先触れの使者
使者の訪いを告げ、更にかの魔王陛下の御成りを告げる叫びに、ほんの一瞬静まり返った広間はすぐさまざわざわと一気に騒がしくなる。
「魔王陛下がいらっしゃるとは、いったい何時以来だ?」
「いや、それより何用があって参られるのだ?」
「しかし、このタイミング……。まさかあの者が何か図ったのか?」
「まさか、魔界に顔を出す事すら滅多にしないあの綺羅星殿にそんな小細工は出来まい」
「では、何故……?」
降り注ぐ銀の光を避けるように、極力壁際へ避難しながらも、そこここで憶測が飛び交う。
「――ひとまず、使者殿は本宮の謁見の間へご案内せよ」
それまで動揺しきりだった王だったが、ここは流石と言うべきか、なんとか態勢を立て直し、声を上げた。
少々声は掠れていたが、それでも広間の喧騒を押し込め、押し通すだけの力を持った命令が響く。
「我らも、すぐそちらへ向かう。――本日お集まり頂いた客人たちには申し訳ないが、本日の主な催事は既に執り行われた故、これで幕引きとする。後ほど、部屋に食事を運ばせよう。今日は我が城にてゆるりと過ごされるが良い」
そして、王は王妃を伴い壇を降りるべく歩き出そうとし――
「お待ちください、陛下。実は、御使者からの御指名にて、王陛下と王妃様に加え、綺羅星殿下とその奥方様を同席させるようにと……!」
もう一度、伝令を預かったその者の叫びに宮殿がひと時の静けさを取り戻す。
「……何だと?」
王はたちまち眉を跳ね上げ、上空に留まる龍を見上げた。
「綺羅星、これはお前の仕込みか?」
しかし、当然ながら朔海はあわてて首を横に振った。
「いえ、私は何も……、いったい陛下は何で僕なんかを……ましてや咲月まで……?」
「……ねえ、朔海。魔王陛下って、あの魔王でいいの?」
魔界を統べる王。魔界の頂点に立つ悪魔族の王、堕天使の長たる者。ルシファー、サタン、様々な名を持つ魔王。
「――ああ、その……はずだけどね。本当に、何で……」
「朔海は、会ったことが……?」
「いいや。遠目に姿を目にした事はあるけど。実際にお目にかかった事は無い」
「でも……さすがに魔王の命令は無視出来ないよね……」
咲月は渋々、窓からの脱出を諦め、壇上へ降り立つと、朔海を降ろし、人の姿へと戻る。
とたん、少しよろめいた咲月を、朔海がさりげなく支えてくれる。
「……魔王陛下の御使者の意向は、陛下の意向。それに逆らえる者は居ない。娘、仮にも我が王家の一員として名を連ねたなら、お前も魔王の臣下だ。その命令に背くことは許されぬ。――共に、来るが良い」
そう言って、王は皆が押し合いへし合いしている扉とは別の、玉座のすぐ脇に設置された扉から部屋を出て行く。
咲月が伺うように朔海の顔を見上げると、彼はため息を一つ吐いて、咲月の体を横抱きに抱えてその後について歩き出した。
「さ、朔海、降ろして、自分で歩ける……!」
「駄目。本当なら今すぐにでもベッドに連行してそのまま押し込みたいくらいなんだから。全く、いくら吸血鬼とはいえ本当なら数日寝込んで当たり前の大怪我をしたんだって、分かってる? それなのに、随分と色々格好いいことしてくれちゃって、また僕ばっかり情けなくて……。このくらい、格好つけさせてよ」
背後で、竜の姿が解けて消える。そして、代わりに朔海の右腕の腕輪の石からしゅるりと、いつもの見慣れた姿の潮が、半透明に透けた姿で出てくる。
「そうです、姫様。竜化に使った魔力は決して少なくなかった。あんまり、無理はしないで下さい、姫様」
大きく、くりっとした目をうるうると潤ませて言われたら、咲月に逆らう術はない。
「う……ご、ごめん……」
「でも、格好よかったです、姫様! さすが、オレの姫様……!」
しかし、潮はすぐさま潤んだ目を今度はキラキラ輝かせて力説した。
「鱗は神々しい金色で、翼は青く透けるような純白で……舞い散る銀の光がまた美しく……!」
「ああ、確かに綺麗だったな。それにしてもまさか、吸血鬼になってまだ半年も経たないうちに、僕でも出来ない事をやってみせるなんて……。咲月は、凄いな」
嫌味でも卑屈でもない。純粋な感想を、朔海がポツリと漏らした。
その賞賛が、どうしようもなく照れくさくて、咲月は慌てて話題をそらす。
「そ、そう言えば、魔王様の用事って、何なんだろうね……?」
「……王に目通り願いたい、と言うだけならともかく、僕や咲月にまで同席を命じるとなると、正直見当もつかないよ」
王専用の通路は、離宮から本宮の裏手に直接繋がり、そこから階段を上がるとすぐ、謁見の間になっている。
王は当然のごとく玉座に座り、王妃はその隣の席に着く。
壇上に据えられた椅子は、その二脚のみだ。
朔海は壇上を通り過ぎ、その壇上から向こうの扉まで続く赤絨毯の端、玉座に向かって右側に立ち、ようやく咲月を降ろした。
「……ごめん、少しの間だけ我慢して」
そっとその体をさりげなく支えながら、朔海が囁く。
本来なら、通路を挟んで左右に立つのが正しいのだが、さすがに今の咲月を一人で立たせておくわけにはいかないと判断した結果、朔海は二人並んで立つ形を取った。
王も王妃も苦々しげな視線を向けてくるが、何か言う前に、使者の訪いを告げる声が扉の向こうから響き、彼らは仕方なしに言葉を飲み込んだ。
観音開きの、重々しい造りの扉がゆっくりと開く。
まず目を引くのは、晃希の背にあったような――しかしそれより数段立派で艶やかな、漆黒の翼。
小学生か、中学生くらいの背丈しかない、その腰の下まで伸びる、漆黒の髪。
身を包む黒衣のロングコートも艶やかに光り、飾りのベルトや紐がそれぞれ風にたなびく様は実に絵になった。
爬虫類――それも蛇のような瞳孔が縦に細長い金の瞳。頭からにょきりと突き出した、雄山羊の角。
「急な訪いにもかかわらず、迅速な応対、感謝する。私は王の名代。これより、王より預かった御言葉をあなた方にお伝えする」
玉座の前に立ち、使者は王を見上げる。
膝を折り、床に足をつけることも、王に頭を下げることもない。
逆に王の方が玉座より立ち上がり、使者に向かって一礼する。
「『明日、日が落ちる頃、貴殿の城に邪魔をする。人払いをした上で、貴殿の第一王子とその奥方との面会を望む』と、我らが王は仰せで御座います。――では、そちらが、その王子殿下なのですね?」
またしても、直に指名された朔海は、戸惑いを隠さないまま、軽く使者に向かって頭を下げた。
咲月も慌ててそれに倣う。
「はい。私が紅龍王が一の王子、綺羅星の朔海に御座います。……それで、私にご用事とは、如何に?」
朔海が使者に遠慮がちに尋ねる。
「それは、明日、我らが王から直接賜られよ」
しかし、使者はすげなく返し、既に伝えるべき事は全て伝えたとばかりに、形ばかりの礼を取る。
「――使者殿。それで、あなたは如何なされる? あすの陛下の訪いまで、よろしければ城に部屋を用意させますが……」
「いや、構わなくていい。今日は客人が大勢いるのだろう? 催事の途中に水を差す格好になって申し訳ない事をした。私は一度王の下へ戻る。明日は王の従者として参る事になるだろうが」
城の従僕の案内に従い、使者が謁見の間から去り、再び観音開きの扉が閉ざされる。
「綺羅星、魔王陛下はお前に何の用があって参られる……!?」
王が、閉ざされた扉を睨みつけながら、動揺を押し殺した声で朔海に尋ねる。
「存じません。……でなければ、御使者にあんな質問は致しません」
「……綺羅星、分かっておるな。明日、魔王陛下がお見えになるまで、何があってもこの城から離れるでないぞ」
王は、忌々しげに朔海に命じる。
「後で、お前の部屋にも食事を運ばせる。その時までには、そのみっともない様をなんとかしておけ」




