呪われた運命
「私の名はルナ。私はこのメルディン一族の現首長を務める男の嫁。そして現首長は私の従兄。――私の母は、前首長の弟の妾であり、前首長もまた、母の従兄でした。私たち、モーガン一族の血を引く娘は皆、首長の血族に嫁ぐことを強制されました」
ルナ――。
朔海は目を見張った。偶然にも月の名を持つ彼女は、咲月の生みの母としてはかなり若く見える。
咲月の母という事は、三十代後半か、四十代でもおかしくなかろうに、まだ三十になるかならないかの歳に見えのだ。
しかし、彼女のその一言で、かつての“娘”が何の目的で拐われたのか、その理由が察せられた。
「モーガン一族とメルディン一族は水と油の関係。それは今に始まったことじゃない。それなのに……?」
「彼ら――……いえ、私も半分はその血を継ぐ身、そう言うのもおかしなものですが……メルディンの一族は、唯一神を信じる者たち。人外のものたちを、彼らの価値観で見て、『聖なるもの』と『邪悪なもの』に分け、『聖なるもの』の力を借りて『邪悪なもの』を狩る。……『聖なるもの』も『邪悪なもの』も区別することなく人外のものと付き合うモーガン一族は、彼らからすれば『邪悪なもの』でした」
モーガン一族とて、全く見境なしに人外のものと付き合っていたわけではない。例えば悪魔と関わることは一族の禁忌だ。だが、彼らにとってはそう見えたのだろう。
「だから、彼らはモーガン一族とは距離を取ってきた。……けれど、代を重ねるうち、一族の中である問題が起きたのです」
「問題……?」
「メルディンの一族は、『聖なるもの』である精霊の力を借りて、『邪悪なもの』を狩る。あの、街の中央にそびえた大きな木に、大元となる大精霊が宿り、その祝福として精霊の仔を授かり、それを育てて自らの力とする――。それは、千年近く変わらず続いてきた事。……けれどそこに問題が生じたのです」
標高の高いこの場所の、火の気のない地下室の空気はひんやりと冷たい。
――朔海でさえそう感じるのだから、彼女は尚更だろうに、身につけているのは非常にシンプルな白い貫頭衣のみ。
どんな暗闇でも見通す目を持つ朔海と違い、彼女は深い闇の中にこちらの姿を透かして見ようと瞳を彷徨わせる。
「腹に子を宿した母親は、精霊樹を詣で、精霊の種を授かる。子は、それを持って生まれてくる――」
彼女は、前に潮が言っていた通りの説明を朔海に聞かせた。
「……ですが、持って生まれてきた精霊の種を、どこまで育てられるかは、個人の資質により、それはそのままその者の実力とされ、その力量によってその者の立場が決まる――」
戦いを生業とし、しかも魔物に矛先を向けた一族としては、強さが何より重要だった。
「強い者は、大きな家に住み、多くの録を配分されれる事を許されますが、弱い者は小さな家で貧しい暮らしを余儀なくされます。……けれど、純粋かつ厳格な力量主義を貫くこの街で、その方針に否やを唱える者は、今までは居なかった――」
そう、今までは。
「しかし、ある時から、強い精霊を育てられる者がどんどん減り、逆に弱い者がどんどん増えるようになった」
原因は分からないそうですが、と、小さく呟いて、彼女は立ち上がった。
じゃらりと、鎖が音を立てる。
「これまで、強い者から弱い者まである程度バランスを保ってきたその割合が、大きく偏り、ほんのひと握りの強い者が富を独占し、多くの弱い者がそれを不満に思うようになった」
それでも、圧倒的な強い力を持つ者に対し、弱い者がいくら束になったところでかなわなかった。
「けれど敏い者は気づいていました。その、強い者たちの間でも、少しずつ、弱体化が進んでいることに」
このまま事態が進めば、いずれ一族は破滅に向かう。
「当時の首長は、そう考え、この事態を打破するため一計を案じました」
――それが、精霊と縁の深い、力ある血を外から混ぜるというものだった。
折しも、かの一族には百年に一度現れるかどうかという才を持つ女児が居た。
「それで……さらったのか。子を、産ませるために……」
「私の、曾祖母に当たる人です。彼女は、首長の妾としてこの地下牢に囲われ、十人もの子供を産まされて、最後の子を産み落とすと同時に亡くなっと、そう聞かされています」
「妻としてすら扱われず、その仕打ち……」
あまりの痛ましさに、朔海は顔を歪めた。
「十人の子供のうち、七人の男の子は、一族の誰より上手く精霊を育ててみせました。――首長の正妻が産んだ次期首長よりも……」
メルディン一族は、強さが全てであり、強い者が上に立つ。
「次期首長より優れた子供が居ては、いけなかった。……子供たちはまだ幼いうちに――殺されました」
「――っ、なっ、それじゃあ、何のために……!」
強い精霊を育てられる子供が欲しかったから、かの娘をさらって来たのではなかったのか?
「……曾祖母が産んだうちの、三人は女児でした。彼女たちは首長一家の男たちの妾とされました」
そして、彼女たちもまた、その母親と同じように子を産む事を強要され――
「曾祖母の時の“教訓”から、男児が生まれると、その場で死産とされました」
無事、産声を上げたその直後に、命を絶たれる。
「女児のみ、生きることを許され――彼女達もまた、首長一家の男の妾として囲われました」
けれど、その時点でモーガン一族の血を引く娘は十数人居た。
「さすがに秘密裏に囲うのも限界となり、彼らはようやくそのうちの一人を首長の弟の正妻に迎えました。それが、私の祖母です」
しかし、正妻に迎えられてもなお、男児を産むことは許されなかった。
「そして、長女として生まれた女児が、私の母。母は、父親の兄である伯父の次男の正妻として迎えられ、私を産みました」
そして、他の娘たちもまた、首長一家の男たちの正妻として迎えられ、娘を産む事を強要された。
「そうして産まれた娘たちを、彼らは降嫁させるようになり、同時に母は初めて、男児を産むことを許されましたが、私を産んですぐ、亡くなったそうです」
彼女は、寂しげに目を伏せた。
「そして、私もまた首長に嫁ぐ事を強要された……。もし、私が娘を産めば、その子もまたそれを強要される……。そんな運命から、逃がしてあげたくて……私はあの日、皆の目を盗んで逃げました。けれど、所詮街から出されることのない世間知らずの私が、戦いを生業とするような者たちから逃げおおせるわけがない。……とっさに目に付いたところに子どもを隠すのがやっとでした」
「――それが、あの日、あの場所だったのか……」
「あんな場所に置き去りにして、生まれたばかりの赤ん坊が長く生きられるはずがないと、分かっていました。けれど、それでもこんな生を生きるくらいなら……いっそ……。そんな風にも思えて……」
彼女は、静かに佇んだまま、目からはらはらと涙を零した。
ただ、静かに。嗚咽を漏らすこともなく、ただ涙を流す。
「……でも、あの子は生きていた――。あなたが、あの子を救ってくれたのね?」
暗闇の中で、その姿を見出すことができないのだろう、少し焦点の合わない瞳がぼんやりとこちらの方を眺める。
「あの子を救い、あの子に私とは違う道を与えてくれた……。私に、こんな事を願う資格が無い事は重々承知の上だけど……。どうか、これからもあの子をよろしくお願いします」
彼女は、深々と頭を下げた。
「――僕は、人間ではありません。もし、この街の人間に見つかったなら、問答無用で狩られる事間違いなしの、魔物……吸血鬼です」
朔海は、そんな彼女に告げる。
「だから、こんな鉄格子くらい簡単に壊せるし、その鎖を引きちぎるのも容易い。あなた一人抱えて飛ぶ事も可能です」
だが、彼女は首を横へ振った。
「私がここから逃げれば彼らは確実に追って来るわ。そうしたら、既に死んだと思われている娘まで巻き込んでしまう。せっかくこの呪われた運命から逃れて幸せを掴んだ娘の未来を、壊したくないの」
だから、と、彼女は微笑みを浮かべた。
「さあ、あんまり長居していると、見つかるわ。早く、行きなさい」
そして、未練はないとばかりにこちらに背を向け、彼女は再び冷たく硬い床に座り込んだ。
「あの日、彼女を見つけた僕は、彼女の存在に救われた。彼女に出会えなかったら、僕は……」
そんな彼女の背に、朔海は深々と頭を下げた。
「あなたが、彼女を産んでくれなかったら。あなたが、ここから彼女を連れ出してくれなかったら。僕があの日、彼女と出会うこともなかった。……だから、僕はあなたに感謝しているんです」
彼女から事情を聞き、全てを知った今。……本当にそう思う。彼女が、咲月を連れ出してくれなかったら、どうなっていたか。あまりに明白な未来に吐き気を覚える。
「――ありがとうございました」
心からの謝辞を、言の葉にのせる。
「お約束します。彼女の幸せを。彼女の一生を守りぬくことを――」
一歩、鉄格子の前から下がり、もう一度一礼して、朔海は彼女に背を向けた。
階段を上り、隠し扉からワイン倉に戻り、そっと玄関を出る。
そっと静かに翼を広げ、飛び立つ。
その街が、随分小さく見えるようになるくらい離れたところで、朔海は腕輪の石に声をかけた。
「――潮」
すると、しゅるりと小さく透けた精霊が、ぶすくれた顔で出てくる。
「……オレ様は、知らなかったんだ」
今にも泣きそうなのを必死にこらえるように、顔をしかめて小さく呟く。
「オレにあるのは、精霊樹の大聖霊様の持つ知識と、種として姫様に宿った後のぼんやりとした記憶だけだったから、姫様が首長の娘だって事は知ってたけど、姫様の母君や、その母上様方らが、そんな事情を抱えていらっしゃったなんて、これっぽっちも……!」
朔海は、そんな彼をちょいちょいつついて慰めてやりながら苦笑を浮かべた。
「分かってるよ。潮が、咲月が大好きなのも、彼女の幸せを一番に考えている事も。……だからさ、今聞いた話、しばらく彼女に内緒にしておいてくれないか?」
あんな話、彼女に聞かせたくないけれど……。
「いつかは、話さなきゃいけない事だと思う。でも、今は……」
「そんな事……頼まれなくたって……あんな酷い事、オレの口からなんか話せるか!」
「うん。僕も、できれば聞かなかったことにしたい気分だけど」
それでも、いつかは話さなければならない。
「――その時は、僕からきちんと話すよ」




