Lesson - 4
ファティマーはここで店を営んでいる。当然、昼はお客が買い物にやって来る。
店の開店時間は基本、午前九時から午後六時まで。ただし、お得意様から特別頼まれた場合にのみ、営業時間外でも店を開ける事がある。
この店にやってくる客の目的は、大きく分けて二種類ある。
ひとつは、朔海のように質の良いハーブやスパイス、天然石などの素材やそれらを使って作ったアイテムの購入を目的とする客。
もうひとつは、彼女の占術の腕を買って、様々な悩みや問題の解決を相談に来る客だ。
箒を乗りこなせるようになるまで、魔法の実技訓練はお預け、とばかりにあの翌日から咲月はファティマーと共に店のカウンターに立ち、彼女の補佐を勤めながら、棚に並ぶ商品の数々についての知識を学び、占術のやり方を学ぶ事となった。
ハーブの種類、各種名前と本来の効能、育て方、保存方法。そしてそれらの組み合わせ方、それぞれの相性――。
各種天然石の名前と効能――これは晃希の授業でもやったが、それだけでなく、本当に力を持つ石の見分ける目を養えと、同じ石がぎゅうぎゅう詰め込まれた瓶を渡され、『力ある石』だけをより分けアクセサリーを作れと命じられた事もあった。
そして、占術。彼女が扱うのはタロットとルーン。
カードの意味と、文字の意味。大自然に宿る力に問いかける形で占い、導かれた答えを読み解く。
これが、ファティマーたちモーガン一族の占術だ。
もちろん、箒の乗り方の訓練だって怠ってはいない。
「練習用にくれてやる」
と渡された件の箒を持ち帰り、夕食後のわずかな時間を使って練習に励んでいる。
だが、適量を測って一定量の魔力を流す、というのは相当難しい。
実は一度、その感覚を掴むための参考までに、と、吸血鬼としての魔力を箒に使ってみた事があった。
――その結果として、咲月は酷い目に合う羽目になった。
使ったのは、ほんの一滴の血。正直、先日街から魔法陣を使って移動するための対価として払ったそれよりも少ない力のみだった、というのに――。
箒は、超剛速球を放つピッチングマシーンから放たれた魔球の如き勢いですっ飛び、それにまたがっていた咲月ごとその勢いのまま壁に激突した。
……あの痛みは、当分忘れられまい。
吸血鬼の回復力があってこそ、一晩寝ただけで問題なく立って歩けるようになったが、もしも咲月がまだ人間のままであったなら、今でも全身包帯ぐるぐる巻きのままベッドに押し込められていただろう。
そして、ファティマーが言っていた「乗り心地」の意味も、咲月は己が身で思い知っていた。
地面に足をつけたまま、箒にまたがるフリをするだけでは絶対に分かるまいその感覚。地面に足のつかない高さの鉄棒の上に跨ってみたら、きっとこの感覚を分かってもらえるに違いない。
それでも、三日程の練習で何となく魔力を放つ、という感覚を理解し、ある程度自在にコントロールできるようになり、さらに三日程重ねて、この箒の『適量』も何となく感覚で掴めるようになった。
「ふむ。随分上達したじゃないか。一週間でこの出来とは……さすがだな」
その訓練の途中経過をファティマーに見せたところの評価が、これだ。
「では、次は感覚で自然の力を感じる訓練だ」
ファティマーは、使い魔のグリフィンに跨り、その後ろに咲月を乗せて、街からほど近いところにある、ファティマーお手製のハーブ畑に連れ出した。
ほんの少し湿度の高い、しかし程よく冷えた空気はまるで深い森の中にいるようで、薄もやに包まれたその畑には、みずみずしく葉を伸ばし、花を咲かせるハーブが綺麗に植わっている。
咲月はその畑の中で遊ぶように舞うたくさんの精霊の、そのとても楽しそうな空気に気づく。
――この、次元の狭間という場所は、人間界に比べて遥かにそういうものの気配が多い。朔海や竜姫たちにその存在が実際にあることを知らされてからも、咲月は街でそういうものたちを見かける事は無かった。
しかし、あの豊生神宮の山の中でしか見られなかったような光景が、ここでは当たり前にどこにでもある。
だが、そんな次元の狭間でも、ここまで精霊が集まり、こんなに楽しそうにしているのを咲月は初めて見た。そして、そのきゃっきゃとはしゃぐ精霊たちの足元で、地面に植わった植物たちがその空気を吸い込み、生き生き呼吸しているのが、分かる。
咲月は農業のことなどさっぱり分からない。昔、小学校の課題で朝顔を育てたことがある程度の、ど素人だが、それでもそうと分かる。
「――分かるか、この空気の違いが?」
頷いた咲月の答えに彼女は満足そうに、その畑の一番奥の一角に咲月を導いた。
その一角は、何も植わっておらず、茶色い土がのぞいていた。
「これでハーブを育てみろ。――本当なら種から、と言いたいところだが秋まきにはだいぶ時期を過ぎてしまったから、苗を用意した。しばらく、これの世話をしろ」
彼女は、パチンと指を鳴らしてプランターを取り出し、その中に土を詰め、まず一つ、苗を植えてみせた。
「やってみろ」
それに習い、一つ、二つ、三つと苗を等間隔に植えていく。
「これは――」
「カモミールだ。ただ咲かせて置くだけでも良い香りがして、それなりの効能が期待できる。香油にしても、ハーブティーにするのにも適したハーブだな」
四本の苗を植えたそれを持ち上げ、咲月に差し出す。
「本当は、この畑へ通って世話をしろ、と言いたいた頃だがさすがに一人で往復させるのはまだ心配だからな。私も仕事がある以上毎度ついて行ってはやれない。だから、まずはこれを持って帰って、世話をしろ」
もちろん、育て方の知識は頭に入っているな? と無言で問いかけるファティマーに咲月は慌てて首を縦に振った。
「分かりました」
「では、今日は戻ろう」
この頃、街はいつもにましてその空気がそわそわと落ち着かない。
人間界の繁華街では、きっと各所でイルミネーションが夜の街を照らしているだろう時期――もうじきクリスマスという頃合いだ。
日本では今やほとんど宗教的意味合いは相当に薄れているが、本来はイエス・キリストの誕生を祝うキリスト教の宗教行事だ。
同じ神を信仰するユダヤやイスラムには関係のない、ましてや別の神を信仰する者や、魔界の住人にとってはむしろ迷惑な行事――のはずだが。
ここは、商業の街。どんなお祭り騒ぎも商機と捉える傾向が強い。
日本のように、それっぽくイルミネーションを飾ったり、木に飾り付けしてみたり、リースを飾ってみたりするような店は、ほんの一部の店舗のみだが、街全体になんとなくお祭りムードが漂う。
「こら、気になるのは分からんでもないが……今日は用事があるから昼までに返せとの王子殿下の命令だからな。少し、急ぐとしよう」
つい、きょろきょろしたくなるの咲月に、ファティマーがやんわり釘を刺した。
「ほら、待ちきれなかったんだろうねえ、待ってるよ」
そして、道の先を指す。
そわそわと何か落ち着かない様子で道を右往左往している、見覚えのある姿。
「――朔海?」
「……ファティマー、出かけていたのか?」
咲月の声に振り向いた朔海は、何故か少し緊張した面持ちでファティマーに問いかけた。
「ああ、畑に行っていた。……しかし、もう少し落ち着いたらどうだ? もっと余裕を持たんか、余裕を」
「そっ、そんな事言ったって……!」
焦りながら、朔海はひとつ、わざとらしく咳払いをする。
「あー……、咲月、実はこれから少し付き合って欲しい場所があるんだ。一緒に来てくれる?」
そう言って、彼は手を差し出した。
「――ならあれは、私が彼の屋敷に運んでやろう。サンルームに置いておくからな」
ファティマーが、咲月の背を押した。
「行ってくるといい」
いつもより、少し態度の硬い朔海の様子に首をかしげながらも咲月は頷いて彼の手を取った。
「……何処へ行くの?」
「あ、ああ……」
咲月の問いに、朔海はゴクリと喉をならして唾を飲み込み、深呼吸をしてから再び口を開いた。
「――誓約の儀式の間へ」
「誓約の、儀式の間……?」
「そう。重要な契約を交わすための場所だ。――例えば、『結婚』とか」
朔海は、もう一度深呼吸をしてから、真剣な眼差しを咲月に向けた。
「――『婚姻の儀』のために。……僕と一緒に誓約の儀式の間へ来てくれるかい?」




