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Need of Your Heart's Blood 2  作者: 彩世 幻夜
第三章 ceremony of change
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三日目

 「咲月、咲月――」

 名前を呼ばれ、咲月は乾いてゴロゴロする目を開け、声のする方へ視線を向けた。

 

 もう、寒いという感覚すら痺れて麻痺した手足はまともに動かすこともできない。

 「咲月、辛いだろうけど。まずはこれを飲んで」

 朔海は片腕で半身を抱き起こし、そのまま肩を支えながら、咲月の口にカップを宛てがい、ゆっくり傾けた。

 野菜が溶けるまで良く煮込まれた暖かいスープが喉を滑り落ち、胃へ収まっていく。

 乾いた喉を潤し、僅かなりとも熱をもたらしてくれるのはありがたいが、それ以上に肩に触れる朔海の腕から伝わる彼の体温が暖かくて気持ちいい。


 「咲月――」

 朔海が、もう一度咲月の名を口にした。

 酷く情けない顔をしている。申し訳ない、とでも言いたそうな顔。

 

 咲月は思わず苦笑いを浮かべてしまった。

 昨日は突然あんなにも意地悪く迫ってきて咲月を混乱させたくせに、次の日にはもうこんな顔をする。

 まったくもってずるいと思う。

 この状態が朔海に血を吸われたせいだと分かっていても、こんな顔をされれば「だからどうした」と平気な顔をしたくなる。

 さんざん迫られた後でこうして肩を抱かれていても、危機感など感じられるわけがない。


 「大丈夫」、と声に出して言おうとして、しかし乾いて張り付いた喉が痛くて、上手く声が出ず、掠れたうめき声が漏れただけになり、咲月は仕方なく頷く仕草をしてみせてから、目を閉じた。


 「咲月、ごめん――」


 (……だから、謝る必要なんかないのに)

 しかし、彼の性格を思えば、今の咲月のこの状態が確かに朔海が血を吸った事によるものである以上、罪悪感を抱かずにはいられないのだろう。

 ――たとえこれが、咲月も同意の上でのことだとしても。


 できることならもう少し平気そうな演技でもして安心させたいけれど、今の咲月にその余裕はない。想像していたよりもずっと、症状は重く、辛くて、弱音や恨み節を吐かないように自制するので精一杯だった。


 ぷつりと、朔海の牙が肌を破り、血を啜り始める。

 じっくりと慎重に、一口ずつ丁寧に血を吸い出し、飲み込む。


 すぐ触れられるところにある朔海の体温が、どうしようもなく暖かくて心地よくて、咲月はふっと意識を手放した。


 (――無理もない)


 本当に、冗談抜きで致死量まで後一歩というところまで血を失くしているのだ。

 今残っているのは本当に、生命活動の維持に最低限必要なだけの量だけ。

 あと牛乳瓶一本分の血液を失ったなら、命の灯火が消える――その寸前。


 

 ――そして。ドクン、と。心臓が萎縮した。



 全身をくまなくめぐり、じわじわと黒く染め上げたそれが、ついに心臓への侵食を開始する。

 心臓を構成する細胞一つ一つに入り込み、居座る。

 その全てを黒く染め上げたそれは、次第に心臓内部に集まり始める。

 どんどんどんどん集まって、そこだけ異常に濃度の高いわだかまりが生まれる。

 

 ドクン、と。心臓が、悲鳴を上げる。



 血色というものの一切を失った咲月の顔を間近に見ながら、朔海は悩ましげなため息を漏らした。

 (どうしよう……)

 致死量ぎりぎり、というその加減は本当に難しく、慎重に慎重を期し、全神経を集中して、そのタイミングを計っていた。

 そして、牙を傷口から抜き、彼女の脈拍が確かにあること、呼吸や心音に異常がないか耳を澄ませ、問題なしと判断を下し、ホッと一息ついたところで――気がついた。


 冷え切った咲月の腕がいつの間にか朔海の腰をしっかと捕まえていたのだ。

 力など全くと言っていいほど入っていない。逃れようと思えば難なく逃れられるのだが、そうしようと少しでも動くと、咲月の眉間にしわが寄るのだ。

 逆に朔海が咲月をしっかと抱きしめてみれば、辛そうな咲月の表情は僅かながらに和らぐ。


 咲月の体は体温を失い、触れるととても冷たくて。それでも、抱きしめた咲月の体は年頃の少女らしく柔らかい。

 ただでさえ吸血の直後で自制が難しい時に、吸血鬼としては今が旬の年頃である朔海にとってこの状況ははっきり言って拷問にも等しかった。

 

 大きく息を吐き、気持ちを落ち着けようとするも、吐き出す息は全てが悩ましいものとなってしまう。朔海は咲月を横向きに抱きしめたまま目を閉じ、必死に己の煩悩と一進一退の攻防を繰り広げる。


 ――だが、これで前半戦は終了した。明日からは後半戦に移ることになる。


 ここまでは咲月にばかり負担をかけ、朔海はむしろ絶好調と言うべき状態だったが、明日からは朔海にも相応の負担がのしかかってくる。

 朔海は無理やり目を閉じ、眠ろうと試みる。――あまり上手くいきそうにはなかったけれど。


 

 ――ドクン、と。心臓が踊った。


 若い血が、古の海に融けていく。――しかし、喰らわれ飲み込まれて消えてしまうほど、若い血は弱くはなかった。融けて一体となりながら、暗い海に確かな光を灯す。

 それは、夜空に輝く小さな星くず程度の光ではあったが、確かな輝きを放っていた。

 力ある血を取り込んだ古の血は、歓喜に沸きあがる。

 トクトクと、心臓から新たな力が巡り、全身の細胞がその力を受け取り、我が物とし自らの力に変えていく。全身を巡り終えたそれは再び心臓へと戻り、また新たに力を受け取り全身へと送り出され――


 ――ドクン、ドクン、と。心臓は力強い鼓動を規則正しく刻んでいた。

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