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Need of Your Heart's Blood 2  作者: 彩世 幻夜
第五章 Scenery of ”New world”
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咲月の翼

 「――明日、街へ買い物に行こうと思ってるんだ」


 朝食の席で朔海がそう切り出したのは、咲月が吸血鬼となった日から数えて約三週間、半月あまりが過ぎた頃のことだった。日本の暦で数えるならば、そろそろ師走の月に改まろうかという季節を目前に、ほかほか湯気の立つスープの入ったマグカップを片手に、彼は続けた。


 「食材の蓄えはまだまだたくさんあるけど、さすがに新鮮な肉や野菜、魚なんかの生鮮食品は新しく買い足してこないとそろそろ底が尽きそうだし……」

 ちなみに今日のスープはかぼちゃのポタージュスープ。程よく甘いスープに、焼きたての香ばしいパンがよく合う。このパンももちろん、彼が粉からね上げ焼き上げた“逸品”である。

 他にも食卓には豆のサラダやソーセージのチーズ焼きなどが並んでいるが、そういえば確かにここ何日かは生野菜や卵などを見かけなくなっていた。


 「何より、咲月の上達ぶりを見ていたら、一日でも早く彼女に直接紹介したいと思ってね」

 「彼女って、もしかしなくともファティマーさんの事だよね?」

 朔海はスプーンですくった豆を頬張り、口をもぐもぐ動かしながら頷き、ごくんと飲み込んでから口を開く。

 「うん、僕が咲月に教えてあげられるのは、あくまで吸血鬼としての力の使い方だけだからね」

 リンゴをジューサーにかけて作ったフレッシュジュースを入れたグラスを傾け、朔海は言った。

 「その、ひとつの応用法としてある程度魔法について、僕もそれなりに研究はしているけど、本職の記憶を持つ晃希さんに比べればやっぱり知識は劣るし、数百年に及ぶ長い歴史の中で代々知識と技術を受け継ぎ研鑽を積んできたモーガン一族の魔術はその血を受け継ぐ者でないと扱えない」

 ファティマーの使う術は、朔海には扱えない魔術だが――

 「多分、君には扱う事が出来ると思うんだ」

 咲月には、そのファティマーという魔女の一族の血が流れている。

 「もちろん、そのための勉強と訓練は必要だろうけど……」

 そしてそのためにはそれを教え導いてくれる師が必要不可欠だ。

 「ファティマーがそれはそれは乗り気でね。昨夜もほら、催促の手紙が……」

 と、朔海が食卓の上に白い紙片を滑らせた。

 紙片のサイズより一回り小さく、ぶどうの蔓を模した洒落た金のラインで四方を囲い、中にシンプルな金のラインで罫線の惹かれたカードに、サラサラと流麗な文字がインクで綴られているが、残念ながらそれは日本語でも、おそらく英語でもないようで、咲月には何と書いてあるのか分からない。

 

 『いつまで勿体つけるつもりだ、早く会わせろ。あと三日待って連れて来ないならこちらから出向くぞ』

 朔海が棒読みのセリフを口にする。

 「それには、魔界で使われている文字で、そう書かれてる」

 彼は、咲月がこの家に訪れる前にその彼女に半ば押し売りの如く押し付けられた一件の事でも思い出しているのか、小さくため息をついた。

 「まあ、そろそろいいかなと思っていたところだし、いい機会だ。いつまでも屋敷に閉じこもりっぱなしなのも窮屈だろ?」


 力を扱えないまま外に出るのは危険だからと、屋敷から出ることを禁じられていた咲月は、未だ一度もこの屋敷の外観を見ていない。

 この屋敷の敷居を跨いだあの時は、まだ人間だった咲月の目に映るものは黒く塗りつぶされた闇ばかりだったから、この屋敷の外壁の色も、屋根の様子も知らないままだった。

 けれど、新たに得た力を磨くのが楽しくて、それに夢中になっていた咲月は、外へ出られないことについて特に不満を感じたことはなかった。


 上等の寝床を与えられ、一日三度の食事とお茶の時間には高級レストラン顔負けの美味しい食事を提供され、やり甲斐のある課題に取り組み、好きな人と穏やかな日常を送る――そんな毎日のどこを窮屈に思えばいいのか、咲月にはさっぱり分からない。


 でも、異世界の街というのには興味がある。

 「うん、ちょっと――ううん、今からもうかなり楽しみかも」

 


 ――かくして。

 翌朝、食事を終えた彼は咲月が普段見慣れたものとは違う格好で玄関ホールに立っていた。

 

 咲月は咲月で、まるでファンタジー映画の登場人物になったような服を身につけている。

 黒いシンプルなワンピースドレスにカーディガン、それにドレスコート。

 質のいい生地で仕立てられたそれらはどれも上等な物だったが、目立たないところに刻印されていたブランドマークに、咲月は見覚えがあった。

 「ファティマーの見立てだから、間違いはないと思う」

 そう言って朔海に渡された服には全て、かの有名なジャンヌ・ダルクが手がける衣料品ブランド『Spicaスピカ』のロゴが入っていた。


 「ううん、悔しいけどやっぱりファティマーの見立ては侮れないなあ。それ、とても似合ってるよ。うん、すごく可愛い」

 と、にこにこ微笑みながら臆面もなくぽんと軽く彼は火のついた爆弾を投下してくれたが、そう言う彼の格好に、咲月は思わず目を奪われた。


 シンプルな白いシャツに、黒いズボン。黒いベストを着込んだ上から黒いロングコートを纏い、襟には赤のスカーフタイ。

 これにあと黒い帽子とステッキを追加したら、ヴィクトリア時代の英国紳士、といった格好は、彼にとても良く似合っていた。

 元々スタイルも顔も良い彼は何を着ていてもスマートに着こなしてしまうが、シンプルなロングコートは彼の品の良さを引き立て、普段より大人びた色気がにじみ出ている気がして、咲月の目は彼に釘付けになった。


 そんな彼は、

 「じゃあ、出かけようか」

 と、何の気負いもなく当たり前に咲月に手を差し出した。

 ドキドキしながら、おずおずと彼の手に自分の手を重ねると、ごく自然にエスコートされ、咲月は彼が開けてくれた玄関扉から一歩、外へ出る。

 そうして、改めてたった今自分が出てきた屋敷を見上げれば、イギリスのマナーハウスを思わせる、石造りの壁と、赤茶色のレンガの外壁が趣味よく組み合わされ、落ち着いた佇まい。内装同様趣味の良い外観だ。


 その咲月の背後でがちゃりと扉を閉めた朔海は、自らの牙でほんの少し親指の腹を傷つけにじませた血で、門扉に押し付けた。

 「――結界」

 途端、玄関扉いっぱいに大きな魔法陣が描かれたと思えば見る間にそれから伸びたいくつものラインが屋敷全体を囲い、青白い光を放った。

 「……人間界でするように、ただ扉に鍵をかけても、力尽くで扉を破ろうとする輩には無意味だからね」

 残念ながらここではそういう輩の方が圧倒的に多いのだと朔海は言った。

 「だから、僕の許可が無い者が屋敷に触れることのないよう、こうして結界を張るのさ」


 彼は、咲月の手を取ったままパサリと背に翼を広げた。

 もしかして、あの日のようにまた、お姫様抱っこでの移動なのかと心臓を跳ねさせた咲月に、朔海は両手を差し伸べ、こちらに向き直った。

 「――さあ、じゃあ今日は空の飛び方を教えよう」

 「……空の、飛び方?」

 思わず聞き返しながら、朔海の背にある翼と、何も無い自分の背中を見比べる。

 「全ての吸血鬼が空を飛べるわけじゃない。それができるのは、竜の血を持つ王族と、空を飛ぶ能力を持つ種族の血を持つ一部の一族のみ。だけど、咲月を吸血鬼にしたのは僕の血だ。君には僕と同じ力がある。だから、君にも僕と同じ翼がある」

 朔海は一度咲月の手を放し、背後へ回り込むと、その背に手を伸ばした。

 「肩より少し下……だいたい肩甲骨の中程――ちょうどこの辺りに意識を集中して……」

 コートの上から、彼の手が咲月の背中に触れる。

 「ここに、翼があると思って動かしてみて」


 たったいま目の前で見たばかりの朔海の、コウモリの皮膜に似た翼。それをいっぱいに広げる――。


 それは、まだ魔術を使う際のイメージよりもおぼろげなものでしかなかったが、不意に背に違和感を感じて咲月は慌てて振り返った。

 「――ほらね」

 さっきまでは無かった、朔海の背にあるのと同じ、けれどそれより一回り小さい翼が、そこに確かにある。

 朔海は再び咲月の前に戻り、咲月の両手を取った。


 「ゆっくり、翼を動かしてみて」

 肩甲骨のあたりから伸びた、新しい骨と筋肉の感覚に少なからず違和感はあるけれど、言われて意識的にそれを動かそうとしてみると、思いの外簡単に操ることができた。

 ぱたぱたと翼を動かすと、ふわりと体が軽くなる。

 水中で、浮力に持ち上げられるのに似た感覚に驚き、翼の動きを止めると、その力は即座に霧散した。

 「そうそう、その調子。そんな感じでもっと空気を掴むように翼を動かせば、そのまま浮き上がれるよ。大丈夫、僕が支えているから、やってみて」


 朔海のアドバイスを受け、咲月はもう一度、今度はしっかりと翼の動きを意識しながら羽ばたいた。

 すると、今度は完全に地面から足が離れる。朔海の手を借りたまま、ゆっくりと高度がどんどん上がっていく。

 水よりもその存在感の希薄な空気を掴み、それで自らの身体を支えて浮かすというのは、吊り橋から谷底を覗くような、不安定な不安がつきまとう。

 「上手い、上手い」と朔海は褒めてくれるが、「手、手ぇ絶対に離さないでよ?」と、咲月の方は必死だ。

 彼の手が離れたら、その瞬間、この安定を崩してあの遥か遠く見える地面に叩きつけられそうで怖い。

 ――実際は、朔海の屋敷の屋根を見下ろせる程度、約三階程度の高さのはずが、高層ビルの屋上から下を見下ろしているような気がする。

 今、もしも我が子の自転車乗りの練習に付き合う父親よろしく「離さないでよ」という子に「離さない、離さない」と口で請負いながら、実際は途中で手を離す、などという真似をされたら……。


 「大丈夫、絶対に離さないから、さあ、行こう。手を引いてあげるから、そのまま、翼を動かして……飛ぶって感覚を、身体で覚えるんだ」

 朔海は、子どもに水泳を教える先生のように、咲月の両手を握ったまま、自身は後ろ向きに飛びながら、咲月を促した。

 

 「感覚さえ掴んでしまえば、そんなに難しいことじゃない。だからきっと街へ着くまでには、一人で飛べるようになるよ」

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