女神の末裔
「我らの力は世界より与えられ、受け継がれしもの。精霊の声を聞き、妖を視る目を持ち、魔物を使役する力は、彼らと人とを繋ぐ力。故に、人のために力を使うことを惜しんではならない。力を、人のために使わず、自らのためだけに使うべからず」
我が一族の掟だ、と、ファティマーは重々しく告げた。
「英国に古くから伝わる神話に出てくる戦いの女神――我らはその末裔なんだ。我らは掟に従いその恩恵を惜しむことなく人々に与えてきた。まだ、医療も科学もその言葉すらない時代には、各村に頻繁に足繁く通い、質の高いハーブや薬やその他諸々を売って歩いたものだ」
だが、とファティマーは茶を啜りながら続ける。
「大陸から、唯一神を信仰する宗教が伝わり、民の間に広がり、やがて支配者層にも信者が増える中で、我らはだんだんとその居場所を失っていった」
――魔女狩り。
とても凄惨な歴史として今に知られているそれ。
「実際、悪魔と契約して悪さをする連中も確かに居るには居たのさ。だが、奴らは圧倒的少数で、その上狡猾で、逃げ隠れするのが実に上手くてね。捕まって酷い目に遭わされた者の大半は奴らとは無関係の者だった」
やるせないため息をつき、彼女は二杯目のお茶を注ぎ、カップにミルクとはちみつを投入する。
「我らは女神の末裔――とは言え、唯一神を信じる連中にとってはそれも悪魔とみなした」
スプーンでゆっくりそれらを混ぜながら、彼女は目を伏せた。
「元々我らの能力は血に依るところが多くてね。掟に従い“結果”は惜しみなく振りまいても、そこに至るまでの知識や技術は一族内で秘められ、決して表に出さなかった我らは、だんだんと妖しの術を使う者として敬遠されるようになっていった」
もちろん、魔女狩りに捕まった娘も一人や二人ではなかったのだと、彼女は囁くように言った。
「以来、それまで以上に一族内の秘密は絶対のものとなった。――ただのお得意様程度の相手には話してやれない事だけで、本が百冊書けるくらいにな」
今、彼女の言う「お得意様」とはつまり、朔海の事だろう。
ようやく、咲月は彼女が朔海を他所へやった理由を察した。
「君の存在を知った後、私は君のことについて我らの魔女長にお伺いを立てた」
彼女は、食卓の上に一枚の羊皮紙を置いた。
青いインクで、何やら書かれているのだが、筆記体のアルファベットで書かれているらしいそれは、しかし咲月の知っている英語とは違うようで、殆ど読めない。
「長の結論は、 『君の処遇はお前に一任する』との事でね。ちなみにこれは、我ら一族の間で師弟関係を結ぶ時に交わす契約の書だ」
よく磨かれツヤツヤした食卓の天板の上で、それを咲月の方へ滑らせる。
「我らは女神の末裔――、……だからなのか、精霊の声を聞き、妖を視る目を持ち、魔物を使役する一族特有の力は基本、女に現れる。男にも僅かに力は継がれるが、女のそれに比べたらごく僅か。モーガン一族の娘は、ある一定の歳になると、見習いとして先輩魔女に弟子入りし、修行を始める。――昔はそれこそ住み込みで、朝から晩まで修行漬けの毎日を送っていたものだ。その師弟関係を管理するのが、長の役目の一つなんだが……」
師匠を自分で選ぶことは許されていない。それぞれの個性や適性、能力などを鑑みて、魔女長と呼ばれるモーガン一族代々のまとめ役が決める。
その魔女長の答えが、『君の処遇はお前に一任する』という事ならば――
「今日から私が、君の師として、一族に伝わる数々の知識や技術を君に伝授しよう」
インクと、鴉羽の羽ペンを取り出し、書類の下部に引かれた二つの罫線のうちの左側に、サラサラと文字を記した。
「こちら側に、君の名を記すんだ。――ああ、ローマ字表記で構わない。『SATUKI HUTABA』、と」
とんとん、と空いたもう一方の罫線を人差し指でさしながら、ファティマーは咲月にペンを持たせた。
「心配するな。さすがに最近では一族のみで山奥深くでひっそりと暮らすような生活はできないからな、我らもある程度現代社会の仕組みに適応し、昼間は普通に学校へ通い、放課後に師匠の家へ行き、修行をつけてもらうのが一般的になっている」
昔のような修行をするのは、夏の休みの間など、長い休みをとっても困らない時期に限られ――だから、普段は毎晩両親の待つ自宅へ帰り、翌朝また出かける、というのがモーガン一族の今日の姿なのだ。
「未だ森の奥の、人の滅多に立ち入らない場所で仙人のような暮らしをしているのは長くらいのものだ。一人前になった者の中には、私のように店を構えたり、天界や魔界、次元の狭間を巡る行商をしている者も居る」
かちゃり、と空になったカップをソーサーに戻して、ファティマーは言った。
「先に言った通り、精霊の声を聞き、妖を視る目を持ち、魔物を使役するのが我らに備わった力。私たちは元々多くの魔力を持たず、力を持つ者たちからうまく力を借りて事を成すのが我らのやり方だ」
それは、自ら魔力を持つ吸血鬼とは根本から違う力だ。
「だが、吸血鬼の魔力も、結局は借り物だ。その上あの子が持つ血の中には竜が居る。それを扱うのに、我らの知識と技術はきっとお前の役に立つはずだ」
それは、朔海が持たない知識と技術だ。
「……それがあれば、私、彼の役に立てる?」
今、咲月の手にあるのは全て、彼に与えてもらったもの。同じものを彼もまた持っていて、今の咲月に彼に勝てる部分は無く、今のままでは殆ど彼の助けになれないのが現実だ。
けれど、彼に無い力を手に入れられるならば――
「私が、その力を朔海のために使うのは……構わないんですよね?」
「もちろん、構わないぞ。ついでに、君が習得したものを彼に教えてやるのもな」
「――え?」
さっき、「ただのお得意様程度の相手には話してやれない」と行っていたはずなのに……?
咲月が首を傾げると、彼女は薄く微笑んだ。
「おや、聞いていないのかい? 吸血鬼ってのはね、能力を持つ者の血を吸うことで、その能力を自分のものにする事が出来るんだ」
その話なら、以前朔海や葉月から聞かされて知っている。
「あの子は何度も君の血を口にしている。君の持つ能力の全ては、今は彼のものでもある」
つまり今や彼もまた一族の能力を継ぐ者なのだ。
「……とはいえ、やっぱりおおっぴらにそうと認めてやるのは、我が一族的に難しいものがあってね」
長らく外界との接触を制限してきた者は、得てして保守的な考えが強くなるものだ。
「だから、私が直接彼を弟子に取ることは出来ない。けれど、君が得たものを伴侶たる彼に渡す分には構わない、というのが長たちの今件に対するスタンスらしい」
「私が、朔海に教える……」
これまで、彼に教えてもらうばかりで、彼に支えてもらわなければ何もできないと思っていたのに――。
彼の力になる事が出来るというなら、咲月に首を横に振る選択肢は無くなる。
「――分かりました。これから先、どうかよろしくお願いします」
咲月は改めて深々と彼女に頭を下げた。
「こちらこそ、よろしく頼むよ。私にとって君が初めての弟子だ。そうだな、まずは彼が帰ってくるまでに基礎くらいはマスターして貰おう」
もう一度、互いに握手を交わす。
「ではまず、魔法の理論を丸ごと全部覚えてもらおう」
そして、ファティマーはにっこり笑った。
「今は感覚だけで魔法を使っているようだが、やはりきちんと理論を理解して使わないと、色々と無駄が多くなる。きちんと理論を理解して使えば、術の幅がもっと広がるぞ」
その微笑みに、何やら若干不穏なものを感じた咲月だったが、そう言われてしまってはもう、頑張るしかなくなる。
「じゃあ、工房へおいで。実地でみっちり叩き込んでやるからさ」




