結婚式は、吉日を選んで
「魔王陛下が……?」
彼の居ない間に起きた事の全てを説明し、そしてまず彼が口にしたのはその一言だった。
場所を客間に移し、朔海と咲月、葉月とファティマーが並んでそれぞれ向かい合わせにソファーに掛ける。滅多に使われないその部屋のテーブルには、湯気を立てる紅茶と、お茶請けのクッキーが並ぶ。
そのテーブルの上に、二匹の猫が鎮座している。
一匹は、綺麗な姿勢できちんと座り、もう一匹はだらしなく体を伏せて寝転んでいる。
「しっかし……そっか。『儀式』も終えて――坊ちゃんも随分と男ぶりを上げたじゃないか」
テーブルに寝転んだ黒猫――青彦がニヤリと笑う。
「その指輪は朔海様から……?」
ぺしりと猫パンチを繰り出し黒猫の額をはたきながら、白猫――紅姫が咲月の指に嵌められたそれに目を留める。
「うん、その……婚約指輪、って事で……」
「うむ。我ながら良く出来た逸品だ。ああ、結婚指輪の方も既に仕上がっているぞ」
ファティマーが懐から小箱を取り出す。
「……中身は――まあ、当日その時までのお楽しみ、だな」
勿体ぶって箱だけ見せつけ、ファティマーは愉快そうに微笑んだ。
「しかし……婚約指輪って? 坊ちゃんてば、『儀式』を済ませってことはもう、嬢ちゃんと『結婚』したんだろう?」
「そうだけど。でも、あんな必要に迫られた状況で急かされながらじゃなく、ちゃんと全部落ち着いてから、きちんとけじめをつけたかったんだ」
「へえぇ、相変わらず真面目だねぇ。に、しても。オニーサンてば、坊ちゃんがちゃんと大人の階段登れるのか心配して、コトの前に色々伝授してやるつもりだったんだけど……、坊ちゃん、大丈夫だったか?」
ニヤニヤしながら囁いた青彦に、朔海は容赦なく拳を振り下ろした。
紅姫は、それに呆れた眼差しを向けつつも、柔らかく微笑んだ。
「何だか私たち、随分と必要のない心配ばかりしていたみたいね。もう力をそこまで使いこなして、朔海様とも随分と仲良くやっているみたいだし。――安心したわ」
「……そうですね。机上の空論だったはずの物が、こうして今現実のものとなって目の前にある。何だか不思議な気持ちがします」
茶を一口啜り、葉月は改めて部屋の中を見回す。
「この屋敷に来るのも久しぶりですが……、魔界など、本当に久しく行っていませんでしたから……。しかも、魔王の城、ですか。またどうして……朔海様はともかく、何故私なのでしょう……?」
「分からないよ。どうして僕や咲月が名指しされたのかすら――」
「……朔海様は、分からないではないですよ。何しろ、一族でも滅多に出ない竜王の力の使い手なのですから。それに、咲月君――いえ、もう咲月様とお呼びするべきですかね? ――あなたも、朔海様と同等以上に力を振るわれたと言うではありませんか。もしもそのお力を見込まれての事なら……」
「成る程、そう考えれば葉月が呼ばれた理由も分からないでもない……が、確かに少ないが、過去にも竜王の血の使い手は居たぞ……?」
だが魔王は「ようやく長年の悲願が叶った」と言った。彼らでは、魔王の『悲願』を叶えるに値しなかったという事だ。
「まあ、知りもしねえ他人様の考えを読むなんざ、特殊能力でも持たん限り無理だろ。こうして頭突き合わせてうんうん唸ってた所で確かな答えなんざ得られないんだ。だったら、もっと別のこと考えたほうが建設的だぜ?」
「……ほう。青彦にしては珍しく上手いこと言いますね。明日、槍が降って来ないと良いのですが」
「――だな。……でも、確かにこっちも急いで考えないと」
「結婚式、ですか」
「そう。……僕としては神前式――教会じゃなくて、神社で挙げる方のを考えているんだけど」
「もしかしなくとも、豊生神宮で、ですか?」
「だって、僕らがかの神に誓うのも……あれだろ? けど……あそこなら、気兼ねなく僕らの誓いを聞き届けてくれる。それに、随分と世話にもなった。一度きちんと報告もしておかないとね」
「まあ、その辺は分かりますけど……今の時期って一番忙しい時なんじゃありませんか……?」
師走の大祓から初詣、新年明けてしばらくは何かと神事が立て込む。
特に初詣は毎年かなりの参拝客が訪れる。
「そうも思ったんだけど……」
朔海が、折りたたまれた紙を一枚、差し出した。
その紙には、しばらく見ることのなかった日本語で、こう書かれていた。
『日取りが決まり次第、すぐに知らせろ』
見覚えのあるその筆跡は、稲穂のものだ。
「ふむ、私はしばらく特別な用事もないし、いつでも問題ないぞ? しかし……日本へ行くのは久しぶりだな」
「……これだけ日にちが空いたんです、簡単には医院も再開できないでしょうし……、そうなると私も当分暇を持て余す身ですね」
「ならば明日にも出来そうではないか?」
「まあ、せめて日の良い、一番日取りでって事ですかね。大安、友引――さて、手元に暦が無いのでいつがそれか分かりませんね……」
「えっと、今年の元旦は赤口だったはずですから……。それで計算すると……大安は、21日と27日のはずです。友引は、大安の三日後だから……」
「24日と30日、か――」
「27日を過ぎてしまえば、さすがにご迷惑でしょう」
「あんまり日にちも伸ばせないしね。だとすると……21か24?」
「24日はクリスマス・イヴでもあるな。そちらの神様への義理立ての必要はなくとも、覚えやすい日にちの方がお前は助かるのではないか?」
ニヤリとファティマーが笑う。
「世の夫婦喧嘩において、夫が結婚記念日を忘れる、というのはかなりポピュラーなネタだからな」
「けど、この坊ちゃんだぜ? むしろ忘れるとか考えらんねえよ」
「まあ、朔海様ですからね。忘れるどころか毎年喜々としてそうではありますが……。日本ではあまり宗教へのこだわりはありませんからねえ、クリスマスには街も華やぎます。悪くない日取りなのではありませんか?」
「よし、決まりだな。早速知らせを飛ばすといい。私も予定を調整しておこう」
咲月が、豊生神宮にて得た知識を披露すると、そこからトントンと、半ば当人たちを置き去りにする勢いで話がどんどんまとまっていく。
「お衣装は? どうするの? 神前なら、白無垢よね? 作るにはさすがに日がないわよね……借りる?」
紅姫が、元は日本人の娘らしい心配を口にする。
「簡単に、とはいえ色々準備で忙しくなりそうですね」
ため息をつきつつも、楽しそうな葉月。
「……そのためにも葉月、しばらく屋敷に留まってくれないか? 一応、あの家も簡単には片付けておいたけど、さすがにここ二ヶ月くらいは放置しっぱなしだったし」
そんな葉月に、朔海が切り出す。
しかし、葉月は首を横へ降った。
「――朔海様、先ほどのお話が本当ならば、私はもう、あちらへ戻るつもりはありません」
そしてきっぱり言い放つ。
「朔海様。魔王陛下のご意向がどうあれ、朔海様が王位に就かれると言うのならば、私は貴方にお仕えするため、共に魔界に参ります」




