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Need of Your Heart's Blood 2  作者: 彩世 幻夜
第一章 To step forward to the new one step
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つけるべきけじめ

 この季節、天気の良い日は空も青く澄み、心地の良い爽やかな風が吹く。

 しかし、台風や長雨の季節の合間でもあり、見上げた今日の空はどんより重たい雲が立ち込め、パラパラと雨粒を無数に振り撒く。

 梅雨の時期に比べればそう不快には感じないが、外出が億劫になる天気である事に変わりはない。

 ましてや、楽しくない用事を片付けに行く最中とあれば、尚更に気分は重くなる。


 けれど、不義理を働いたのはこちらなのだから、けじめはつけねばなるまい。

 咲月は先に大きくため息をついてしまってから、扉の前に立った。

 「いらっしゃいませー!」

 自動扉が開くと同時にチャイムが鳴り、奥から店員の声が飛んでくる。


 「……あら、双葉さん?」

 彼だけでなく、自分にとっても恩人と言うべき人の姓を、咲月は今も名乗り続けていた。

 これまでコロコロ変わり続けた他のそれとは違い、今ではしっくり馴染んでしまっていた。

 しかし、年配の女性店員が名を呼ぶその声は、あまり好意的なものではない。

 「あの、すみません。店長は……?」

 「奥にいるよ。それにしても、入ったばかりのくせにもう辞めるだなんて。全く、これだから若い子は無責任で困るのよ」

 文句を言いつつ、彼女は店の奥へ向かって声を張り上げた。

 「店長! 双葉さんだよ!」

 「んー、裏へ回って事務所の方へ来てくれる?」

 すると、奥から店長の声で指示が飛んでくる。


 咲月は言われた通り一度店から出ると、表通りから脇道に入り、警備会社のステッカーが貼られた無骨な裏口から再び建物の中へ入った。

 売り場と工房が敷地の大半を占拠し、申し訳程度の空きスペースに詰め込まれた狭い事務所と、カーテンで仕切られただけの従業員用の更衣室は、大人が3人並ぶともう一杯一杯になる。

 そんな中で、店長兼職人頭の彼は、朝の仕込みは勿論、朝一番に焼きあがったパンを店に並べ終え、補充用のパンの焼成をもう一人の社員に任せて書類仕事に勤しんでいた。


 「――それで?」

 彼はペンを置き、不機嫌そうに書類から顔を上げ、咲月を見た。

 「はい、今日はお詫びとご挨拶に……」

 申し訳なさそうに頭を下げる咲月に、店長は盛大にため息をついた。

 「全くね。こっちもさ、募集広告出したり、制服発注したり……色々タダじゃないんだよ」

 腕を組み足を組み、尊大な態度で店長は咲月を詰る。

 「新人教育だって、普段より余分に人件費かかるし、人一人雇うって大変なんだよ。それをたったひと月足らずで辞めるってねえ。給料払うどころかこっちが損害賠償貰いたいところなんだよ、本当は」

 しかし、言っている事は一から十まで正論だ。それを分かっているから、咲月はとにかく頭を下げるしかない。

 「はい、私の勝手な都合でご迷惑をお掛けして申し訳ありません」

 「急に引っ越さなくちゃならなくなったって言うけど、確か一人暮らしだって聞いてたと思ったけど? それがどうしてそんな事になるんだ? 学校行ってないとはいえ18歳未満だろ? 保護者は?」

 履歴書を書く際、名前を借り、印を押してもらったのはお社の巫女姫夫妻だ。

 しかし、自分の勝手で一人暮らしを始め、アルバイトを始めたのに、自分の都合で辞めるからと彼らに迷惑はかけられない。

 「その保護者が、また変わることになったんです。だから……」

 咲月の事情は、高校へ行っていない理由と共に面接の時に簡単に説明してある。

 親戚をたらい回しにされていた事情を知りながら雇ってくれた人の良い店長は、渋い顔をして黙り込んだ。

 「……まあ、同情はするが。こっちも商売なんでね。甘い事ばかりは言っていられない。法律で決まっているから、働いた分の給料は支払うが……今月はもう来なくていい。勿論、来月以降もな」

 店長は定形の茶封筒に現金を入れ、そのまま咲月に手渡した。

 「はい、すみません。――ありがとうございました」

 咲月はそれと引き換えるように菓子折りの箱を差し出した。


 「これ、つまらないものですが、皆さんで召し上がってください」

 正直、謙遜ではなく、近所のスーパーのサービスカウンターで扱っていた一番安い菓子折りなのだが、店長は渋い顔のまま受け取ってくれた。

 「短い間でしたが、お世話になりました」

 最後にもう一度一礼して、咲月は店を出る。


 その途端、我慢していたため息が盛大に漏れる。

 「次は……アイスクリーム屋さん」

 そして、その次はアパートの大家と、不動産会社も回らなければならない。


 ここの店長はまだ良い人だったが、この次はもっと面倒臭い事になるに違いない。

 そう思うとため息が絶えないが、この件では咲月にも大きく非がある。自業自得という部分の大きい今回の件は、自分で始末をつけるべき事だ。

 それを放り出して、異世界へ逃げるのは嫌だった。


 だから、咲月は冷たい雨が降りしきる街中を、次の目的地へ向け歩き出した。

 これも全部、朔海と共に新たな一歩を踏み出すためには必要なことだと、自分に言い聞かせ、落ち込みがちな心をなんとか立て直す。


 あと、もう少し。あともう少しで彼が迎えに来てくれる。

 そうしたら、咲月は今居るこの世界を離れ、異世界に行く。あちらへ行ったきり、二度と人界へ戻れないという事はないはずだが、それでもしばらくは戻ってこられなくなるだろう。

 そして、次に人界を訪れる際には、咲月はもう今の咲月ではなくなっているはずだ。

 ――人間である事をやめ、吸血鬼となっているだろう。


 特に親しい友人がいる訳でもなく、この世界に対して未練はない。

 あのお社での日々はとても楽しかったが、彼らならば、咲月が人間ではなくなったとしても、真実魔物に堕ちてしまわない限りは、これまでと変わりなく接してくれるだろうと信じられる。


 咲月は、空を見上げた。

 もうすぐそこまで近づく新しい未来に手を伸ばすように、厚い雲の向こうの太陽に手をかざし、目を細めた。


 ――あと、もう少し。

 その時は、もうすぐそこまで迫っていた。

 


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