龍王の血の使い手
「竜……、竜だ」
「龍王の血の使い手……!」
「しかし……まさか、あの綺羅星様が?」
「だが、あの色……あんなのは見たことがない」
「かの王の従者殿の竜とて、赤銅色だったと聞いたぞ」
さわさわと広がっていく会話の断片から、咲月はこれこそが朔海の竜なのだと理解した。
あの時、葉月が開放したときはあれほど禍々しく毒々しい空気を撒き散らしたそれが、今はむしろ神々しい程の美しい光を帯び、優雅に宙を翔けて、朔海のすぐ目の前に降り立った。
そして、彼に咲月の身柄を差し出す。
「咲月……」
彼は、またしても自分の方が痛そうな顔で、咲月を見下ろしてくる。
「ごめ――」
謝ろうと開かれた彼の口を、咲月は手を伸ばして塞いだ。そして、首を横に振る。
「謝る必要はないよ。だって、こうしてちゃんと助けてくれたじゃない」
「でも、もっと早く助けられたら――」
「大丈夫、この程度の怪我ならすぐ治るって、朔海もよく知ってるでしょ?」
ただ、酷く喉が渇いている。――水を求める渇きではなく、血の渇き。
なるべく早く、血の補給をしておくべきだ。そう、これが終わったらすぐに――
痛みでまだいつも通りには働かない頭で、ぼんやりそう考えていると、
「咲月、もしかして喉渇いてる?」
すぐに気づいたらしい朔海に尋ねられた。
「……待って」
朔海は、金の飾り釦のついた上着の袖に手をかけようとして……。
「こんなもの、こけ脅しのまやかしだ! だってそうでしょう、この無能が、龍王の血の使い手だなんてありえないでしょう?」
壇上から降ってきた不快なわめき声に、朔海はそちらを見上げた。
「今から俺が、それを証明してやる。俺こそが、次期王に相応しいと」
憎々しげにこちらを睨みつける弟の眼差しを、朔海は冷ややかに受け止めた。
「――霧人。僕に王位を継ぐ意思はない。お前が次期王になりたいというなら、僕に構わず好きにするといい。僕が望むのは、彼女との穏やかな暮らしだけだ。儀式も済んだ今、もう魔界に留まる必要もない」
朔海は自らの手首に牙を埋め、自身の血を啜り上げ、口に含んだそれを口移しに咲月に飲ませる。
「今、僕が望むのは一刻も早く僕のいるべき場所へ戻り、彼女を休ませてやる事だけだ」
そして、咲月をふわりと横抱きに抱き上げ、立ち上がった。
「――ま、待て!」
今にもそのまま踵を返し、この場から立ち去りそうな朔海を呼び止める声。
「綺羅星よ、そなた、真に龍の血の力の使い手であるなら、次期王の座は確実にお前の物なのだぞ。それを、至高の証をそんな小娘のために捨てると申すのか!?」
声を上ずらせるのは、玉座から半端に腰を浮かせた王。
「僕は、それに価値を見い出せない。確かに僕は吸血鬼としては異端なのでしょう。……でも、それだからこそ出会えた今の方が、僕にはずっと価値のあるものなんです。他の誰にも理解されなくとも、僕は、僕の守るべきものを守って生きていく」
朔海は咲月を抱えて立ったまま、王を真正面から見据えて言った。
「僕は、争いを好まない。だから、王位に興味はないし、この力をあえて振るうことも無い。……だけど。貴方がたがどうしても僕らに、僕らの平穏な生活に干渉しようとするのなら――彼女を、害そうとするのならば。僕は全力を以ってそれを阻止しよう」
朔海の宣言に呼応するかのように、竜が咆哮を放つ。
ビリビリと空気が震え、建物全体が揺らぐ。
「――っ、俺は騙されねえぞ! 今ここで、貴様を葬って、俺が……!」
しかし、その中で霧人だけは、一歩前へと足を踏み出した。
朔海とよく似た衣装に身を包んだ彼は、朔海と同じ場所に挿した短刀を抜き放ち、その左腕――肘から手首までの表をざっくり切り裂いた。
「俺が、貴様の命ごと王族の名を返上させてやる!」
派手に吹き出した血が、次々に鷲へと姿を変えて向かってくる。
その数、ざっと数えても五十羽以上は居る。
鋭い爪と嘴を武器に襲いかかってくる猛禽の群れに、朔海は取り乱すことなく、静かにその名を呼んだ。
「――潮」
「おう、任せとけ!」
竜の口から、聞き覚えのある声がした。
「……潮?」
もう一度、よくよくその竜を見上げてみれば、その瞳の色には見覚えがある。
「はい、姫様! この場はオレ様にお任せ下さいませ、こんな下っ端、ぱぱっと片付けてご覧にいれますから!」
丈夫な骨格に支えられ、頑丈な鱗に守られた皮膜の翼を広げ、竜が再び宙へと舞い上がる。
ティラノサウルスのように、ずらりと尖った歯が並ぶ口を開け、ごうっと炎を吐き出し、そのままぐるりと半周、首を振った。
火炎放射をまともにくらった鷲たちは、そろって消し炭となる。
「おいコラ、こいつらみたいに消し炭にされたくなかったら、大人しくしてろよ。オレ様は無駄な殺生はしないんだからな」
放った使い魔があえなく撃墜されたのを見て、次の手を打とうと再び短刀を強く握り締めた霧人を踏みつけ、押し倒し、床に貼り付ける形で彼は壇上に降り立った。
「ぐあっ、あ、あ……」
その、竜の鱗に触れた霧人の体から煙が上がる。
「ふうん、お前にはオレ様の破魔の気も有効なのか。あいつはケロッとしてたのにな」
竜の姿をした潮は、まじまじと己が踏みつけた男を検分するように眺めた。
「……破魔の気だと? 竜王が、破魔の力を使うなど聞いた事もないぞ」
伸し掛ってくる重みをどかそうと、必死の抵抗を試みながら、霧人が呻く。
「当然だ。オレ様は竜王の力も、白龍様の力も持つ、破魔の精霊だ。あの性悪竜とは全くの別ものだからな」
「……なら、やっぱり竜王の血の使い手とは認められない。そうでしょう、陛下!」
「黙りなさい、霧人。見苦しいですよ。――例え竜王の血の使い手と認められずとも、、この魔界に於いては、ただ強さだけが全てを決める。竜王を越える力の持ち主と言うのなら、その者こそ王たるべき」
しかし、決然とした表情で立ち上がったのは、王ではなく、王妃だった。
「綺羅星、その話が本当であるならば、お前の力は既に紅龍をすら越えている。ならば、今すぐにでもお前は王として即位すべきです。それが、我が第一王子として生まれてきた者の宿命。この魔界の秩序を乱さぬ為、このまま城へ留まりなさい」
凛とした声が、朔海に命じる。
「――申し訳ありませんが、お断りいたします、母上。先程申し上げましたとおり、僕に王位を継ぐ意志は御座いません。こうして伴侶を得、その彼女は儀式を終えて王族と見なされた。最低限の義務は既に果たしました。後継は、ぜひ霧人をご指名ください」
しかし、朔海は殊更きっぱりと言い切った。
「綺羅星、お前は私に恥をかかせる事しかしてこなかった。今ようやく名に相応しい力を得たにも関わらず、また私に恥をかかせると言うのですか?」
王妃の下問に、朔海の瞳が一瞬、揺らいだ。
「――母上、僕では貴方の期待には応えられない。かつて貴方が言った通り、僕は吸血鬼として出来損ないの異端なんです。それが、王など。申し訳ありませんが、僕には無理です」
それでも、朔海はその動揺を抑え、答える。
「――そう。……では、仕方ないわね。お前ではなく、彼女を説得するとしましょうか」
王妃は、朔海の腕に抱かれた咲月を見下ろし、冷めた笑みを浮かべた。
王妃は、美しく手入れされた細い指を口元へと運び、その指の腹を牙で僅かに裂いた。
「特別に、あなたたちに面白いものを見せてあげましょう」
一度、拳を握り締め、改めて開くと、その手のひらには赤い錠剤が、三つ。
彼女はもう一度それを握り締め、再び開くと、砕けた錠剤が粉となって、ふわりと舞った。




