魔王の命令
――果たして。
昨日とほぼ同じ時間に、昨日より更に豪奢に飾り立てられた姿で、咲月は朔海にエスコートされながら、謁見の間へと足を踏み入れた。
昨日はあまりに突然の事に、殆ど何の支度もなされていなかったが、昨日より大幅に増員された警備と、物々しい雰囲気、そして昨日以上に兵士以外の者を見かけない、やけに静かな城内、そして『人払いを』との指示を受け、謁見の間に居るのは王と王妃、そして朔海と咲月のみ、兵すら居ない、ピリピリとした空気が張り詰める。
今日の王は玉座についてはいない。
玉座の壇の下、王妃を伴って赤絨毯の縁――玉座に向かって左に並んで立ち、朔海はその向かい、玉座に向かって右側の赤絨毯の縁に、咲月と共に立つ。
もうじき、あの扉が開く。
赤絨毯の先、廊下へ続く扉が開けば、かの王があの玉座につくべく、この赤絨毯を踏みしめ、咲月の前を通り過ぎ、あの椅子に座る。
魔王、ルシファー。それをモチーフとして描き、象徴する絵や彫刻その他美術品や、美術品とは言えないような雑多なイラストや寓話の類は、人間界には掃いて捨てる程ある。
そして、それらの一部は、咲月も幾度も目にした事がある。
だが、そうして描かれたものは、実に様々。基本的には妖しげな魅力に満ちた男の姿で描かれるが、あるものは獣の頭を描いていたり、醜悪ななりで描かれるものもある。
全ては、想像の産物。
だが、これからやってくるのは正真正銘の本物だ。
本物の魔王とは、いったいどんな姿をしているのだろう?
――恐怖三割、興味三割。
そして、昨日からいくら考えても答えの出ない疑問。一体その魔王陛下の用事とは何なのだろう?
――不安二割、緊張二割。
ドクドクと心臓の鼓動がやけに大きく咲月の耳に響く中、扉の外から兵士の声が響いた。
「魔王陛下、ご到着――!」
にわかに、扉の外が慌ただしくなる。そして、程なく、扉が大きく開かれた。
朔海に促され、咲月は彼に倣って床に膝をつき、頭を下げる。
その前を颯爽と歩き、通り過ぎる気配が、二人分。
壇を登る足音。玉座が僅かに軋む音。そして――
「――面を上げよ」
耳に心地良い、低く響く美声が命じる。
ドキドキしながら、そろそろと顔を上げ、その玉座の主を見上げる。
壇上には、二人の姿がある。
一人は、昨日使者としてここを訪れた彼。彼は、魔王の小姓のようにその傍に侍り、こちらを見下ろしている。
魔王その人は、足を組み、肘掛に肘をついて頬杖をついてこちらを睥睨している。
もしもそこらの者がそんな格好をしていれば、まず不遜な態度に見えるだろうという姿勢であるのに。
一流モデルも真っ青な長い足を組んだその姿勢はとても優雅だ。
そして頬杖をついたその顔は、どんなイケメン俳優も真っ青――、そう、目、鼻、口、眉、輪郭、ありとあらゆる全てのパーツそれぞれが、この世で最も優れた見目の物を厳選してきたようなそれを、寸分違わぬ絶妙な配置に整えた、どんな芸術家も裸足で逃げ出しそうな、この世のものとは思えない美を備えている。
いや、顔だけではない。その顔を乗っける身体も、足の長さはもちろん、全ての部分の骨格から筋肉のつき方、全てのバランスが完璧に整った、究極の美――。
その背にある三対、六枚の漆黒の翼、その艶やかさまで含めて、他に比類無き、超越した美を持つその存在が、足を組み頬杖をつく姿は優美以外の何ものでもない。
圧倒される程の存在感に、咲月は息を継ぐのも忘れて黙り込んだ。
――これが、魔王ルシファー。
この姿を正確に描ける芸術家など、存在しないに違いない。
その存在を直に目にして、咲月はそう確信した。
リアルに、「絵にも描けない美しさ」を目の当たりにして、瞬きすら忘れそうになりながら、咲月はその存在が次の言葉を口にするのをじっと待つ。
「――久しいな、紅龍よ。さて、前回こうして見えたのは一体何時の事だったか……記憶が定かではないのだが」
「……恐れ多くも、魔王陛下のお目にかかるのは、これが三度目にございます。一度目は、私が生まれてすぐ、我が父であり先代の王たる緋龍王に連れられての事。二度目はその先代王より王位を継いだ旨のご報告に上がった際、そして三度目はこれの誕生をご報告に上がった際故、ほぼ三百年ぶりではないかと」
「ああ、そう言えばそうだったな」
「……それで、本日は一体どのようなご用件があっての訪いでございますか?」
「うむ。『見定め』に来た」
互いに「王」たる者同士、しかしその格は明らかに違うと分かる、声の違い。
声に滲む「重さ」がまるで違う。
「見定め……? 一体、何を……?」
「――『器』を」
「器……?」
「そう。我が望みに応える器があるのかどうか。――どうやら、我が悲願、ようやく叶ったようだ」
「……それはそれは――、おめでとうございます。して、その悲願とは?」
端的な言葉しか発さない魔王の真意をはかれず、紅龍王が怪訝そうに尋ねる。
「残念だが紅龍王、それはそなたには明かせぬ。我が願いは、それを叶える者にのみ伝える」
「――!」
魔王の言葉に、紅龍王と朔海が揃って息を呑む。
咲月も、王の言わんとする事を察し、戦慄を覚えた。
「陛下の願いを叶える者、というのはまさか……」
紅龍王も、ほぼその結論を察しながら、それでもまさかという思いを滲ませながら恐る恐る尋ねる。
「――だから、そなたを指名し、喚んだのだ。紅龍王が第一王子、綺羅星の朔海、そしてその妃たる娘、双葉咲月をな」
耳にするだけでゾクゾクするような美声が、咲月のフルネームをなぞった――その時、何故だか心臓を直に鷲掴みにされたような心地がした。
隣の朔海も明らかに体を強ばらせる。
「本当は、もう一人喚びたかったのだが、どうやら今はそれが叶わぬ身であるらしい。……さて、白露と呼ぶべきか、双葉葉月と呼ぶべきか?」
魔王はそう言って、咲月の手首に視線を落とした。
「……だが、それだけなら初めからこれらだけを喚べば済む事。此度、お前たちにも同席を命じたのにはもちろん、相応の理由があっての事」
そして、魔王は重々しく口を開いた。
「――紅龍王よ。今すぐ、とは言わん。あまりに突然では国が乱れる、それは王として理解している。だが、可及的速やかに玉座を明け渡し、そなたの第一王子を次期王として立てよ。これは、魔王としての命令である」




