二日酔いの朝
――ほんの僅かながら、頭が痛い。ズーンと重たい感じのする鈍い痛み。
色の戻った朝の風景。
時計を見れば、どうやら六時――少し寝坊したかもしれない。
その中で、咲月はゆっくり身を起こしながら額に手を当てた。
熱は、無いようだ。
昨日、朔海に諸々ぶちまけてしまったせいか、あの後は随分楽に寝入ることができた。
心機一転、すっきりとした目覚めを迎えられるはずが、この頭痛――。
これは、もしや……あれか?
のろのろと服を着替え、部屋を出ると、ちょうど向かいの扉が同じタイミングで開き、彼と目が合った。
「やあ、おはよう咲月。昨夜は良く眠れた? ……まさかとは思うけど、どこかの黒猫が安眠妨害しに行ったりとかした?」
「ううん、おかげさまで朝までゆっくり……」
「その割には顔色が良くないような――。あ、……もしかして」
咲月が、二階の回廊のこちらから向こうまで歩ききる僅かな間に、朔海も咲月と同じ結論を導き出したらしい。
「その……二日酔い、だったりする?」
「……お酒飲んだのなんか初めてだから、良く分かんないけど。風邪とかじゃないみたいだし、多分そうなんだと思う」
その答えに、朔海はぺちりと自分の額を叩き、しまったと言わんばかりの顔をする。
「初めてだって分かってたのに、加減もわからないまま少し飲ませすぎたか……。ごめん……」
「そこは私も考えなしについ飲んじゃったし。まあ、ちょっと頭痛がするだけだから、そのうち治まると思うんだけどね……」
取り敢えず、階段を降りる足取りに不安はない。
「分かった、今朝は二日酔いに効くメニューを揃えよう」
当然のように頷いた朔海。そして、それから一時間の後。
「おはようございます」
葉月が食堂へ姿を現す頃にはすでに食卓の上には三人分の食事の支度が整えられていた。
ちなみに本日の献立は――卵粥、しじみの味噌汁、柿と大根の梅ポン酢和えとデザートにアロエヨーグルト……。
その献立を一見した葉月は、即座に朔海と咲月の顔色を伺うように交互に眺めてため息をついた。
「おお、これはまた見事なまでの二日酔い対策メニューだな」
青彦が遠慮なくテーブルに飛び乗る。
「それでも、ここまでスマートに献立を揃えられて、しかもそれがどれも美味しそうなのはさすがね。葉月じゃこうはいかないもの」
「まあ、それは言えてる。二日酔いに限らず、何がどんな症状に効くのか、その知識は持っていても、それを生かす方の技術がなぁ……」
「――ウルサイですよ、青彦」
首根っこを掴み、葉月は容赦なくテーブルから彼を床へ落とす。
「……ごめんなさい」
代わりのように今度は紅姫が、食卓についた葉月の膝の上に乗り、しおしおとうなだれた。
「私が、一番に考えなければいけない事を疎かにして、調子に乗り過ぎたわ」
「うーん、っていうかさ、嬢ちゃんもっとおおっぴらに我が儘言ったら良いのにって俺なんかは思うワケよ」
青彦が、懲りずに再びテーブルに飛び乗り、ニヤッと笑った。
「俺、前に言っただろ? 逃げないって言うなら、面倒事は全部俺らに任せて、あんたは胸張って堂々とここに居ればいいってさ。あんたは俺らの望んでいた全てに、俺らの期待以上の成果と結果でもって応えたんだ。嬢ちゃんが俺らに遠慮する必要なんざこれっぽっちも無いんだぜ?」
ひょいっと葉月の皿からアロエを一粒かすめて口に放り込む。
「特に俺らは本当の面倒事が起きたとき傍についててやる事すら出来なかったつう体たらくだ。むしろ我が儘の一つでも言ってもらわなきゃ俺らの立つ瀬がねぇよ」
口をもごもご動かしながら喋る青彦を睨みながら、葉月がもう一度ため息をついた。
「こいつは、どうしてこう――。突然上手い事を言うんでしょうね。明日は何が降るのか怖くなるじゃありませんか」
「今のとこ、去年の春先――あれは三月の始めだったか……に突然大雪が降った以上のもんは降ったこと無いんだがな」
「……でも、大雪は降ったんですね?」
「おう、嬢ちゃんナイスツッコミ。そうそう、嬢ちゃんがウチに来る何週間か前に突然ドカ雪が降ってさ」
「あの時は……確か、そう、咲月様をうちで預かると正式に決まって、そわそわしっぱなしだった朔海様にこれが突っ込んだんでしたね」
「おう、だってよ、皿はひっくり返すし、フライパンに素手で触ってヤケドするし、食卓に並ぶメニューは全体的に焦げ気味だったり味が濃すぎたり薄すぎたり……」
「まあ、あの時のテンパりっぷりは見ものでしたね」
「んなもんだからさ、こんなとこで油売ってる暇があったら女の扱いのイロハ本の一冊でも読め! っつって追い返したら――」
「その日の夕方に起きてみたらもう、一面銀世界でした」
「ちょっと、結婚式はもう目前なのよ! ホワイトクリスマスったって、限度があるの! ちょっとそのへん白く染まるくらいなら幻想的だけどね、交通網が乱れる程降ったらむしろ台無しなのよ!」
「まあ、あそこには稲穂様がいらっしゃるから。いざとなったら雪雲を風で散らしてくれるんじゃないかな……?」
青彦についての話のはずが、自分の、それも今更な話を持ち出され、朔海が顔を引きつらせた。
「天気について、心配する必要など無い。何しろ、この私がついているのだからな」
食堂の扉が開き、ファティマーが姿を見せる。
最早最近では先触れを出すことすらせず、地下の魔法陣から気安く行き来している。
殆ど、ファティマーの別宅も同然の状態だ。
「……ファティマー、せめて扉を開ける前のノックくらいはしてくれ」
「すまんな。荷物で手がふさがっていた」
そう言って、どかっと重たい木の箱をテーブルに乗せた。
おおよそ三十センチ四方の立方体のその箱は、可愛いカントリー調の設えで、天頂部分には金の持ち手が取り付けられている。
また全面にはやはり金色の留め金が付いていた。
留め金を外し、持ち手を引くと――
持ち手のすぐ裏、蓋裏は全面鏡張りになっている。
そして、箱の中から仕掛けが飛び出し、三段重ねの収納が現れる。
その中におさめられているのは――
「今、我が一族の年頃の娘たちの間で流行りの化粧品の試供品を一通り集めて押し込んだ。やはりカタログと睨めっこするばかりではいかん。現物を見ないとな」
「……あー、の、もしかしてお師匠様、昨日のあれを」
「うむ。存分に楽しませてもらった。そなた、なかなかいける口らしい。今度いいワインを二人で開けよう」
「え……、いける口……? 二日酔いしてるのに……?」
「あのな、あの酒の度数がどれだけか、お前知らないのか? あの酒をあれだけ煽って二日酔いがその程度で済んでいるなら十分いける口の内だよ」
「それなら、お式の三々九度の儀式も問題なく執り行えそうですね。吸血鬼と言っても、酒の強い弱いは人間同様あるものなのでね。人間のような健康被害は殆どないとは言え……やはり、短期的に見れば酔って気分が悪くなる事はままありますし」
どうやら、葉月が朔海に酒を持たせたのにはそれをはかる意味合いもあったらしい。
「では、一同気を取り直して、式の準備を進めましょうか」
パン、と葉月が手を叩き、音頭をとる。
「お式の前日には近くの民宿に宿を取り、早朝から身支度を整える手筈になってますからね。実質、準備期間はあと三日です。さあ、じっくりみっちり、でもさくさくと、進めますよ」




