最終日
――ドクン、と。心臓が、反乱の狼煙を上げた。
心臓内部にわだかまった毒素の――魔力の固まり。
若い血を圧倒し、呑み込んできた莫大な力を内包した濁流が心臓へとなだれ込み――そして。
わだかまった魔力の固まりを巻き込み、渦を巻く。
元は同質の力ながら、濃度も力も薄まったそれは、源流と合わさり、わだかまりの濃度はさらに上がる。
魔力の塊が、次第に心臓内部を満たし、心臓を占拠していく。ここを、自らの居城とするべく、わずかに残った若い血も根こそぎ呑み込んでいく。
――しかし、若い血とて黙って飲み込まれるばかりではない。
単体では濁流に押し流されるばかりの流木も、集まれば流れを遮り押しとどめることもできる。
決戦の火蓋が、切って落とされる。
古の海から汲み出された莫大な力を有する血と、生気と活気に満ちた若い血とが、真っ向からせめぎ合う。
片方は敵方を呑み込もうとして、もう片方は敵方を排除するべく、ぶつかり合う。
一歩引いて見れば、雀蜂の襲来を受けた蜜蜂の巣の惨状に似て。
一匹二匹であれば取り付き刺し違え覚悟で倒すことも不可能ではない。しかし大群に襲われれば蜜蜂に抵抗の余地はなくなる。
あまりに一方的な戦いになる――と、そう思われたが……。
襲い来る強大な魔力の中に、若い血と呼応する力が目覚め、共鳴する。
古の海に融けた光が、同胞を手招き、ひとつに溶け合う。
古の血と、若い血とがせめぎ合いながら渦を巻き、そしてやがてひとつの流れとなり、融合していく。
新たな力が、心臓を満たし――
――ドクン、と。心臓が、出陣の太鼓を打ち鳴らした。
「――っ、」
思わず、涙が滲むほどの激痛が、心臓を襲う。
素手で力いっぱい心臓を鷲掴みにされたような、息の詰まる痛み。
心臓の鼓動は乱れ、滅茶苦茶な乱れ打ちを披露してくれる。
それに呼応するように呼吸は乱れ、思考も痛みの中で千々に乱れる。胸を押さえ、痛みのあまりベッドの中で身体を丸めて縮こまりながら、右に左に頻りに寝返りを打つ。
再び熱が上がり、火照った体から吹き出す汗でシーツも着衣も重く湿る。
だが、痛みと熱とでどんどん体力を消耗しているはずが、疲労感は一定以上を超えて溜まる気配が一向にない。
時を経るごとに体力の総量が増し、全体から見たパーセンテージ上の数字が動かない。
しかし、喉だけは異様に渇いた。
熱のせいで大量に汗をかいているのだから、というだけでは足りない気のする渇き。
度々目を覚ましては、水分を求めても、またすぐに喉が渇く。
そして、何度目だろう。喉の渇きを覚えて目を覚まし、咲月は朔海の姿を探した。
痛みをこらえつつベッドから身を起こす。
時計を確認すると、いつの間にか日付が変わっている。
そして、部屋の様子もまた変わっていた。
――先程までは明るかった部屋が、今は暗い。だというのに、明るい時とほぼ同等にものが見える。
光がないため色の判別こそつかないが、それを除けばごく詳細に部屋の様子が目に映る。
白黒の濃淡のみで構成される、モノクロの世界。
時計は「Ⅱ」を指している。――草木も眠る丑三つ時、これが吸血鬼が見る夜の景色なのだろうか?
ああ、それならば。確かにこれだけはっきり物が見えるのならば照明器具など必要ないだろう。
この時間に、何か色を判別する必要のあることをするなら、手燭があればそれで十分事足りる。
「――咲月」
朔海が、カップを差し出してきた。受け取ると、ふわりと良い匂いがして……。
何だろう、と見下ろせば、どろりと赤い液体で満たされている。
鉄錆に似た血の匂いに対する不快が消え、それどころか焼きたてパンの香ばしい香りを嗅いだような気分になる。
そして、同時により強い渇きを覚え、咲月は急いでカップを傾け、一口、それを胃へと流し込んだ。
初めて口にしたときは嘔吐きそうなくらい不快に感じた味を、美味しいとすら感じる。
何より――
(渇きが、癒えた……?)
水分をいくら摂取しても足りないと感じていた喉の渇きが一気に治まった。
(つまりあれは……、あれが、血の渇き……?)
もう一口、口に含み、そして飲み込めば、言い様のない満足感を感じる。
他の飲み物を飲んでも感じない、それどころかこれまで感じたことのない、満ち足りた気分。
ああ、間違いなく、着実に、自分の体は吸血鬼へと変わりつつあるのだ。
――儀式も、今日が最後。明日には完全な吸血鬼になれる。
咲月は、飲み込むたびに心臓の痛みが全身へと波状に広がっていくのを感じながら、その期待を縁にカップ一杯の血を何とか飲み干す。
――ドクン、と。心臓が、出陣の太鼓を打ち鳴らし。
心臓に満ちた血が、全身へと送り出されていく。
血は全身を巡り、身体に力を満たし、そして再び心臓へと戻る。
全身の細胞一つ一つに潜んでいたそれが、力を得る。
力を得たそれは、自らが侵食した細胞を自らの内に取り込み、くるりと外と中をひっくり返す。細胞一つ一つが魔力の壁に覆われた格好だ。
全身の細胞の全てが魔力に覆われ、新たな力を得る。
そして、心臓を構成する細胞も、また。
――ドクン、と。心臓が、鬨の声を上げた。
魔力で満ちた身体に、魔力を多分に含んだ血が巡る。
その強すぎる毒を受け取り、細胞は悲鳴を上げるが、既に馴染み始めていた魔力の殻がその影響を和らげ、緩やかに溶かし、馴染ませていく。
魔力に馴染んだ身体は、少しずつ、変化を始める。
身体の全てが、人のそれから吸血鬼のものへと変わっていく。
――痛い。細胞一つ一つが破裂するような痛み。全てがしっちゃかめっちゃかに暴れ回り、骨はきしみ、筋肉は痙攣し、鼓動は相変わらず乱れたまま。
呼吸の乱れは酷くなり、熱も上がる。
熱に浮かされた頭は割れるように痛い。
全身、どこもかしこも痛すぎて、もう、悲鳴を上げる気にもなれない。
ひたすら、声にならない悲鳴を喉の奥に押し込めて、ベッドの中で蹲る。
痛い、痛い、痛い、痛い――!!
時折、汗を拭い、額の濡れタオルを変えてくれる朔海の手を感じながらも、それに応える余裕すらないほどの激痛。
あと、一日。あと一日なのだと自らに言い聞かせるが、そのあと一日が酷く長く感じる。
もう、三日くらい経ったのではないかと時計を見ても、時計の針はほんの2、3時間しか進んでいない。
思わず泣きたくなるが、痛みと熱のせいで既に目は涙で潤み、時折、瞬きすると頬を伝って涙が落ちる。
痛くて、辛くて、苦しくて。でも、この先に待つ『王族認証の儀』とやらは、これよりもっと辛いかもしれないのだ。このくらい耐えられなくてどうするんだと自分を叱咤し、じっと耐え続ける。
どんなにのろくとも、時間は着実に過ぎる。
――スっと、波が引くように、痛みが引いていく。
痛みが引いたあとは、それまでの痛みが嘘のように楽になる。
丸めていた身体を伸ばし、詰めていた息を大きく吐き出し――
咲月は、ぱちりと目を開けた。




