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Need of Your Heart's Blood 2  作者: 彩世 幻夜
第七章 Imperial family qualification ceremony
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城の様子

 まだ慣れていない彼女にとっては、おそらく快楽より辛さの方が勝っているはずだ。

 前回の、初めての記憶もまだ新しい今、その言葉を朔海にくれた彼女は、どれの程の勇気を要したのだろう?

 隣でぐっすり眠る咲月は今も朔海に温もりを分けてくれる。

 真夜中だというのに――いや、ここでは真夜中だからこそ、か――外はぎゃあぎゃあとうるさく騒ぐコウモリやカラス、得体の知れない生き物の声が途切れることなく聞こえる。

 前回、ここへ来た時には突然下された無体な命令に頭を抱え、眠るどころではなかったのに――。

 同じ部屋で夜を迎えながら、今は嘘のように心は凪いでいる。

 

 彼女が居てくれたからこそ、自分は今こうしてここに居る。

 人間にとっては毒にしかならない魔界の空気は、吸血鬼である朔海にとって、直接の害はなくともやはり好きになれそうにない。

 

 門をくぐってからここまで、かなりの距離がある。

 この北塔近くまでやって来るもの好きは滅多に居ない――はずなのだが、どうやら今日は勝手が違った。

 衛兵も、使用人も、普段より明らかに数が多い。

 そしておそらく儀式の見物に来たのであろう客人の姿も、数多く見受けられた。

 ――ここは、吸血鬼の城であるから、彼らの一応見てくれだけは人間と同じ様子で、それもかなり上等の部類に入る整った顔立ちをした者たちばかりである。

 だが、空気を読むことに関しての能力に優れた咲月が、彼らが放つ禍々しいそれに気付かなかったわけがない。遠慮などという言葉は見たことも聞いたことも無い、とばかりに刺さる視線から、もちろん朔海は彼女を庇うべく前に立って盾となろうとした。

 しかし、全方向から向けられる視線の全てから彼女を庇いきる事はできなくて――。

 

 けれど、彼女は朔海の後ろで縮こまるどころか、針のむしろのような中で背筋を伸ばして堂々と歩き、向けられた視線の全てを意にも介さず跳ね除けてみせた。

 ……怖くなかったはずがない。

 なのに彼女は、門をくぐって以来ずっと気を張っていた朔海に気づき、手を伸ばしてくれた。


 男というのがどれほど単純な生き物なのか、よくよく思い知らされながら、朔海は彼女の温もりに甘えた。

 一度触れてしまえば、もう途中で止めることは出来なくて。

 そうして得た解放感と満足感が朔海の心を満たし、この魔界の城に居ながら、朔海は初めて心からの幸せを噛みしめるという経験をした。

 

 ……だからこそ、決して彼女を失えない。

 こうして伴侶を伴って城を訪れた。儀式の場に彼女と共に立てば、その時点であの命令は遂行された事になる。母や実弟がこの件で処刑されることは無くなるだろう。万が一、咲月が王族不適格とされるような事があっても。

 だが、その万が一が起こった場合――

 「いや、絶対にそんな事にはさせない」

 

 それでも、そのもしもが起こってしまったら、朔海はこの世を捨てる事を選ぶだろう。葉月には、とんでもなく怒られそうだけれど……。

 ……この温もりはもう、手放せるものではないから。


 彼女にあの痛みを強いる、その場に立ち会うくらいなら、余程も自分がもう一度あの痛みを受け入れる方がずっと楽なのに。

 朔海は、あの日の記憶の中に、彼女を連れて行かなくてはならない。

 

 彼女を、守りたいと思う。……けれど、思うだけでは駄目だと、もう何度も思い知らされた。

 絶対に守りきれる保証は、今も無い。それが悔しくて、もどかしくて仕方ない。その保証を得られるなら、悪魔に魂を売っても良いと、一瞬考えてしまう程に――。


 でも、そんな情けないばかりの男に、咲月は付いて来てくれた――どころか、手を引いてくれさえする。

 大丈夫だと言って、傍に居てくれる。何の躊躇いもなく受け入れ、受け止めてくれる。


 そうして寄せられる信頼に、どうにかして応えたい。

 朔海は、手首の、脈打つそこを牙で破り、そこから吹き出した血を残らず無数の使い魔に変えて城中に放った。

 ――どんな兵法書でも、まず重んじられるのは情報だ。

 確かな情報の量で、戦の勝敗は大方決まるのだと、それらは説く。


 朔海は、大量に送られてくる情報に対応するため、ゆっくり目を閉じる。

 まるでモザイクアートの如く大量の画像が視界に並ぶ。

 流石にこの量の情報全てを精査するのは朔海でも無理だ。

 ざっと大きく見回して、気になった部分だけをいくつかピックアップして、他をフェードアウトさせる。



 どうやら、城にいくつもある客室の数々は今、ほとんどが埋まっているらしい。

 主だった一族の長とその側近に加え、名の通った者たちの大方が既に城に居る。

 その中には、もちろん彼の姿もあった。


 ――紅狼。

 その彼は今、ちょうど食事の真っ最中であったらしい。――それも、吸血鬼としての食事の。

 もちろん、彼は朔海たちのように不味い血液パックなど口にはしない。彼が口にしているのは人間の生き血、それもまだ幼さの残る顔立ちの可愛らしい少女の――。

 細く華奢な彼女の首筋に容赦なく牙を立て、その血を欲しいままに貪る。

 彼女の顔色がどんどん青白くなっていくのも構わず、やがて彼女の肢体から力が抜け、だらりと弛緩するまで、吸血を続けた。

 ようやく彼が彼女から牙を引き抜いた時、哀れな少女の瞼は固く閉ざされ、その呼吸は止まっていた。


 紅狼は、もちろん純血の吸血鬼だ。

 純血の吸血鬼に致死量以上の血を吸われてしまった者は、傷口から入り込んだ毒により理性を失った吸血鬼バケモノとして蘇る。

 彼女もまた――閉ざしていた瞼をヒクつかせ、苦しげな呻きを漏らし、ぴくりと彼女の手が痙攣するように動き――

 しかし、全ての過程を見る前に、ぐしゃりと果物を握りつぶしたような嫌な音とともに、赤く濡れた腕が、彼女の背中の真ん中から生えた。

 「――っ」

 声にならない悲鳴が、彼女の唇から溢れた直後、ざらりと彼女の形が崩れ、彼女は灰になってはらはらと床に落ちた。


 それを、何の感慨もなく当たり前に――自らの食事を終えた後、箸と茶碗を流しに持っていくくらい日常の風景でも見ている眼差しで眺める。……いや、彼にとっては間違いなく、これは日常なのだ。

 「おい、誰か、これを片付けろ」

 食事を終えた皿を給仕に「下げろ」と命じるのと全く同じ感覚で、彼は彼女の亡骸を使用人に命じて片付けさせる。

 箒でまとめられ、ちりとりに収められたそれが、きちんと墓に葬られる、などという事はもちろんない。

 そこらの窓や扉から表へ捨てられ、さらさらと風に流されていく。


 胸の悪くなるような光景だが――ここではこれが当たり前の光景で、朔海の方が異端なのだ。


 「――それで? 奴はどうしている? 今日城へ戻ったと聞いているが、その後何か情報は入っているか?」

 「はい、門番をしていた者に話を聞いたところ、確かに女を一人連れて門を潜っていったとの事。そこから例の北塔までその娘を目にしたものは多く、その話を聞くところ、やはり例の娘がそれのようです」

 「……奴の血を得る為の都合の良い駒だと思っていた。実に美味そうな血を持つ娘だと思っていたが……我とした事が、あの時さっさと喰らっておくべきだったか」

 「いえ。あの娘を伴侶として伴って来た、という事は、当然今の彼女は吸血鬼であるはず。――誰の血によるものかは明白。例の可能性の事を踏まえれば、むしろ今の方が飲み頃と言えましょう」

 「おお、そうだな。あの娘の血の味は果たしてどれ程のものか……。久々に楽しめそうだ」

 

 

 「――誰が。咲月も、葉月も。お前なんかにはやるものか」

 腸が煮えくり返るのを堪えながら、朔海はギリギリ牙を食いしばる。


 その一方で、謁見の間に見覚えのある顔を見つけ、朔海はそちらへ意識を向けた。

 「いよいよ明後日だが、覚悟は良いな、霧人?」

 「はい。私はそのために今日まで、特にこの一年、力を磨いてきたのですから」

 父王の前で床に片膝をついて跪きながらも、上げた顔に浮かぶ表情は自信にあふれている。

 我が実弟ながら、本当に自分とは全く似ていない。

 しかし……彼らは何の話をしている?


 「私の可愛い霧人。……貴方を第一王子として産んであげられなかった事が悔やまれて仕方ありませんわ」

 玉座に座る父王の隣には、王妃の姿もある。彼女は手巾で目元を拭う仕草をしながら声を震わせた。

 「母上、それは言わない約束です。何より、明後日にはそれも覆るのですから」

 「……ええ、そうでしたわね。あなたが本当によくできた息子で良かったわ」

 彼女は、朔海が見たことのないような笑みを、霧人に向けた。


 「――では、明後日。くれぐれも頼んだぞ」



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