マリッジ・ブルー?
ほんの十日足らず。
僅かな身内のみの式とはいえ、こんな短期間で全ての準備を整えるなど、無茶にも程がある――。
咲月も、一応年頃の娘の一人として、『結婚式』というものにぼんやりとした夢や憧れのようなものはあった。けれどそれは、本当に、幼い子供が将来の夢に『ケーキ屋さん』を挙げるような、本当にぼんやりとしたイメージでしかなかった。
実際に、その手の情報誌とにらめっこしてみたり、式場や衣装の確保、それらの予算ぐり、はたまた招待客へ渡す引き出物、披露宴会場と、披露宴の段取り諸々、具体的かつ現実的な話となるとさっぱり、お手上げ状態である。
そこはしかし、本人より乗り気な女性陣が入れ代わり立ち代わり、朔海の屋敷とかの神社の社とを行き来しては、着々と準備を進めていく。
まず、ファティマーと竜姫に念入りに採寸された――と思えば今度は稲穂様直々にお出でになって、何やら朔海と二人で相談し合っていた――かと思えば紅姫が、「嫁入り道具」をどうするのかと聞いてくる。
「よ、嫁入り道具……、って、そもそも何?」
これまで、そんなおめでたい話とは無縁の生活を送ってきた咲月にとって、嫁入り道具と言われて思い浮かぶのは、日本昔話に出てくるような古めかしい和箪笥や長持ちくらいのものだ。
そもそも、和箪笥はともかく、長持ちなど、名前は知っていてもそれがどんな物だかすらよく分からない。
「そうですねえ、夫となる男性の家から頂いた結納金の額×2程度の予算から支度する、家具や家電や着物等の事を言うのが一般的ですね」
彼女の主である葉月が、さらりと説明してくれる。
「え、でも……そういう事ならもう、朔海には色々揃えてもらいましたけど……」
つい先日購入したばかりの家具や洋服。殆ど使っていないのだから、あれをそのまま持って行けば良いと思うのだが――。
「ですが……、仮にも義父ですからねぇ。私としても、二度とこんな機会はないでしょうから張り切っていかないと。ただでさえ肝心な時にお助けする事が出来なかったのですから」
「新居は城でしょ? そう考えたら家具とかより、いわゆる持参金になりうるような宝飾品の方が良いかもしれないわね……」
「なるほど、確かにそれは一理ありますね。ふむ、では早速ファティマー殿と共に街へ下見に行きましょう」
「え、ちょ……待っ……!」
咲月が慌ててそれを止めようとするも、背後から肩を叩かれ振り返ると――
「おう、お前に合いそうなサイズの打ち掛けをいくつか見繕ってきた。ちょっと着てみろ」
相変わらず派手かつ妖艶な衣装を身にまとう稲穂がにこにこと逆らう事を許さない笑みを浮かべて立っていた。
「赤、青、黒、紫、緑……、色も柄も色々あるぞ。何せうちは神社だ、神崎家の婚礼は決まって神前婚、それもうちは代々女系で継いできた家だからな。この手の衣装は蔵にいくらでもある、遠慮なく好きなものを選ぶと良い」
と、半ば強引に部屋へ押し込まれ、あれやこれやと着付けされるハメになる。
式まで日がないのだから、こうしてバタバタしてしまうのは仕方がないと思う。
こうして皆が意気揚々と楽しそうに準備をしてくれるのも嬉しい、と思う。
特に具体的な理想も思いつかないのだから、これでいいじゃないか、とも思う。
思う、の、だが……。
何だろう、何故かふと妙な心細さを感じる。
「……?」
自分でも、何故だか分からない。これがいわゆるマリッジ・ブルーというやつなのだろうか?
実際の結婚はもうとっくに済ませたというのに?
「……何か疲れてない、咲月?」
――自分では隠していたつもりが、残念ながら隠しきれていなかったらしい。ほんのひと時の静けさを取り戻した夕食の席で、朔海に尋ねられた。
「まあ、これだけバタバタしてるんだし、少しは……ね。でも、日が無いのは分かってるんだし、大丈夫、この位大したことないって」
自分でもよく分からない不安を、朔海に話せるわけもない。咲月は笑って誤魔化そうとした。
「何か、無理してない? ……ファティマーも稲穂様も、押しの強いひとだからね。巫女姫様や紅姫もこの件じゃ物凄く張り切ってるし。ねえ、咲月、ちゃんと自分の言いたい事、言えてる?」
しかし朔海はそれに引っかかる事なく、じっと咲月の様子を観察するように濃紺の瞳に見据えられる。
「確かに日はないし、色々押してるけど。でも、これは咲月と僕の式なんだ。主役は君で、ファティマーたちじゃない。我が儘を言いづらい状況かもしれないけど、やりたい事、やりたくない事、ちゃんと言えてる?」
静かに、もう一度同じ質問をされ、咲月は戸惑う。
「……でも、私、こういう事、よく分からなくて」
きっとこういう物は本当なら、もっと大人になって、社会に出て働いて、色々物が分かるようになって、具体的にやりたい事、やりたくない事、やれる事、やれない事を分かる様になった女性が、夫やプランナーと相談しながら決めていくものなのだろう。
しかし、それらを具体的にイメージできない咲月には、そういう事に慣れたファティマー達から提示された物に否とは答えられない。
嫌だと言って、では何が良いのかと尋ねられても、答えられないのだ。
皆が、自分の事を真剣に考えてくれているのだと分かるから、尚更に――。
「そっか。……ごめん、僕は僕でまた別に打ち合わせがあったりして、咲月をファティマーたちに任せっぱなしにしすぎたね」
朔海としては、そういうフォローをこそファティマーや紅姫に求めていたつもりだったのだが、残念ながらその思惑は外れ、むしろ裏目に出てしまったらしい。
「分かった、明日は僕も一緒に話を聞くよ。こういう事に関しての鈍さなら、僕は咲月以上だって、彼女たちは良く承知してるからね。ちゃんと説明してくれるはずだ」
「え、でも……、朔海は? 朔海だってやる事はあるでしょ?」
「やだなぁ、結婚式の主役は女の子、一生に一度の晴れ舞台なんだから、僕は精一杯その手伝いをするだけだよ」
そう言って、朔海は臆面もなく微笑む。
「………………」
こうなれば、咲月は黙って降参の白旗を挙げるしかない。
「……何か、すげえな坊ちゃん。ってか、こんなだったけ、坊ちゃん」
「元々こういう性格ではあったけど……確かに随分と磨きがかかった気がするわね」
「……何でしょうね、とても複雑な気分です。義娘を嫁に出す父の気分と、息子の成長を喜ぶ父の気分を一度に味わう事になるとは……、ね」
その隣で、青彦、紅姫、葉月がひそひそと囁き合う。
「――葉月」
と、少し声を低めて朔海が彼の名を呼んだ。
「ああ、済みません、聞こえました?」
「……葉月。すぐ隣の声を、『僕ら』が聞き逃すと思う? ――まあ、いいけどさ。用事はその事じゃない、後で相談したいことがあるんだ。少し、時間を空けられるか?」
「相談、ですか……? ええ、今晩でしたらいつでも――」
「なら、夕食後部屋で待っていて欲しい」
朔海の屋敷に滞在している葉月は現在、先日まで咲月が使っていた客間を使っている。
間が無かったため、部屋の内装はファティマーが咲月仕様に設えたままだ。
「それは……構いませんが」
仮にも主従となった以上、こういう場合は葉月の方が時間を見て主の部屋を訪ねる方が自然である。
「僕の眷属として葉月への相談じゃなく、保護者としての葉月への相談だからな」
怪訝な顔をした葉月に朔海は肩を竦めた。
「そういう時は、婿が舅の顔を立てるもんだろ?」




