吸血鬼のおもてなし
この空間だけで、葉月宅がまるまる入ってしまいそうなくらい広い玄関ホールは二階まで吹き抜けになっていて、二階へ上がる階段から、二階の回廊までがひと目で見渡せる。二階への階段のすぐ隣には、さらに下の階へ続く階段があるところを見ると、どうやら地下室まであるらしい。
「取り敢えず――まずはこちらへどうぞ」
玄関前の土間からホールの床へ上がる上がり框には、丁寧に室内履きが並べられている。
朔海に促され、玄関から真っ直ぐ進んだ先にある、大きな両開きの扉の前に立つ。
木材の種類など全く分からないが、綺麗な茶色の扉はツヤツヤに磨かれていて品が漂っている。ドアノブも、綺麗な上質な金色だ。これが本物の金なのか見分けられるような審美眼など持ち合わせていないが、少なくとも安っぽい金メッキではない。
ホールの床のフローリングだって、ツヤツヤのピカピカ。
そして扉を開けた先もフローリングの床は続き、ホールとは色味の違う板が整然と敷き詰められた床は、やはり美しい艶を有している。
案内された部屋は、どうやら食堂らしく、部屋のほぼ真ん中に食卓が置かれ、椅子が向かい合わせに二脚用意されている。
卓の下には落ち着いた濃い紅色の絨毯が敷かれ、左側の壁にはずらりと食器の並んだ棚と、冷蔵庫が置かれていた。
「どうぞ、座って。……さすがに疲れただろう?」
朔海は当たり前に、奥の椅子を引いて咲月に勧めた。
「ちょっと待ってて。お茶を淹れてくるから」
朔海は、彼と初めて会った日のことを思い起こさせる、少しそわそわと落ち着かない雰囲気を纏いながら、そそくさと隣の部屋へ続く扉を開けた。
食器棚が並ぶ向かって左側の壁とは逆の、右側の扉の向こうはキッチンになっているらしい。
扉脇の壁にはカウンターテーブルが設置され、その前に背もたれのない丸椅子がやはり二脚用意されている。そのテーブルの幅の分だけ隣の部屋との壁がなく、直接キッチンとやり取りできる仕様になっているのだ。
隣の部屋からはすぐに、ポコポコと湯が沸騰する音がし始め、同時に甘い香りが漂い始める。
そういえば、昼食を食べたのはもう半日以上前の事だし、夕食は本当に軽く栄養補助食品の菓子を申し訳程度につまんだだけだ。
焼きたての洋菓子特有の魅惑的な香りは、否応なく胃を刺激する。
程なく、湯気を立てる皿を乗せた盆を抱えた朔海が戻ってきた。
食卓に並べられた皿の上に並ぶのは――
きつね色にこんがり焼けたワッフル。付け合せにドライフルーツ。小さな小瓶に入れられたジャムは、苺とブルーベリー。そして、ハチミツ。
ティーカップに注がれているのは、時間を考慮したのだろう、暖かいミルクココアからほくほく湯気が立ち上る。
夜食であるため、量は控えめだが、まるで本格的な喫茶店で出されるような可愛い盛り付けがなされている。
どれも見るからに美味しそうだ。
下手に気取らず、手を伸ばして食べられるようなサイズの焼き菓子を咲月に勧めながら、朔海は咲月の向かいの席に腰を下ろした。
お菓子に目を輝かせつつも、何となく手を伸ばせずにいるらしい彼女を見て、朔海は自然を装いつつ菓子に手を伸ばし、口へ放り込んだ。
「それにしても。新しい番人の教育係が、まさかあのロキ神とは。さすがに驚いた」
ドライフルーツをもぐもぐと咀嚼し、飲み込んでから、溜息とともに朔海は漏らした。
「うん。流石に私もただ人外ってだけじゃ驚かなくなってきたけど、あれだけ有名な神話に出てくる神様だもんね」
「ああ、まさかあんな所で会うとは思わなかったから、物凄く緊張した。正直、かなり疲れたよ」
ワッフルを手に取り、むしゃりとかぶりつく。
目の前で気軽に菓子をパクつく朔海を見ながら、気づけば咲月の手も自然とそれに伸びていた。
決して多くはない、ほのかに香る程度のバターの香り。味は、一級品だ。
一口食べれば後は自然と次から次へとついつい手が伸びる。
そうして、皿はあっという間に空になった。
一息ついて、改めて部屋を見回す。
背の低い食器棚が並ぶその向こうは、そのままリビングスペースになっているらしい。
そして、部屋のあちらこちらに燭台が置かれ、蝋燭に火が灯されているのだが、どうにも趣味のいい調和のとれたインテリアの数々の中で、それだけが慌てて取って付けた感が漂う。
そして、葉月の家以上に、窓が少ない。これだけ広い空間に、小さな窓が、食堂に一つ、居間に一つ。窓の向こうは勿論真っ暗で、黒一色に塗り込められている。
「……やっぱりバレるか」
咲月の視線に気づいた朔海が、渋い顔をした。
「これまで照明器具なんてあの玄関にあった装飾用のシャンデリアを除いて、一切そんな物はこの屋敷に存在してなくて」
だから、このひと月の間に慌てて並べたわけだが、他にもやらなければならないことは山のようにあり、あまり細かく気を配る余裕がなかったせいで、やはり明らかに浮いているのだ。
「一切!?」
――ここは異世界だ。電気製品がありません、と言われるならまだ分かる。だが、照明器具が一つもないというのは……?
「儀式を終えたらきっと、納得できると思うよ」
朔海は苦笑を浮かべる。
「そう、それなんだけど……」
そして、咲月はもう一つ聞きそびれていた、何よりも大事なことを思い出す。
「ねえ、その儀式って……。私、どうすればいいの?」




