王という未来へ
魔王が去った部屋を、重苦しい沈黙が支配する。
魔王を送り出すべく慌ただしく動く兵たちの気配は扉の向こうから途切れることなく聞こえてくる。
――が。
紅龍王に王妃、朔海に霧人、そして咲月と王族に名を連ねる者のみ残された部屋の中は、魔王が残していった緊張感が解けることなくピリピリ張り詰めたまま、痛いほどの沈黙が続く。
朔海の実弟たる霧人は、己で仕掛けた塩の山に埋もれたまま床に転がり、王はそれを害虫でも見るような目で見下ろし、睨みつける。
王妃は腹立たしげにそっぽを向いたまま。
朔海は、突然の展開に頭を抱えて黙り込んでいる。
その中で、真っ先に沈黙を破ったのは王妃だった。
「……全く、私の息子は揃いも揃って私に恥ばかりかかせてくれる」
忌々しげに呟き、パチンと手にした扇を打ち鳴らした。
「霧人。私はあなたに期待していたというのに……これはどういうことです!?」
王妃はずかずかと床に伏したままの息子の傍へ近づき、その襟首を捕まえて無理矢理立たせ、その頬を扇で張り飛ばす。
パンッ、と渇いた衝撃音が空気を裂き、扇で傷ついた彼の頬に一筋、血の赤に染まった線が刻まれた。
一度では怒りがおさまらなかったらしく、二度、三度と滅多打ちにする。
王は、そんな王妃を止めようともせず、黙って見ているだけ。
動いたのは、朔海だった。
「……王妃」
振り上げた王妃の腕、その手首を捕まえ、それが振り下ろされるのを力尽くで止める。
「――そのくらいにしておくべきです」
掴まれた腕がびくともしない事に気づいた王妃が、もう一人の息子を睨みつける。
「何のつもりです。これは、死罪も当然の過ちを犯したのですよ。この程度の制裁では到底足りません」
しかし、朔海は痛ましいものを見る目で己の母たる王妃と、実弟たる霧人を交互に見比べた。
「確かにこれがやったことは、王族全て――いや場合によっては吸血鬼一族全てを危機に晒したかもしれない。あまりに愚かで浅はかな行為であることは間違いない。……けれど、彼がどうしてこんな行為に及んだのか、その原因はあなた方にもあるのではありませんか? ――もちろん、僕にも……」
朔海は王妃と霧人を引き離し、間に割って入る。
「霧人は、王位にとても拘っていた。この魔界に於いてはその名が至上の名誉であり、普通なら誰もがその地位を欲してやまない……それは分かっていますが、霧人がここまでの事をしてでも王位を欲したその理由……それは、もう少しで手の届くはずだったものが、それもそれを手にすることを期待されていたのに、それを手にする機会をあっけなく奪われたから……。それも、僕なんかに。――違うか、霧人」
霧人は、それに答えることなくふいっとそっぽを向いた。
随分と子供じみた態度だが、しかしそれは肯定を示していた。
「――僕は、王になりたいなどと考えたことは一度も無かった。王、あなたに命じられた今回の件だって、あなたが霧人や母を質に取るような条件を出さなければ、僕は大人しく命を差し出していたでしょう」
咲月を得た今ではもう考えられない選択だが、当時は当たり前のようにそう考えていた。
「けれど僕は、血の繋がった身内を見捨てる寝覚めの悪さを厭い、咲月を僕の事情に巻き込んで、こうして彼女を連れてここへ来た。……王の出した条件を全て満たして、危機を回避したつもりが、こんなつまらない事で命を無駄にされたらたまらない」
そして、おもむろに霧人の方へ体ごと振り返った――その勢いのまま、朔海が自らの拳を弟の鳩尾に深々と埋め込んだ。
「――っ!」
彼は目を剥きながら、しかし悲鳴を上げる暇もなく昏倒した。
普段の朔海らしからぬ実力行使に、咲月も驚きを隠せない。
ずるずると崩れ落ちる弟の体を受け止め、朔海は彼を引きずるようにすたすたと扉の方へ歩いていく。
「――衛兵!」
扉の外へと声をかければ、たちまち扉が開かれ、慌ただしく兵がやって来る。
「お前たち、これを部屋へ閉じ込めておけ。部屋の扉の前と窓の下、そして隣室に見張りの兵を置き、決してこれを外に出すな」
兵に弟を突き出し、朔海が命じる。
「……綺羅星、何を勝手に――!」
その行動に、紅龍王が憤りの声を上げる。
しかし、朔海は先程まで青白かった顔に決然とした表情を乗せ、王を見据えた。
「――ですが、魔王の命令があった以上は、僕が、王になるしかない。……なら、あれの処遇を決めるのも僕です」
「つい昨日、王になる気はないと抜かした口でよくも……」
「ええ、あなた方の勝手な都合を聞いて王になる気は、今もサラサラありませんよ。……ですが、魔王陛下の仰った通り、確かに僕は王家に生まれ、独り立ちできる歳になるまでこの城で育ったのは事実。そうである以上、王族として最低限の義務は果たさねばならない、そのくらいの自覚はある」
母と、実弟を質に取られ、自らの命を放棄することをやめた朔海。
今回は王族のみならず種族ごと質に取られたも同然の命令だ。
「――この状況で断れば、咎は咲月にまで及ぶ。それを回避する術が僕が王になるしかないと言うなら、僕は……」
結局自分の事ではなく、周りの事ばかり考えている朔海に、咲月は呆れて、つい笑ってしまいたくなる。
あんな風に言われて、朔海が断れるわけがない。
その彼の甘さ、お人好し加減に救われ、惹かれた身である咲月も、腹を括り、覚悟を決める。
「……何だろうね、何か葉月さんが望んだこと、全部が現実になった感じ?」
ため息とともに、咲月は軽く笑い飛ばした。
「葉月さんは、朔海が魔界の常識を変える事を望んでて……、この世界で王は絶対の存在なんでしょ? だったらさ、それも不可能じゃないって事だし。もしかして葉月さん、予言の才能があったりするかも?」
腕に嵌めた腕輪の石を見下ろしながら、咲月は何でもないことのように言う。
「陛下の命令もあるしさ、……私も、早く葉月さんに会いたい。朔海だって、葉月さんに報告したい事、たくさんあるでしょ?」
彼が、咲月に謝罪を述べようと開いた口から言葉を発する前に、咲月はそれを封じるようにぽんぽん言葉を並べる。
――そう言えば、出会った当初は咲月の方が何かと朔海に謝ろうとして、こんなふうに謝罪の言葉を封じられた事もあった。それとまるで反対の立場に立って、咲月は彼と同じ事をしている。
「……ああ。諸々報告したらきっと葉月、ひっくり返るだろうなぁ」
朔海も、同じことを思ったのだろう、苦笑を浮かべて冗談交じりの言葉を口にする。
「正直僕も、天地がひっくり返ったような気分だけど……でも……こうなった以上、覚悟を決めないと」
「……うん。私も、今ちゃんと起きてるのか不安になるけど……これは夢じゃなくて現実なんだもんね。魔王の城に喚ばれちゃった訳だし」
これがRPGなら、最終ダンジョンとなるだろう場所だ。
「私は、潮に『この先、どんな事があっても私は朔海と居る、何があっても朔海を信じる』って誓って、彼と契約したんだし。私も……覚悟、決めないと……だよね」
平穏な生活はおそらく当分望めない事も含め、大変な未来へ続く道を選ぶ覚悟。
「それにしても、魔王陛下の悲願……、か。あんな、大抵の事なら自分で簡単に叶えられそうな凄いひとが言う『悲願』って、何なんだろうね?」
「さあ……、それは僕にも分からないよ。想像すらつかない」
「……全く、何故よりにもよってお前を指名するのかも分からんが。魔王の命令に逆らい、ましてや魔王との契約を反故にするなど許されん。早急に、譲位の方向で話を纏める」
腹の中で渦巻く怒りをなんとか抑え、紅龍王が言った。
「しかし、お前は城を捨て、魔界を捨てて一度出奔した身だ。戴冠式を終えたとて、臣下や民衆がそれだけでお前に従う事はない。――分かっているだろう?」
一人で国を動かすことなど出来はしない。いくら力が全てとはいえ――いや、だからこそ信頼のおける臣下は必要不可欠。最低でも宰相と侍従、近衛は絶対に必要になってくる。
「お前に、この僅かな猶予の間にそれを見つけてくる事が出来るのか?」
「それはもう、出来るか出来ないかの話じゃないでしょう? 王になるのに必要なものなら、それは何が何でも揃えなければならないもの。――何とでもしますよ」
朔海は、空の玉座を見上げて言った。
「……ならばお前はまず、魔王陛下の命令を遂行しろ」
その背に向かって、王が命じる。
「分かっています。そのためにもまずは一度、戻ります。魔王陛下との謁見後、改めて報告に上がります」
朔海は、王へと体ごと向き直り、頭を下げる。
「行こう、咲月。……葉月を、取り戻しに」
差し出された朔海の手に、咲月は自分の手を重ねた。
「――帰ろう、僕らの屋敷へ」




