ディナー・タイム
互いに物凄く嫌そうな顔をしながらの吸血、だというのに。
……何だろう。何だかすごくイケナイものを見ている気分になって、咲月はスッと彼らから視線を逸らし、改めて自分の前に跪く少女に目を落とす。
もう、喉の渇きは限界だ。
「あの……、痛くしたらごめんなさい」
そろそろと、晒された首筋に口を寄せ、首から肩へ続く緩やかなカーブを描いたそこに、見よう見まねで咬みつき、牙を立てる。
プツリと、肉に牙が食い込んでいくのと同時に、穿たれた傷口から暖かな血が溢れてくる。
――甘い。
ほんの僅かに滲んだそれが、舌にほとりと落ちる。
よく熟れた果実を食んだかのような芳醇な甘味は、いつもの薬の味のする血液パックとはまるで別物だった。
渇いた喉が焼け付くような感覚に、咲月は最奥まで埋めた牙を少しだけ緩め、僅かに空いた隙間から溢れる血を吸い上げ、啜り、飲み込む。
甘い血が、喉を滑り落ちていく感覚は、まさに至福。
「あ……っ、ん……」
と、その感覚に思わず酔いそうになった咲月の耳元で、突然あられもない喘ぎ声が上がる。
何事かと驚いた咲月は慌てて牙を抜いた。何かまずい事でもやらかしただろうか?
「あ……、も、もうよろしいので……?」
何故かぽうっとした顔で尋ねられ、咲月は返答に詰まった。
まだ、ほんの二口三口啜っただけだ。喉はまだ渇いている。しかし――
「奥方様、どうかお気になさらず満足のいくまで血をお楽しみください」
迷う咲月の代わりに涼牙が答える。
「我らの牙にかかれば、快楽が得られる。――全ての者がその能力を有しているわけでは御座いませんが……どうやら奥方様はその能力をお持ちの様子。ならば当然、それは自らの身で既にご存知なのではございませんか?」
しれっと言われた咲月には、もちろん心当たりがあった。
ああやっぱり、という想い半分、少々恨めしげにその当人の方を軽く睨んで、小さくため息をついた。
「……それ、彼に自覚は?」
「さて、どうでしょう。あの方は持てる力にムラがありすぎるので」
やはり、半ば無自覚だった可能性が大いにある。
咲月はもう一度ため息を吐き出し、「あの、もう少しだけ……」と、たった今拵えたばかりの傷口に吸い付いた。――あまり飲みすぎては、彼女を化物にしてしまう。
うっかりをやらかさないよう、血に酔ってしまわないよう気をつけながら、血を啜る。
血液パックに比べ、生き血の方が遥かに効果が勝ることは、咲月も朔海を見ていて知っているつもりだったが、実際に自らの身で体験すると、尚その違いが明らかであると分かる。
彼女の顔色が悪くなる前に、咲月は吸血を止め、丁寧に礼を述べた。
「あの、ありがとう」
「――奥方様。あなたは仮にも第一王子の妃にございます。使用人相手に軽々しく礼など申してはいけません」
が、ぴしゃりと涼牙の注意が飛んだ。
見れば、あちらも既に吸血を終えている。……朔海は、青汁でも飲んだような渋い顔をしたままだが。
「では、改めてお食事をどうぞ。本日のメニューは、スモークサーモンのマリネ、二色アスパラガスのソテー・生ハム添え、ジャガイモの冷製ポタージュスープ、ホタテとエビのポワレ、レモンソルベ、子羊のグリル、デザートにはミルフィーユケーキ・三種のベリーソース添えをご用意いたしております」
「フレンチのフルコース……? ああ、そうか。儀式の後で晩餐会でも開くつもりだったんだな」
テーブルに並べられた、空の皿と、何本も並べられたカトラリー。折りたたまれたナフキン。
フルコースを出すような、高級レストランで見る支度がなされているのを見て、咲月はおののいた。
「あー……涼牙、給仕はいいから、料理だけ置いて一度下がれ」
涼牙が引いた椅子に、ぎくしゃくと腰掛ける咲月を見て、朔海が彼に命じる。
「朔海様。私は貴方様に王族として恥ずかしくない礼儀作法をご教授いたしました。――まさか、城を離れている間にお忘れになりましたか?」
「……いや、忘れちゃいないけど」
「では、大人しく席にお着き下さいませ。温かいものは温かいうちに、冷たいものは冷たいうちにいただくのがマナーでございます。初めから料理を全て並べて下がるなど、言語道断でございます」
「相変わらず融通の利かない……」
一歩も譲りそうにない彼に、朔海が渋い顔で呟く。
「――僕はいいけど。……今日は彼女も疲れている。これ以上慣れない事で疲れさせたくはない」
「……朔海様は相変わらず甘くていらっしゃる。彼女は本日の儀式に於いて王族と認められた。我らが第一王子の妃たる者、相応の礼儀作法は身に付けて頂かねばなりません」
「涼牙、僕は城に留まるつもりはない。今日は、魔王陛下の件があるから仕方なく城に滞在しているが、明日、陛下の用が済み次第、僕はまた城を離れる。もちろん、彼女もだ。だから、僕は彼女にそれを求めるつもりはない。――給仕なら僕がする。だから、今は下がれ」
「いいえ、下がりません。見れば奥方様はこういった席に慣れていないご様子。ならば今の機会に覚えるべきです。例え城を離れようと、貴方様が我らが吸血鬼一族の第一王子である事に変わりはない。同様に奥方様も、第一王子妃である事に変わりないのですから、余所で恥をかく前に身につけておくべきです」
「他の時ならともかく、わざわざ今日でなくても……」
「しかし、明日には城を離れるとたった今朔海様ご自身が申されたのでございますよ? ならば機会は本日、今この時しか無いではありませんか」
「どうしても必要なら、後で僕が教える。だから、黙って下がれ」
テコでも動かなそうな涼牙に、朔海が必死に食い下がる。
「私に、それだけ言えるようになるとは……。つい先頃までは思いもよりませんでした。相変わらず甘くていらしゃるが、随分とお強くなられた。力も、心も。我らが望む形とは違うようですが……」
「それはそうだろうな。あの頃の僕は実際、何の志も覚悟も持たないただの力無い甘ったれた子どもでしかなかった。……でも、今これからも、僕がお前たちの望むような『第一王子』になるつもりはないぞ」
「――でしょうな。確かにあなたは無力な子どもだったにもかかわらず、決して己を曲げたり捨てたりしようとはしなかった。そういえば、『赤竜』と呼ばれた我らの英雄や、私の代わりに貴方付きになったあの教育係もそういう性格でしたな」
そして、彼は一歩後ろへ下がった。
「これ以上問答を繰り返しても、料理の味を損ねるだけ。ですが、私も大人しく下がる訳には参りません。給仕は、私が行います。……ですが、ひとつだけ譲歩致しましょう」
ワゴンから、前菜の皿をテーブルに置く。
スモークサーモンのピンクが鮮やかなマリネ。
「さて、朔海様。私が指導係を退いて久しい今でも私がお教えした事をきちんと実践出来ているものか、見せていただきましょう。何せ明日は魔王陛下の御前にお出になるのですから、失敗は許されません。――その代わり、奥方様には私は何も申しません。……それで、如何ですか?」
その問いに、朔海はため息をつきながら、ごく自然に、琥珀色の液体の入ったグラスに手を伸ばす。
「――分かったよ。このままじゃいつまでたっても食事を始められないからな。それで、手を打とう」
グラスの脚を持ち、掲げる。軽く、乾杯の仕草をして、まず一口、口をつけ、そしてグラスを空ける。
そして、左右に並ぶいくつものカトラリーから、一番外側に置かれたナイフとフォークを手に取り、アスパラガスの頭を一口大にナイフで切り、フォークで刺して口に運ぶ。
その一連の仕草は、相変わらずとても綺麗だ。――と、咲月は思ったのだが。
「朔海様、動きが固すぎます。もう少し自然に」
ぴしゃりと注意が入る。
その後も、スープ、パン、魚料理、肉料理と進むごとに、咲月には完璧に見える朔海の挙動にいちいち注意が入る。
咲月はビクビクしながら、目の前の朔海のする事を真似ながら、食事を進める。
それは、自分で見ても明らかに朔海より劣る酷いものだったが、直接涼牙の注意が飛ぶことは無い。
ひたすら、怒られるのは朔海だけ。
彼は、渋い顔をしながらも、文句も言わずにそれに従っている。
彼が時折見せる王子然とした仕草は皆、こうして彼から叩き込まれたものだったのだろうか?
でも、そう言えばこういう光景を遥か昔、まだ児童福祉施設で生活していた頃に見たことがある。
下の子の手本として上の子ばかり酷く叱られて、下の子は上の子が怒られるのを見て育つ。
――成る程、確かにこの涼牙という男は正しく教育係だ。
場合によっては咲月にも同等に飛んでいただろう叱責を一人で引き受ける朔海の犠牲を無駄にしない為、心の中で朔海に合掌しつつ、咲月は朔海の動きを必死にトレースする。
食事の味はまあ、悪くないが……正直ゆっくり味わう余裕はない。
咲月は、朔海が城を離れたもう一つの理由を今、垣間見た気がした。




