完全な吸血鬼になる方法
初めて彼らの正体を知り、それが可能だと聞かされて、そういえばもう半年近く経っていた。
ただ、人間でなくなる、という意味で吸血鬼になる方法なら、咲月も一つだけ知っている。
吸血鬼に血を大量に、致死量に達するほどの量を吸われると、その分大量の毒が体内を巡り、結果として不完全な吸血鬼になるのだという。
けれど、そうではない、完全な吸血鬼となるための方法。
「どうすればなれるのか、私、まだちゃんと聞いてない」
おかわりを注がれたカップを弄りながら、咲月は朔海に尋ねた。
「……そういえば、そうだったね」
朔海は咲月から僅かに視線を逸らしながら、呟いた。
「でも、今日は夜も遅い。……咲月だって疲れているだろう? 詳しい話は明日する事にして、今日はもう休まないか?」
だが、咲月は首を横に振った。
「私は、知りたい。……それは、疲れてないって言ったら嘘になるかもしれない。でも、これ以上曖昧な状態で待つだけなのは、嫌なの。だから、お願い。――教えて」
本音を言えば、やはりそれを聞くのは怖い。でも、ここまで来たからには、もう引き返せない。元々そんなつもりはないけれど、最後の覚悟を決めるためにももう、知らないままでいたくない。
朔海は、少し渋る様子を見せたが、咲月が引きそうにないことを悟ったのだろう、湯気を立てなくなった冷めたココアを一口、口に含み飲み込んで、ため息を吐きだした。
「……分かったよ。けど、聞いて楽しい話じゃないからね」
カップをソーサに戻し、朔海は椅子の上で姿勢を正した。
「吸血鬼の持つ毒が、吸血によってある一定以上体内に入ると不完全な吸血鬼になる。何故だと思う?」
朔海は咲月にまずそう問いを投げかけて、説明を始めた。
「答えは勿論、、悪魔由来の魔力に肉体が耐えられないからだ」
悪魔由来の魔力の毒は強力だ。生粋の吸血鬼ですら人の血を吸わなければやがて抵抗力を失い、毒にやられる。最初から何の抵抗力もない者が、そんなものに耐えられるわけがない。だから、狂う。
「でも、、吸血鬼という種族に強い力を与えているのは、その悪魔由来の魔力だ」
元は、ただ相手の遺伝子を奪い、模倣して生きるだけの種族で、魔力はもちろん、今のような身体能力も持ち合わせてはいなかった。悪魔の力を得たから、魔力やその他の能力も手に入れられた。
「僕たち生粋の吸血鬼がその魔力に曲がりなりにも耐えられるのは、相応の耐性を持ち合わせているからだ」
しかし、耐性に比べて毒の力が勝れば――
「この間の、瑠羽ちゃんのような状態になってしまう」
耐性がないから、狂う。耐性がないから、不完全な吸血鬼が生まれる。
「つまり、逆を言えば、先に耐性を身につけることができれば? 耐性があれば、狂わずに済む。狂うことなく、力を手にすることが出来れば――」
完全な吸血鬼になれる。
「僕の――吸血鬼の力を手に入れる方法は、前に説明したよね? 実際、僕はその方法で、葉月の力を手に入れた」
吸血鬼の魔力は血に宿る。その源である心臓にその核は存在し、心臓の血を啜れば、その力を手にすることができる。
朔海は、自らの胸に手を当てて、咲月に告げる。
「咲月が吸血鬼になるためには、僕の血を――僕の、心臓の血を飲まなくてはいけない」
だが、それだけでは不完全だ。
突然そんな、唾液に含まれるものとは比べ物にならない強力な毒を飲んで、身体が耐え切れるはずがない。不完全な吸血鬼になる暇もないまま死に至るだろう。
「だから、その前に毒に対する耐性を得なければならない」
少しずつ、毒に身体を慣らさなければならない。
「その為に、僕は、咲月の血を吸う必要がある」
朔海は、改まった様子で言った。
けれど、彼にはもう何度も血を吸われているではないか?
そう尋ねた咲月に、朔海は首を横へ振った。
「僕はこれまで咲月の血を吸う時、吸いすぎてしまわないよう、かなり気をつけていた。何より、毒が余計に入ってしまわないよう、細心の注意を払っていたつもりだ」
耐性をつける、というのはつまり、敢えて毒を体内に入れて毒に身体を慣らすという事。
「不完全な吸血鬼になってしまわない、ぎりぎりまで毒を入れる。数日かけて、ゆっくりと」
これまでとは比べ物にならない量の血を、吸わなくてはいけない。
それも、数回に分けて。
「……致死量ぎりぎりまで血を吸うことになる」
朔海は再びカップを持ち上げ、すっかり冷えたココアを飲み干した。
「――総量から言えば致死量を超える量の咲月の血を、三日間かけて僕が吸った後で、今度は咲月が僕の血を、同じく三日かけて、飲む。これが、人間を、完全な吸血鬼に変えるための儀式の内容だ」
カップをソーサーに戻す、陶器の触れ合う音が、カシャリと静かな室内にやけに響く。
「言葉で言うのは簡単だけど、致死量ぎりぎりまで血を失えば、当然それだけ身体に負担がかかる。重度の貧血状態だ。……相当辛いはずだよ。そして、そこを乗り越えたとしても、残りの三日間はもっと辛い。何しろ毒を体に入れるんだ。かなりの苦痛を伴うだろう」
朔海は、大きく息を吐きだし、椅子の背もたれに体重を預けて天井を仰いだ。
「……ほら、寝る前に聞くような話じゃなかっただろう?」
説明を聞くうち、すっかり顔を俯けてしまった咲月に、朔海はちょっぴり恨みがましい声を上げた。
「分かってる。そんな簡単に覚悟を決められるような生易しい内容じゃない。まだ、時間はあるんだ。だから、今日はゆっくり休んで、それから、咲月の覚悟が決まるまでじっくり待つつもりでいたんだ」
何がいけなかったのかと一人反省会を始める朔海を、咲月はじろりと睨んだ。
「何? まさか朔海、私がこの話を聞いたら尻尾を巻いて逃げ出すとでも思ってたの?」
咲月が普段より数段低い声を出す。
「え?」
「それとも私が、何の覚悟もなしに異世界までついてくる考えなしだとでも思ってた?」
――怖くない、と言ったら嘘になるだろう。でも……
「いいよ、今日でも明日でも。私、厄介事は先にさっさと済ませておく主義なの」
面倒事は、後に回すと余計に面倒な事になる、というのが咲月の経験に基づく持論だ。
だから。
「どうする、朔海?」
咲月は彼に問いを投げかけた。




