いざ、魔界へ
その衣装を身につけ、鏡を覗いた咲月は、その背景に溶け込んだ自分の姿に思わずじっくり眺めてしまった。そこにあるのはまるで百年以上前の貴族の世界に迷い込んだような画。
以外にもそこに違和感なく立つ自分の姿に、咲月は驚いていた。
黒を基調とした、落ち着いたデザインのドレス。スカート丈は地面すれすれまであり、襟元も、袖も、きっちり全身布地で覆われ、所々のアクセントに使われた白のレースや金糸銀糸の刺繍で縁どられたラインや、散りばめられた宝石の数々。
まるでテーマパークのコスプレなんちゃって姫のような格好であるが、しかし咲月が身につけているのはどれもが本物のドレスだ。けれど、咲月が驚いているのはドレスその物の事ではない。
こんな衣装、きっと服に着られているように見えるだろうと思っていたのに、化粧を施され髪を結った咲月の姿は、朔海の屋敷内の風景に違和感なく溶け込んでいる。
「それにしても朔海……、何時、何処でこんな技術を覚えたの……」
日本で一般庶民として育った咲月に、こんな時代がかったドレスの着方など分かるはずもない。
ヘアメイクから着付けまで、王子のくせにまるで執事よろしく完璧な仕事をやり遂げたのは朔海である。
これまであまり身繕いに構ってこなかった自覚はあるけれど、それでも自分でやるより朔海が仕上げた自分の方が数割増しで綺麗に見えるという事実は少々気になるところだ。
「えっと……それは……その、あっちの雑誌で色々見て……」
自分の仕事に満足そうにしていた朔海が、咲月の問いにしどろもどろになりながら答える。
「雑誌……って……ファッション雑誌? それももしかしなくても女性誌? 何で朔海がそんな物……」
言いながら、彼らと初めて買い物に出かけたショッピングモールで、咲月より遥かにうきうき楽しそうに咲月にコートを選んでくれようとしていた彼を思い出す。
「長くはいられない」はずの人間界。なのに、そこに長く居住していたはずの葉月より、時に人間界の事情に詳しかった彼。
彼は気まずそうに目を泳がせながら、ぼそぼそと言い訳を呟く。
「だって……その、男としては好きな女の子を自分好みに着飾らせるってのも、ちょっとしたロマンのひとつみたいなものだからさ……」
咲月を引き取ると決める前から、叶わない夢と知りながらも、頭の中ではついつい色々と想像してしまうのまでは止められなかったのだと渋々白状する。
「なら……今回は私、朔海の夢にひとつ貢献できた?」
咲月に、城で王の前に出るのに耐えられるような身支度など出来るはずがない。だが、どう見ても彼の仕事は完璧だ。今回はそれが大いに役立った格好だ。
「そうだね。自分でやっておいてちょっと複雑な気分ではあるけど。……見せびらかして歩きたいような、誰にも見せたくないような……」
「何言ってるの、これから大々的に見せびらかしに行かなきゃいけないって時に」
冴えない容貌だと思っていたはずの自分が、鏡の中で堂々と胸を張れるまでの容姿になっているのを見て、咲月は余裕の笑みをつくって朔海に向けた。
「支度も整ったんだし……もう、行くんでしょう?」
連れていけ、とばかりに咲月は朔海に手を差し出した。
「――ああ。咲月には辛い事ばかり強いる事になるだろうけど……」
「大丈夫、分かってる。覚悟は出来てるから。――行こう、一緒に。うるさい事言う人達を黙らせに」
これから行こうとしているのは、彼に見せられた幻の中の光景。あの欲望の熱のこもった冷たい眼差しが集中する中で、今にも取って食おうと待ち構える者たちの前へ、咲月は出て行かなくてはならない。
それは、怖いけれど――。
ほんの少しだけ、それを楽しみにしている自分が居る。
屋敷の外、朔海と共に空へと翔け上がる。
朔海は、しばらく飛んだところでふと一時停止した。
「……ここ、なんだけど。――分かるかな?」
一見、何でもないような宙空を指して朔海が言った。
「ちょっと、いい?」
朔海は、一度止まったその場を中心に、咲月を連れて周辺をぶらぶら飛び回る。
「ここ……ここだけ、周りと少し感じが違うの、分かる?」
「……うーん、確かにちょっと違和感があるような、無いような」
言葉にして表現するのが難しい、それでも無理に例えるならそこだけ僅かに空気の質が違うように思える。
「そう、その違和感に意識を集中して。その違和感の先を辿るように……目を閉じて、感覚だけで手を伸ばして……」
言われるがままに目を閉じれば、暖かい水の中にそこだけ冷たい水が流れるラインがあるような不思議な感じがして、その冷たい水の先を追うように、朔海に手を引かれ、導かれる。
すると、ふと空気が入れ替わり、逆転した。冷たい水の中に、暖かな水が流れるラインがあるような――
「ほら、目を開けてご覧。……ここはもう、魔界だよ」
言われて、目を開けてみればそこは――
「これが……魔界……」
おどろおどろしい雰囲気を漂わせる巨大な城。背後に広がる、荒れ果てた城下町。そしてその上空を舞う無数のコウモリ、カラス、何やら得体のしれない生物……。
「何というか……絵に書いたようなっていうか……随分とイメージまんまというか……?」
――西洋風の城。それも砦のようながっしりした造りのものではなく、シンデレラ城のように、尖塔が幾つも建ち並ぶ格好の城。――だが、テーマパークに立つそれのような白い綺麗な城ではなく、全体的に黒っぽく重たい雰囲気の漂う城だ。
朔海は、その城門の前へと咲月を導いた。
「何者か、名乗れ!」
無駄に大きな城門の前で、槍を構えた門番が威嚇する。
「我が名は綺羅星の朔海。我が伴侶を連れての登城を王より命じられた旨、通達が来ているはずだ」
「ああ、綺羅星の……。では、そちらが今噂の奥方さまでございますか。ええ、確かにお伺いしております。さ、どうぞお通りください」
不遜笑みを浮かべる門番の後ろで、ひきずる様な不快な音を立てて門扉が開く。
嫌な薄笑いを浮かべる門番を無視して城門をくぐり、正面玄関から城内に入った。
「あれが、僕の部屋だ」
すぐ目の前にどっしりとある樫かしの扉。「王の間」と金の文字で書かれた扉を素通りし、そこから一番遠く離れたところにポツンと忘れ去られたように建てられた北塔の、最上階を指し、朔海が言った。
荒れ果てた北塔の、下の階はとうてい使える状態になく、かろうじて無事な最上階の部屋を、彼は自分の部屋として使っているらしい。
朔海に連れられ案内された部屋は、殺伐とした雰囲気はあれど、塵や埃で真っ白な箇所や蜘蛛の巣が縦横無尽にはりめぐらさているような事はなかった。
「……不便な場所ではあるけど、景色は一望できるし……まあ、あんまり綺麗なものじゃないけど――……こんな所へ来る者は僕以外には使用人が年に数回掃除に来るくらいだから、他者を気にする必用もない」
荷物を解く朔海の横で、咲月はぐるりと部屋の中を見回した。
尖塔の壁に沿って、円を描いた部屋にあるのは、ソファとテーブル、クローゼット。先日見たばかりの朔海の屋敷の彼の自室よりなおシンプルなそれ。
部屋にはロフトがあり、寝台はその上に置かれているらしいが――……
螺旋を描く階段を登ってみる。
面積はそれほど無い部屋だが、天井高だけはかなりある。ロフトスペースで背伸びをして腕を上へ伸ばしてもまだ、天井までスペースがある。
が……。
「まあ、そうだよね。朔海の部屋だもんね」
朔海の屋敷の彼の自室にあったそれよりも一回り近くサイズの小さな寝台が、一台。
ちなみに、一階のソファは一つきり、それも一人がけ用の物だ。完全に彼が一人で使う仕様の部屋になっている。
「心配しなくても、僕はソファで寝るから。咲月がそのベッドを使って」
「え、でもそんなんじゃろくに休めないでしょ? このベッドだって、十分二人寝れそうだけど」
確かに朔海の部屋のベッドよりは小さく、あれほどの余裕は無いだろうが、シングルベッドというには大きすぎるサイズのベッドだ。少し詰めれば十分寝られると、咲月はそう思ったが、朔海は少し気まずそうに目をそらした。
「それは、そうだろうけど……。でも、僕は咲月とベッドに入って何にもしないでいられる自信が持てないから――」
「でも……儀式まで、まだあと二日はあるでしょ? 今日を含めて三晩もソファで寝るの? ……儀式を受けるのは私だけど、何があるか分からないって言ったのは朔海でしょ? ちゃんと休んで、万全の状態でいてくれないと、私が困るんだけど」
窓の外に見える重苦しい景色を見るだに気が滅入る。
彼の腕に抱かれて眠る心地良さを知ってしまった今、それを拒む理由など前にも増して無い。
それに、何より――
「朔海、門をくぐってからずっとぴりぴりしてる。……その気持ち、なんとなく分かるから」
あの、親戚たちの集まりに赴くために乗ったバスの中で何度もため息を吐いた咲月は、あの重たい嫌な気分をよく覚えていた。……その嫌な気分を、彼が振り払ってくれた事ももちろん忘れてはいない。
そうする事で、彼の気持ちを少しでも晴らす事が出来るのならば――
「だからさ、今夜は一緒に寝よう、朔海」




