隠者の街
『調査結果と、長の方針についての報告』
と題された文章を、朔海は大鴉の後ろについて飛びながら、改めてじっくり読み返した。
調査結果とは、もちろん咲月の片親であるはずの一族の事についてだ。
魔を狩る役目を負った、神にも等しい大精霊の守護を得る、祓魔師の一族だと、潮は言った。
その大精霊の分け身とも、子とも言える精霊を相棒とし、その力を借りて魔を狩ることを生業とする一族なのだと。
その、一族の名は――『メルディン』。或いは、マーリンとも読めるその一族もまた、古くあの島国に根付いていた者たちであり、そして――
『気の遠くなるほど大昔から続く一族で、我等とも何かと因縁があってな。長いこと互いに不可侵を貫いてきていたから、ずっと気付けなかった。……すでに相手方に我らの血が取り込まれ組み込まれてしまっているらしい事から、長たちがこの件について動くことは無い』
すまない、と、謝罪の言葉の後に、彼女は「だから、知りたいと思うならお前自ら動け」と続けている。
『案内役に私の使い魔を同行させる。後は……おそらくお前たちの守護精霊が導いてくれるだろう』
そこは、潮にとっては故郷と言うべき地だ。
一体、どんな所なのか。どんな一族なのか。――自分にはそれを知り、受け止めなければならない責任がある。
転移を繰り返し、慣れ親しんだ日本とは気候も文化もまるで違う地に降り立つ。
まるで、他者の訪れを強固に拒むかのようにそびえる崖が富士山のようにそそり立つ、その頂上部分のごく狭い土地――東京ドームが一つ、入るか入らないか程度の広さのその中央に、大きな一本の樹木が、太い幹から土地全体を覆い尽くす勢いで枝を伸ばし、葉を生い茂らせている。
その樹は、不思議な淡い光を纏い、枝葉の所々が蛍の光のようにちかちかと瞬く――それはとても神秘的で、どう見ても普通の樹木ではなかった。
あれが、潮の言っていた大精霊の宿る木なのだろう。
崖の手前に高く石垣を積み上げ、囲った中に、石造りの民家が立ち並んでいる。
そこより少し高い隣の崖の上からその様子を伺う朔海は、さてどうしたものかと考え込む。
自らの翼を持つ朔海にとっては急な崖も、高い石壁も関係なく、あそこへ入ることは出来る。
しかし、どう見てもよそ者を寄せ付けることのない、狭い集落を考えなしにふらふらしようものなら、あっという間に捕まるだろう。
しかもあそこは魔物狩りを生業とする者たちの集まりだ。
――拘束される以前に問答無用で殺されかねない。
かつては隠者と呼ばれた者たち。
大陸から新しい宗教が伝わり、広がる中で、それにおもねらなかったファティマーたちモーガン一族とは逆に、いち早く迎合した彼らは、人と人外のものたちの橋渡しを使命とするモーガン一族に対し、人外のものたちの力を借りながら人外のものたちを狩り続けた。
その考えの相違から、彼ら『メルディン』の一族と『モーガン』は、まるで水と油のような関係にある。
「でも……咲月はその両方の血を継いでいるんだよな……」
そしてその彼女の血を得た朔海自身もまた、その力を得た。
その力が一体どういうものなのか、きちんと知っておかなければならない。
それに……
「あそこに、咲月の両親が居るのか……」
もしも、まだ健在であるのなら。
一体どうして、あの日、あの場所に彼女を置き去りにしたのか。その辺りの事情を、きちんと把握しておかなければならない。
その上で、彼らの存在が咲月にとって害となるようなら、対策を考えなければならない。
それとももし、あの日のことを後悔し、彼女を取り戻したいと、思っているなら――
「……はい、そうですかと返してはあげられないけど」
咲月の意向次第では、再会の場くらいは用意してやろうと思う。
「かなうなら、きちんと許しを得ておきたいし」
とりあえず、昼の明るいうちではあまりに目立ちすぎる。せめて夜闇が辺りを漆黒に染めるまでは待つべきだろう。その上で、こっそり忍び込む。
幸い、闇の中を動き回るのに適した能力を、朔海は標準装備している。
彼女は、この一族の首長の娘なのだと、前に潮は言っていた。
「首長の家――は、多分あれだよな」
分かりやすく、町の一番中央の大きな屋敷。
冬至も近いこの季節、この土地の日暮れは早い。
だが、朔海は街が完全に眠りにつき静かになるまで辛抱強く待ってから、ようやく翼を広げた。
羽ばたきの音を極力させないよう、静かに目的の屋敷の屋根に降り立ち、即座に身を伏せる。
朔海は、小刀で指に小さな傷をつけ、使い魔コウモリを作り、屋敷の通風孔に潜り込ませた。
辺りは闇に包まれ、寝静まった街は静寂に満ちているが、それでも勝手も分からないまま玄関から堂々入り込むわけにはいかない。
五感を最大限にシンクロさせた使い魔を、まずは偵察に放つ。
「せめて、大まかな間取りと人の様子くらいは把握しないと……」
通風孔は当然闇に閉ざされていたが、吸血鬼の目を持つ朔海にそれが問題となることはない。
最初の出口から部屋の中へ侵入する。
――そこは、実に古風な台所だった。
今時のガスコンロではなく、かまどが据えられ、水場は水道ではなくポンプ式の井戸。床は土間という、一瞬タイムスリップでもしたのかと思うような光景が広がる。
部屋の隅には薪が積み上げられ、かごには芋やニンジンが山のようになっていて――。
その台所とは完全に別室として作られたダイニングは、やけに長いテーブルに、綺麗なクロスがかかっている。並ぶ椅子の数は――八。
おそらく、この家に住まう「家族」は八人なのだろう。
しかし、この部屋の様式を見ると、おそらくこの家では使用人に給仕させるのだろう。
その使用人が通いなのか、住み込みなのか――。
家に実際に住んでいる人数が何人なのかはこれだけでは分からない。
だが、こういう場合使用人の部屋の在り処はだいたい相場が決まっている。
一階か、屋根裏か、もしくは――地階。
そして、一階にあるのはどうやら洗濯場やら物置やらであるらしい。
廊下の一番奥の階段は、上へ行くものと、下へ続くものが一つずつ。
朔海はまず地下を確かめることにした。
――しかし、そこにあったのはワイン倉で、他に部屋は見当たらない。
ならば、上を調べようと思ったとき、朔海の目が妙なものを見つけた。
床板の継ぎ目が、不自然に途切れている箇所があり、しかもご丁寧に取っ手の金具が付いているのだ。
もっと、目立つ場所にあったのなら、ただの床下収納だと見過ごしていただろう。
しかし、ワインを並べた棚と棚の目立たない場所に、隠されるようにしてあるそれに不自然さを感じた朔海は、一度使い魔を消し、自ら乗り込むべく、台所の勝手口から侵入を試みた。
慎重に人の気配を探りながら、ワイン倉へと真っ直ぐ向かい、件の取っ手に手をかけた。
それは、なかなかに重量があり、朔海本人の腕でなら容易く開いても、使い魔コウモリでは力不足で持ち上げられなかったのだ。
開かれた隠し扉の下には、更なる地階へと続く石段が隠されていた。
朔海は、明かり一つ無い中を、危なげなく、しかし慎重に降りていく。
「――誰? アーサー?」
すると、不意に闇の向こうから声がした。
決して大きな声ではない。ともするとふっと掻き消えてしまいそうにか細い、女の声だ。
朔海は、階段の終わったその先に、床から天井まで続く、悪趣味な鉄格子の向こうに、一人の女性の姿を見つけ、息を飲んだ。
「……咲月――?」
その声を聞いた彼女は、びくりと体を強ばらせた。
「――誰、誰なの……?」
その声はひどく怯えて震え、体を縮こませた彼女は両手で頭を庇う。
その、面立ちは朔海がよく見知った少女とよく似ていた。
「あなたは……もしや、咲月の母上でいらっしゃる……?」
つい、ぽつりと呟いてから、彼女のその名は自分が与えたものであると思い出し、朔海は改めて尋ねた。
「あの……もしかして昔、次元の狭間の街に、女の子を置いていきませんでしたか?」
その言葉を聞いた彼女は、息を飲んだ。
「僕は、かつて次元の狭間の街で、一人の女の子を見つけました。彼女を咲月と名付け、その後色々あって、今は彼女と結婚を前提にしたお付き合いをさせていただいている者です」
「あなたが、あの子を……?」
その答えに、朔海は確信する。
「――やはり、あなたが咲月のお母上なのですね? ……もし、差し支えなければ、事情をお話いただけませんか。どうして、彼女をあの日あんな場所に置き去りにしなければならなかったのか。どうしてあなたがこんな場所に閉じ込められているのか」
よく見れば、彼女の手足には無骨な手枷足枷が付けられ、鎖で繋がれている。
それは、絵に描いたような虜囚の図――。
少し前、朔海もファティマーの店の地下であのような姿を晒した事があったが、ファティマーの冗談交じりのそれとは違い、微塵の容赦も感じられないそれを見れば、何らかの事情があるのは間違いない。
……それも、あまり面白くない類の事情が。
「あの娘は……生きているのね? 生きて、幸せに暮らしているのね……?」
だが、朔海の言葉を聞いた彼女は、ようやく震えを止め、ふわりと柔らかな笑みを浮かべた。
「よかった……。やっぱり、あの日、ここから連れ出した私の選択は間違いじゃなかった……」




