過去を打ち破るもの
自らが放った言葉で、自分を傷つけるような朔海に、咲月も負けじと声を張る。
「それは、あの子達にした事は酷い事だよ。でも……あの子達は、ああして鳥かごに入れられた時点でもう、遅かれ早かれ、誰かしらにああして殺されるしかなくて。それが、吸血鬼の本来あるべき姿で……。でも、朔海はそうはなれなくて……だから無能だなんて言われて、あんな風に無理矢理人を襲わされて」
咲月は、そこで一度言葉を切り、息を継いだ。そして、声のトーンを落とす。
「こっちの方が辛くなるような顔して人を襲って……それを、今でも後悔して……。ねえ、朔海、自分の身が可愛いのは当たり前だよ、誰だってそうだよ、あの娘たちだって――」
あの、幼い頃のように、今の彼もまた声もなく涙を流す。朔海は、頬を伝う涙を拭おうもせず、ただ声をあげずに泣いている。
――本当に、この人は今までどれだけ辛い思いをして、どれだけ長い間一人で苦しみ続けていたのだろう?
咲月が苦しんできた闇より、遥かに濃く深い闇の深淵。
朔海が、咲月を闇から引き上げてくれたように。咲月の心に空いていた穴を埋めてくれたように。
咲月も彼に想いを返したいと、そう思うのに。
彼が抱えるものが、あまりに重すぎて、本当に咲月にどうにかできるものなのかと思えてしまう。
……それでも。
「お願いだから、自分が死んだほうが良かっただなんて言わないで。だって、もしこの時朔海がその選択をしていたら、私は朔海に会えなかったんだよ。その日、あの街に捨てられて、朔海に出会えなかったら私は今、この世に居られなかったの。でも、朔海は生きることを選んでくれた。だから、私は朔海に会うことができて、私は朔海に救われた」
咲月は、改めて目の前で繰り広げられる光景を、直視する。
「朔海が、彼女たちを犠牲にした事が罪だと思うなら、それは私の罪でもある。……だって、こうして直にその様子を見せられても、私は彼女たちの生より朔海の生を望んでしまうから。だから、私も同罪」
返り血を浴びて、血の赤に全身を染めた幼い彼の姿を見つめながら、咲月は強く朔海の手を握り締める。
「朔海の過去に、他に何があっとしても、私が全部一緒に背負うから。だから、もう一人で苦しまないで」
咲月は、痛む腕で、あるものを取り出した。そして、それを掲げる。
「――閉じ、終える者たる神、ロキ神の名に於いて、全ての術の終焉をここに命じる」
異界の扉をくぐった時、かの神本人から託された「アンスール」のルーン文字。
その力を借りて、咲月は強制的に幻術を解く。
すると、始まった時と同じように、景色が塗り変わる。
荒野の惨劇の図から、見目だけは、きらきら輝く、美しい宮殿の中の図へと塗り替えられた風景の中、王妃が忌々しげにこちらを睨み下ろしていた。
「……何と。木偶の坊の嫁もまた木偶の坊なのか?」
冷たい声を投げかける王妃の前で、咲月は痛む体に鞭打って、半ば無理矢理に立ち上がり、彼女を真っ向から睨みつけた。
「――あなたに、どんな思惑あってあんなものを私に見せようとしたか知る由もないけど。私が、朔海の望まないものを望むことは絶対にないから」
「こやつの腰抜けの部分に惚れたなら、あの様子を見れば恐れて逃げ出すと――逆に、これの可能性を見出したのなら、あの様子に呆れ見限るかと思ったのだがな。どうやら見込みはずれだったようだ」
「当たり前でしょ。私も、朔海も、あなたたちとはまるで違う価値観の中で生きてる。それを理解しようとしないあなたたちの尺度で測れる物じゃない」
ふつふつと、腹の内で燃え盛る怒りをこめて、咲月は言った。
「もしかしてあなたは王の正妃の地位と、次期王の国母の地位を得たいと――それも歴代最高の王の母として立ちたいとか思っているのかもしれない。でもそれは、これまで一度も彼を認めようとしなかったあなたが望んで良い事じゃない」
――体が、熱い。また熱が上がったかもしれない。浅く息を継ぎながら、咲月はその熱のまま、溜めに溜め込んだ憤りをぶつける。
「彼を無能だと決めつけて、蔑ろにして、酷い扱いばかりして、傷つけて、彼から自信を奪ったひと達の勝手な願いを、どうして私や彼が聞くと思うの? それも力尽くで何とかすれば叶うと思った?」
冗談じゃない。それでも、先程自分で言った通り、ここは自分たちとは違う価値観の中に生きる者の世界なのだ。
「……なら、私も力尽くで自分の望みを叶える」
元々、そのためにここまで来たのだ。
彼の本当の強さに気づく事のない者たちに、それを知らしめるために。
咲月が持つ力はそのまま全て朔海の力だ。朔海が決してひけらかそうとしない力を見せつけて、彼らの目を覚まさせてやるつもりだったけれど――。
「彼と共に生きる平穏を得る為に必要だというなら、私は躊躇わない。――私は、朔海ほど優しくも、慈悲深くも無いから」
熱に、体が溶けていく感覚に身を任せ、咲月は目を閉じ、翼を広げた。
全身を苛み続けていた痛みが、ふわりと熱に溶け、体ごとぐるぐるかき混ぜられ、別の何かになっていく感覚と共に、ふわりと体が宙に浮く。
すうっと、全身の熱が腹の中へ凝縮し、熱に浮かされたようだった頭が、すっきり冴え渡る。
そうして、咲月は再び目を開けた。
「――……咲月……?」
咲月のすぐ足元で、あの幻の中の幼い時分の彼に戻ってしまったかのように小さくなった朔海が呆然とこちらを見上げて呟いた。
いや、違う。彼が縮んだのではないのだと、周囲と見比べてすぐに気づいた咲月は、まじまじと己の姿を見下ろした。
キラキラ光る、潮と同じ瞳の色をした竜のそれに似た色の鱗。するりと長く伸びた尾と、まるでトカゲのような手足にくっついた、鋭い鉤爪。
そして、背中に生える、皮膜ではない、真っ白な鳥のような翼。
「まさか……応龍……」
中国に伝わる、翼を持つ神龍の名を、朔海がポツリと呟く。
どうやら今咲月は、それに似た姿になっているらしい。
ファティマーと重ねた修行の中で出会った、竜王と白龍。
彼らから力を少し借りるだけのつもりが、思った以上に上手くいったようだ。
彼らの力が、身の内にじんわりと馴染み、先程まで咲月を苛み続けていた銀の力も、潮の持つ破魔の気といい具合に調和している。
咲月は、長く伸びた身をくねらせ、朔海の体を背後からすくい上げ、自らの頭の上に乗せ、舞い上がる。
潮も後を追うようにあわてて翼を広げた。
キラキラ輝く銀色の光が、雪のように宮殿に降り注ぐ。
銀が最大の弱点である吸血鬼達はたまらず、押し合いへし合いしながら我先にと宮殿の外へ逃げ出していく。
「……死にたくなかったら、もう、私たちに一切構わないで。朔海は、きっとあなたたちの死は望まないだろうから、今は見逃すけど。でも、次は無いから」
それを宙から見下ろし、咲月は冷たく言い放った。
それだけ言い残し、咲月はそのまま宮殿を後にしようと、宮殿の丸屋根を支える柱と柱の隙間の窓を見上げた、その時。
外へ出ようと押し合いへし合いする人ごみの中を流れに逆らって、あわてて駆け込んできた人物が、声を上げた。
「陛下、陛下!」
騒がしく、王を呼ぶ声。
「何事です、騒がしい! 今は取り込み中です、後になさい!」
王妃が叫ぶ。
「しかし、陛下、魔王陛下の御使者が参って……、王に目通り願いたいと……!」
だが、その伝言を携えた彼も必死に叫び返した。
「魔王陛下が、我らが城へ参られると、先触れの使者が……!」
その叫びに、宮殿は再びひと時の静けさを取り戻した。




