魔界からの便り
そういえば、ここまで和風な朝食は久しぶりだったかもしれない。
食卓に並んだ料理を見て、咲月は思った。
主食に赤飯を据えた今日の朝食の献立は、ほうれん草のおひたしに筑前煮とお吸い物、という割とシンプルな和食のおかずが揃った。
料理の腕に関してはもう文句のつけようもない朔海だが、和洋中と比べればやはり洋食の割合が多くなりがちだ。もちろんどれも味は最高で、特に不満はない。
……けれど、日本人として育ってきた咲月にとってこういうメニューはなんとなくほっとする気がする。
血筋的には日本人ではないらしいと最近知ったが、こういう事はどうやら生まれより育ちの方が強く影響するものであるらしい。
――コツンッ、
いつも同じ、静かな朝食の席――。そこに、不意に割り込んだ音。
――コンコン、
今度もまた、食堂の入り口……ホールへ繋がる扉の外から、ノックする音が聞こえた。
「ファティマー……、今度は何だ?」
ひどく面倒そうな顔で箸を置き、朔海は立ち上がった。
しかし――彼が扉へ歩み寄りそれを開く前に、するりと赤い色をした霧が部屋の中へ侵入し――ゆるゆると赤い色のコウモリの形を取った。
それは――咲月ももう見慣れた、朔海がよく使う簡易使い魔――
だが、それを見た朔海の顔は、先程ファティマーの使い魔の大鴉を見つけた時とは比べ物にならない険しい表情でそれを睨みつけた。
それは、はらりと彼の足元に一枚の封書を落とし、再び血霧となって霧散した。
間違いなく、それは吸血鬼の簡易使い魔だ。
すっと全ての表情を消した彼が静かに封書を破り、中身に目を通す。
「……くそっ、やられた」
そして、すぐさまそれを握りつぶし、扉に投げつけた。
それまで穏やかに過ぎていた朝の空気が、一気に彼の怒気に染まる。
ファティマーのからかい半分の手紙を握りつぶしたのとは明らかに違う、乱暴な扱いを受けたそれは、扉に当たった勢いのまま、跳ね返り、ころころと咲月の足元まで転がってきた。
咲月はしゃがみこんでそれを拾い、くしゃくしゃになった紙を開いてみるが――魔界文字で書かれた文章を読むことはできなかった。
しかし――吸血鬼の簡易使い魔を、ファティマーが送ってくるはずがない。
朔海以外に咲月が知る吸血鬼は葉月と、晃希の二人きり、葉月が居ない今、それを送ってくる心当たりは晃希だけだが……彼がわざわざ魔界の文字など使った文章を朔海に宛てて書くだろうか? それに対し朔海がこんな反応を見せるのもおかしい。
――と、すると。
「これ……もしかして魔界からの手紙……? 何て書いてあるの?」
「――一年後にと期限を切っていた『王族認証の儀』を、一週間後に早める、と」
戸板に拳をぶつけ、彼は怒りを押し込めた低い声で答えた。
「僕が……無能と噂される現王の第一王子が伴侶を迎えたと、城下に噂が広がっている。綺羅星である僕でも伴侶にできるような者は王族を名乗るに相応しくない。強きを重んじる王家の血への冒涜だと、廃嫡を訴える声が高まり、同時に現王の力量を疑問視する声もある――と」
「……だから期限を早めてでも『王族認証の儀』を?」
王族の肩書きを持つに相応しいかどうかを明らかにするための儀式だ。早急な事態の収拾を図るには確かに有効な手段ではあるだろう。
「だけど、あまりにタイミングが良すぎる……。多分、これを画策したのは紅狼だろう」
ずっと、葉月の持つ力を欲していた、彼の実父である吸血鬼。
「彼はおそらく葉月は死んだものだと思っているんだろう。その力を得る機会を永遠に失ったのだと」
力が全てである魔界に於いて、王の位はその強さの最上級の証だ。
「彼だけでない、その地位を望む者はいくらでもいる。けれど、その地位に手が届く者は多くない。でも、彼は葉月の持つ力を得さえそれも可能だと信じていた。……でも、その機会が失われた今、彼は自らを高めるのではなく、現王の弱みをついてその位から引きずり下ろして成り代わる手に切り替えてきたんだろう」
彼は、葉月が命を懸けて守ろうとした少女が、彼が主と仰ぐ朔海から預かった者だと知っていた。
あの命令も、もしかしたら水面下で彼が何か動いていたのかもしれない。
葉月が、そして朔海が大事にしている少女――咲月が、王の弱みである朔海の弱みであると見抜き、抜け目なくそこを突いてきた。
「……少し前なら、僕はきっと王族の血も肩書きも要らないと、簡単に捨てようとしただろうな」
頭に上った血を散らすように、首を振り、朔海は咲月に向き直った。
「だけど、今この血を捨てたら、葉月を呼び戻す事が出来なくなってしまう。だから僕は、それを失うことはできないんだ」
朔海は、咲月に手を伸ばす。
「紅狼の事だ。おそらくただ儀式をこなせば済む話じゃないだろう。……でも、守るから。一緒に魔界へ来て欲しい」
「――もともと、遅かれ早かれやらなくちゃいけなかった事だもん。もちろん、行くよ」
少し緊張した彼の瞳を覗き込みながら、手を重ねる。
思い出すのは、彼に見せれた幻の光景。そして、親戚たちの集まりの中から堂々と咲月を連れ出してくれた彼の姿。
「それに、これさえ済ませれば、『儀式の後に』って言ってた事も予定より早められるじゃない」
この力を彼から貰って以来、ずっと感じてきたもどかしさをぶつけるにはまたとない機会だ。
「今度は、私の番だから」
握った彼の手を引き寄せる。
「朔海が、あの場所から連れ出して、私に力をくれた。だから、今度は私がその力で朔海を助ける番」
「……今度は、って。僕はもう何度も咲月に助けられてきてるよ」
彼は眩しそうに目を細めて笑い、軽く咲月に口付けた。
「でも、そう言ってくれるのは凄く嬉しい」
「師匠に、しばらくお休みしますって連絡しなくちゃ……」
「わざわざ言わなくとも彼女ならきっとどっかから見てると思うけど、まあ一応筋は通すべきか」
「いつ? どうやって行くの? あの魔法陣、魔界まで繋がっているものなの? それとも魔界へ繋がる扉を使うの……?」
「あれは、あくまで次元の狭間での移動法だから、魔界や天界にまでは繋がってない。だから、扉を使う。でも今回は番人がついているような大きな扉じゃなくて、もっと小さな扉から移動する。……その方法を覚えれば、いつでも人間界と次元の狭間を好きに行き来できるようになるよ。――三日後、この間仕立てを頼んだ服が出来上がる。それが届き次第、出かける」




