水面下に動く企み
「――では、モーガン一族の縁者だと?」
そう問われた彼は、床に額が着くほど深々と頭を垂れ、
「――はっ、おそらくは……!」
床にだらだらと脂汗を落とし、その痕跡を広げながら喉に閊えた声を無理やり絞り出した。
「“おそらく”、だと? 我はかの者の素性の精査を命じたはずだ。その報告が、“おそらく”とはどういう事か」
静かで穏やかな声が、広間に響き渡る。
「それとも何か、そなたの頭の中の辞書に、精査の意味が載っておらんのか?」
「い、いえ! 勿論、存じております。ですが、誠に遺憾ながら、調査が難航しておりまして……!」
紅狼の前に跪いた男は、さらに汗の量を倍増させつつ、答えた。
「あの娘が、あの家に引き取られる以前、孤児として人間界の施設で育てられていた事までは、調べがついたのでございますが……。何でも、ある日捨て子として施設前に置き去りにされていたとの事でございまして……。それ以前の情報を、この線から辿るのはもはや不可能に近く……!」
「ほう?」
ただでさえ暖かくない部屋の気温を、それだけで凍りつかせるような声音。
それに釣られて共に凍りつきそうな心臓の拍動を耳の奥で聴きながら、彼は乾いた声で報告を続ける。
「で、ですが……娘の現状を探らせてみたところ、かの魔女一族の一人に師事している旨の情報を掴みました。かの一族は徹底して情報を秘し、外部に決して漏らさない。……あの娘が、この一族の関係者であることは間違いないでしょう」
しかし、その一族の縁者がどうして、文化も風土もまるで異なる遠い異国で保護されたのか、その経緯がはっきりしない。
「件の魔女は、第一王子とかねてから懇意にしており、その当たりの縁を現在調べさせております故、もうしばしの猶予をいただけないでしょうか?」
臣下の問いかけに、紅狼は不満げにため息を漏らした。
「たかが人間風情、力で脅せば簡単に堕ちるだろうに……。あの一族だけはそうはいかん。全く、よりにもよってやっかいな……」
モーガン一族。魔女とはいえ、種族としては人間だ。
吸血鬼にとって、それも一族でも有数の実力を持つアルフ族の血を引く者なら尚更、赤子の手をひねるが如く、容易く制圧できる。
しかし、厄介なのは彼女たちが持つネットワークだ。
彼女たちが得意先とする種族は多く、彼女たちに下手に手出しをすれば吸血鬼一族の外交問題にも発展しかねない。
強硬手段に出られない以上、多少時間がかかるのもやむを得ない。
「いいだろう。もうしばし、猶予をやろう。――ただし。次の報告でまた今回のような報告を上げてくるようなら……、分かっておろうな?」
「――御意」
男は、幾分かホッとした様子で、緊張に張り詰めた肩を僅かに下ろした。
「それと……、これは未確認情報なのですが……」
少しなめらかさを取り戻した口調で、彼は恐る恐る切り出した。
「あの娘が、あの場で振りまいた銀の光。あれに、見覚えがあると申す者が幾人か居るようなのですが、あの場に居た者はどなたも貴人ばかり。我らのような身分ではなかなかお話を伺う機会がございません。お手数をお掛けすること、重ね重ね申し訳なく思う次第でございますが、何とぞ、便宜を図っていただけないでしょうか」
その申し出に、紅狼は目を細めた。
「……すると、我と同じことを考え、下手をすると我より先にその答えを手にするものが現れんとも限らんな。が、それは断じて阻止せねばならん。――よかろう、早速先方に手を回しておく。だが、良いな、奴らに先を越されぬよう、全力で事に当たれ」
――そう。あの力をこの手にし、玉座を我が物とするのは、自分。
「ところで、あの日の魔王陛下のご訪問の理由については何か分かったか?」
「いえ。そもそも魔王の命で徹底的に人払いがなされていた上、厳戒な箝口令が敷かれております。……ただ、あの日から第二王子の姿を見なくなったと、何でもどこぞの部屋に軟禁されているらしいと」
「ここしばらく、紅龍の近辺が妙に慌ただしいとの噂を耳にした。……これは、何かあるかもしれん。引き続き、そちらの情報も気をつけておけ」
――そう、他の誰でもない。この紅狼こそが玉座に相応しい。
あの場で魔王との間で交わされたやり取りを未だ知らない紅狼は、ようやくその険しい面持ちに僅かに笑みを浮かべた。
男を部屋から下がらせ、紅狼は早速筆を取った。
面倒な仕事ではあるが、他に先を越される危惧を思えば怠けるわけにはいかない。
渡されたリストの名前の数だけ、手紙を書き、それぞれ使者に託す。
「……・次に時期王として魔王陛下に目通りするのは、この我だ」




