
「さあ、男衆は先に下に降りててくださいな。婿君のお支度はもうじき済むからね」
少し強引なくらいの勢いで背を押され、部屋から出されながら囁かれた言葉に、咲月がぴくりと反応を示したのに気づいたおかみさんは、にかっと笑う。
「ふふふ、あっちもいい出来だったけどね。やっぱり今日の主役はあんただ。婿殿をあっと言わせる位、ばっちり着飾らなきゃ」
隣室に押し込まれたと思えば、部屋に控えていた女性陣に取り囲まれ、あっという間に浴衣から下着から剥ぎ取られる。
着物の着付け、ヘアメイク、その他諸々、咲月が手出し口出しする隙もない程にてきぱきと施されていく。
「ほら、できた」
そうして、満足げにおかみさんが胸を張ったのは、目の前に据えられた大きな姿見の中、鏡像に映り込む時計の針が、10時を指す、その少し前の事だった。
「どうだい、いい出来だろう?」
着付けの介助をしてくれた女性陣の一人が階下から連れてきた葉月は、畳んだ扇子を口に当て、一言「ほう」呟いたきり、押し黙る。
「……これは」
幾ばくかの間を置いて、ようやく言葉を継いだ葉月に、おかみさんがしてやったりとばかりに笑った。
「ふふふ、父親役のあんたでも言葉を無くすんだ。こりゃ、婿殿の反応が楽しみだねえ」
「――そうですね。……では、咲月様、僭越ながら、式場までは私がエスコートさせて頂きます。下に車を支度して貰っていますから」
葉月が、胸に手を当て頭を下げる。
「朔海様も、先程出られて、そろそろ向こうへ着く頃です。さあ、行きましょう」
すっと、自然に手が咲月の前に差し出される。
「お手を、姫君」
何の嫌味もない、自然な笑みを浮かべながら、葉月はごくごく自然に咲月の手を取り、重たく慣れない衣装によろけそうになるのを支えつつ、さらりとそう口にした。
「ひっ、姫……、って」
「嫌ですねえ、何を今更。貴方は朔海様の伴侶であり、既に我らが王族の一員として名を連ねるお方。正しく我らが種族の姫君なんですよ」
葉月はにこにこと、満面の笑みを浮かべて言った後で、不意に真面目な表情で咲月の前に跪いた。
「一度は、貴方を見捨てる選択を是とし、また一度は貴方を朔海様から遠ざける事を良しとした私が――ほんの僅かの間ですら、大して保護者らしい事も出来なかった私が、この式で貴方の父親役を賜るなど、恐れ多いことと承知しております」
「そ、そんな事、な――」
そんな彼に咲月は慌てて首を振り、手を振ろうとし、慣れない重たい白無垢の裾を踏んづけ、たたらを踏みかけたところを、とっさに差し出された葉月の手にすんでで支えられる。
「……う、す……すみません」
「いえいえ、お社まではこれこそが私のお役目ですからね。朔海様にお渡しするまではしっかりお手伝いさせて頂きますよ。ほんのひと時でも、貴方の保護者を任された者として」
そのまま、手をとられ、そっと、とりわけゆっくり前へ一歩小さく踏み出す。
「――さあ、参りましょう」




