帰還
「ただいま」
ここを離れていたのはほんの数日だというのに、物凄く久しぶりに帰ってきた気がする。
しんと静まり返った屋敷の敷居をまたぎながら、咲月は天井のシャンデリアを見上げる。
「――お疲れ様」
「本当に、冗談抜きに疲れた……。けど、それはお互い様でしょ、朔海」
「……そうだね。今日はもう休んで、明日から術の準備を始めよう。ファティマーにも連絡を取って……それで、葉月を無事復活させたら……。魔王の城へ行く前に、身内だけで式を挙げよう」
それは――『王族認証の儀』を終え、葉月を復活させたら式を挙げるというのは以前から言っていた事だが……。
「いいの?」
魔王は可及的速やかに、と言っていた。それは、命令違反にならないだろうか?
「魔王の用事が何だか分からないけど、場合によってはその足で城へ戻って、そのまま譲位戴冠なんて事にならない保証はない。そうなれば、忙しくなって、式どころの話じゃなくなる。式だけなら数日あれば足りる。……準備期間も少なくて、簡単なものになっちゃって、申し訳ないけど」
彼にとっては正念場と言ってもいい時に、それでも咲月のためにと考えてくれる。大変な時なのに、それでも時間を割いてくれる。
「充分だよ。別に贅沢したい訳じゃないし。お互い、招待したい人は多くないし、ほぼ被ってるでしょ?」
なら、皆の都合がいい日に集まって、簡単なパーティーでも開いてわいわい騒げたら、それで十分満足だ。
二階へ上がり、それぞれの部屋へと戻る。
着替えもそこそこに、咲月はベッドに転がった。
ここ数日、当たり前のように朔海と寝台を共にしていたせいか、その温もりが隣にない事が少し寂しい気がする。
――が、普通の人間ならまず一生経験する事のない、もしくは滅多に経験する事のないような事を、この数日でいくつも経験し、疲れきった頭と体はそんな感傷に浸る暇も惜しいと眠りを要求してくる。
咲月の意識が暗転するのに時間はかからなかった。
その一方で、堅苦しい衣服を脱ぎ捨て、部屋のシャワールームで熱い湯を頭から浴びながら、朔海はあれこれと疲れた頭に鞭打って考えを巡らせる。
「取り敢えずまずはファティマーと……あと、あの人たちにも予定を聞いて……」
突然降って湧いた話。難題の山が積み上がる現状と、茨の道の未来から、つい目を逸らしたくなりながら目を閉じれば、目に浮かぶのは昨日見た、咲月の姿で――。
己の身の内に眠る力を目覚めさせ、扱えるだけでも特別視される。
それを、竜の形をとらせて具現化させれば、紅龍王が口にした通り、それだけで玉座が約束されたも同然なのだ。
しかし、あんな事が可能だなどと――自ら龍の姿に変化するなど、少なくとも朔海は聞いたことがなかった。それも、あんなに綺麗な……
本来禍々しいはずの竜王。それに加え彼女には自分同様白龍の力もあるとはいえ、あんな……。
「あーあ、うかうかしてると、あっという間に追い抜かれて置いてきぼりにされそうだなぁ」
とても強くたくましい彼女。ほんの半年前までの自信の無さが嘘のようだ。
『力』だけではなく、精神的な面において、咲月をフォローしなくちゃと意気込んでいたはずが、いつの間にか自分の方が彼女にフォローされていて。
「……僕が王だなんて。葉月が聞いたらどんな顔するかな?」
もう一度、彼に会えるのも、やっぱり咲月のおかげだ。
彼はあの時、再び甦る事が出来るなど思っていなかっただろうが――。
「でも、僕が王位に就くなら――彼は補佐役として欠かせない。僕のためにも、咲月のためにも……」
明日。屋敷の地下で行う儀式の内容を、何度も何度も頭の中でシュミレーションしながら、朔海はベッドに転がった。
一人で寝るには少々広すぎるくらいの寝台を、ころころ左右に転がる。
ここ数日いつも隣にあった温もり。彼女の柔らかな肌に触れられないのが酷くもどかしい。
疲れきっているだろう彼女をさらに疲れさせるのは良くないと思ったから、彼女を自室に戻したのだ。
今彼女が隣に居たら、朔海は自らを抑えられる自信が全くなかった。
「……眠らないと」
あす行う甦りの儀式は、相当に負担の大きな術だ。万全を期して臨まねばならない。
だが……確かに疲れているはずなのに、ちっとも眠れる気がしない。
朔海は悶々としながら、それからかなりの間頻繁に寝返りを打ち――ようやく眠りについたのは、相当時間が経過した後の事だった。
――カツン、と、つややかな大理石が良い音を立てる。
「……ようやくだ。俺は、この時を気の遠くなる程の間待ち続けてきた」
艶やかな漆黒に輝く騎士を、敵陣の前に放ち、彼はほのかな笑みを浮かべた。
「こちらの仕込みは……残念ながらもうしばらくかかりそうですねえ。随分良い具合に漬かっているとは思いますが、熟成の終わらないうちにそうそう取り出すのは褒められたことじゃないですから……」
カツン、と、今度はその漆黒の騎士を射程に捉え、真白の女王が睨みを利かせる。
「だが……、それもあと十数年あれば美味い具合に仕上がる。俺たちにとっちゃ無いに等しい時間だろ?」
「ですが、地上の時の流れは早い。特にこの百余年の目まぐるしさと言ったら……。ほんの少し瞬きした間だけでも色々大事なことを見落としてしまいそうで、おちおち昼寝もできません」
「相変わらずクソ真面目な奴だなあ。もう少し要領よくやらねえと、身体壊すぞ? いくら天使とはいえ」
「――けれど、自らの身を削って世界を支えていらっしゃる兄上を思えば……この程度……」
「ふん、俺は好きでやってんだ。何だかんだ言っても、俺はこの世界が割と嫌いじゃないからな」
カツン、と黒の騎士が白の王に狙いを定める。
「――王手」
「――チェック・メイト、です、兄上」
しかし、直後、白の女王が黒の王をカラン、と盤の上に倒した。
「あっ、あ……あああ!」
漆黒の髪と、にょきりと突き出した雄山羊の角の生えた頭を抱えて、小学生か、中学生くらいの背丈しかない少年が、頭を抱えて叫んだ。
「私の勝ちです、兄上」
そんな彼を余裕の微笑みを浮かべて眺めるその顔は、少年と瓜二つ――ただし、歳は二十を少し超えたくらいだろうか――少年の未来の図を見ているかのようだ。
しかし、その髪と目の色はまるで対照的だ。片や漆黒の髪に金の瞳。片やハニーブロンドに蒼い瞳。
「くそぅ、やっぱこういう理詰めのゲームじゃお前には勝てねぇのか……?」
「兄上は天才、直感型ですからねぇ。まあ、ひとつくらい弟の私に譲って下さっても良いではありませんか。何しろあなたは至高の熾天使、他に並ぶものは無いとまでいわれた存在なのですから」
「ふん、ンなもんとっくの昔に捨てちまったよ。あんなロクでもねェ……」
それを苦笑を浮かべて眺めつつ、彼は駒を綺麗に並べ直す。
「もう一度、やりますか?」
「……いや、やめとく。今はもっと別の駒の使い方を思案するべき時だろう?」
「彼は、――彼らは、使えそうですか?」
「ああ、実に面白そうな奴らだ。ある意味、俺の期待以上に仕上がってきたぜ」
「それは、彼らに会うのが楽しみです」
「――その時は、カードで勝負しようぜ。ポーカーか、ブラック・ジャックか」
「おや、何を賭けるつもりで?」
「そりゃ、もちろん――この世界の命運を、さ」




