雪椿
真っ白い雪の中に映える真っ赤な蛇の目傘。
時折思い出したようにくるりと回して、雪を落とす。パサリと軽い音を立てて雪が落ちる音を楽しむ。なぜか雪が降っているのに外に出たくなった。
さくさくと白い雪の上を下駄で歩く。一番お気に入りの黒い着物をまとって庭にある椿の木のもとに向かう。雪の中でも美しく咲き誇る椿の花には白い雪が積もっていて、それをちょいっと指先でつついて愛でる。
咲いているのはこの一輪だけ、ほかはまだ咲いていない。固く閉ざされた蕾のまま。
どうしてこの一輪だけと、軽く首をかしげる。
ほかの蕾はまだじっと固まってほころぶ様子すら見せない。
ほうっと白い息を吐きながら不思議そうな面持ちで一輪だけ咲き誇る椿の花を見ていれば。
ぽとり
さわってもおらず、強い風も吹いていない。それなのにもかかわらず咲き誇っていた一輪は枝から離れ、降り積もって柔らかい雪の上に落ちた。
椿の花が何かを訴えているような気がして、そっとかがみこむ。
ふいに戦地に出征しているあの人の顔が脳裏に浮かぶ。
見つめる先には一輪だけ咲いていた椿の花、あの人の好きだった椿の花。雪の中でも枝について咲いていた時と変わらずに咲き誇り輝いている。
その輝きに言い知れない不安を覚え胸元を握りしめる。
まさかと、思わず家に小走りに駆け帰る。いてもたってもいられずにわから玄関に向かった。いやな予感を抱えながら郵便受けに駆け寄る。そっと覗きこんだ郵便受けには、戦地からの電報。震える手で封を破る。
そこに入っていたのはあの人の死を知らせる一枚の紙。はらりと手の中から紙がこぼれ落ちる。雪の上に落ちた紙は濡れて萎れていく。
ぱさりと力の抜けた手から蛇の目傘が落ちる。そろりと見上げれば涙で滲む曇り空。
思わずつぶやいた。舞い降りる雪よ。私の命も凍らせておくれ。
でなければ、椿の花のようにぽとりと私の命も終わらせておくれ。
雪の中でなお輝いて、空の上にいるだろうあの人に私の存在を教えるために。
涙がはらはらとこぼれていくのと同時に私の足からは力が抜け、雪の上にうずくまる。涙がとめどなくこぼれていく。
私は目を閉じる。もしかしたらこれが悪い夢なのかもしれないから。夢の中で眠れば、現実の私が目を醒ますから。
私が目を醒ますと、白装束の巫女らしき二人の女性が微笑みながら、私を手招きしていた。「さあ、あの人の所に参りましょう」
やわらかい鈴の音のような声だった。
彼女たちは雪のように白い肌と、自分の纏う漆黒の着物の様な濡れ羽の黒髪、そして雪の中に舞い落ちてなお輝く椿の花色の唇をしていた。まるで私を取り巻く者たちが彼のもとに連れて行ってくれるかのように。
動けない私にそっと彼女たちが近寄ってくる。音も立てずにそれでいて柔らかな動きで。一人涙を流す私を包み込むように手を伸ばす。
「参りましょう」
そっと彼女たちに左右から抱きしめられた私は空に浮かんだ。すっと雪のように白い指がのばされたのはほんのわずかに青をのぞかせる、空。
はらはらと白い花弁を降らせる、灰色の空。
あの空は戦地へと続いている。あの人がいる所にも。
「あの人が待っています」
「だから、もう」
泣かないでくれ。
あの人の優しい声が聞こえた。私はようやく微笑んだ。
彼女たちに支えられながら、私は手を伸ばす。あの人も手を伸ばす。
指がふれあう。掌の熱が伝わりあう。間近で微笑みを交し合う。
「ようやく会えた」
私はようやく笑うことができた。あの人が戦地へ出征した時から浮かべられなかった笑みを。
あの人の温もりに包まれて私の意識は徐々に解けていく。白の中に溶けていく。意識が完全に溶ける前に見えたのは、二人で愛したあの椿の花だった。
翌日。雪の上で眠る女性のそばには真っ赤な蛇の目傘と萎れた紙が一枚。
そしてまるで寄り添うかのように雪の上で咲き誇る一輪の椿の花だった。