嵐の前の平穏
実は、というか、やはり、というか、生徒会役員達は仲が良い。主要メンバーは殆ど特進クラスの人間。同じ学年の他クラスとの横の関係よりも、同じ特進クラスという縦の関係がとても強い。だから、週末となると大抵主だったメンバーで過ごすことが多くなる。積極的ではない漣でさえよほどのことが無い限り、独りで家に居るよりも、気心知れた仲間と居るほうを選ぶ。
夏休みに入った最初の日曜日。封切されたばかりの映画を思う存分楽しんだ後、昼食にしようと全員でとろとろと暑い中を進んでいく。影が融けてしまいそうなぐらい暑い。アスファルトの焼けた匂いが鼻を刺す。
「暑い・・・・・・」
漣は額に浮いた汗を手の甲でぬぐいながら呟いた。それに応じるように英二の呻き声が隣から返る。
ふわふわとしたいかにも涼しげな格好をした早苗も、その隣の慶一郎も、更にその前を行く亜美や聖、真菜もすっかり暑さにやられてしまっていた。それでも、皆足は止めない。止めたほうが辛いことを知っているからだ。
それにもかかわらず、ちょうど川沿いの公園に差し掛かった頃、早苗が急に立ち止まった。慶一郎がその顔を覗きこむ。
「どうした、早苗」
「一回、休憩にしない?あそこ、良さげな木陰があるんだけど」
早苗が指し示した先には言葉通り、青々と茂った木々が地面に暗い影を落としていた。
空腹ではある。しかし、この暑さに比べれば、なんと小さなことだろう。
全員は一斉に向きを変えた。
早苗の言うとおり、ちょうど良い木陰だった。川から上がった涼しい風が更に冷えて、火照った肌から熱を奪っていく。あまりの気持ちよさに誰も動こうとは言い出さない。
静寂に誘われ、漣は目を閉じた。風や水の細やかな音が心に響く。
しかし、それを引き裂くような声が現れた。
「すみません」
その声に早苗が顔を上げた。他も緩慢な動きで声の持ち主を見定めようとする。
声は女性のものだったが、二人連れだ。男性のほうはカメラを持っている。漣は何やら嫌な予感にすっと一歩身を引いた。逆に英二はその身を乗り出し、厳しい目線を向ける。
女性はローカルで有名な雑誌名を挙げ、社名の入った名刺を手渡されて慶一郎は眉を顰めた。
「それで、僕達に何か」
「『タウンスナップ』というコーナーのモデルになって欲しいの」
街中にいる人々の写真をとって、お洒落な人を紹介するページだということは皆が知っている。
「・・・・・・このくそ暑いのに、お洒落も何もないじゃないですか。むしろエコ特集とかしたほうが」
慶一郎の言葉に他の面々も頷く。しかし、女性はそんなことでは黙らなかった。
「そんなの、売れると思ってんの?」
売れるわけないだろう。生徒会の面々はがっくりとうな垂れた。嫌がっているのがわからないのか、と叫びたかった。しかし、体力は根こそぎ太陽に奪われている。そんなことをする気力も無い。
「みんな綺麗だから、全員参加でよろしくね。ちゃんとサービスするからさ」
「嫌です。そんなことしたら、高校から睨まれるんで」
「あら、どうして?そんなこと、一度も無かったわ」
頼んできたはずなのに上から目線とはどういう了見だ。そう英二が呟くのを拾いあげ、漣は思わず苦笑してしまった。確かに、その通りだ。慶一郎は苛立ちを隠そうともせず、女性の前に仁王立ちし、じろりと見下ろした。
「俺ら、御代高の特進で生徒会役員なんです。タウン誌に載って、息抜きをしてるのがばれると面倒なんです。だから、声をかける相手を間違えたと思って、諦めてください」
女性は一瞬声を失った。御代高の特進といえば、先生もナーバスだし、生徒会ともなれば更に条件は厳しくなる。
蝉の声だけが響く空気にすっと一条の線が走る。
「じゃあ、高校が許せば良いんですね」
カメラを持った男性が折り目正しく手を綺麗に伸ばして発言した。ある意味、漣達よりも学生らしい行動に全員が言葉を失う。
「高校が許すとは・・・・・・」
慶一郎の言葉を男性は片手で制し、おもむろに携帯電話を取り出して耳に当てた。
「もしもし、御代高校ですか?あの、清水先生、いらっしゃいますか?え、ああ、私は卒業生の田上と申します」
げ、と早苗が呻いた。清水先生は漣達の担任であり、生徒会の担当でもある。生徒会の担当では、『鬼の三島』との異名を持つ三島先生の方が有名だが、生徒会役員としては『仏の清水』には逆らいたくは無かった。心の拠り所を死守しなければならないからだ。
「清水先生?田上です。お久しぶりです。元気ですよ。先生こそお元気ですか?ああ、そうですか。それは良かった」
田上は朗らかな声で先生に挨拶した。卒業生というのは本当らしい。まずい流れだと漣はため息を漏らす。
「仕事?はい、今も取材中です。電話したのはそれにちょっと関係してまして。先生、『タウンスナップ』ってご存知ですか?あ、ありがとうございます。それでですね、今、ちょうど御代の生徒会の子達と会ったんですよ」
田上はちらりとこちらへ視線を流し、女性は勝ち誇ったかのような表情をした。
「そうなんですよ。みんな、可愛いし、男前だし・・・・・・いえ、そんな趣味はありません。じゃなくて、取材、しても良いですか?写真とか、学校名とか載りますけど・・・・・・え、深山君?」
田上は一度携帯電話を耳から離すと、こちらを伺うような視線を向けた。
「あの、深山君、居ますか?」
慶一郎が深々とため息をついた。不本意極まりない表情ですっと手を伸ばす。田上は安心したかのような表情を見せるとその手の上に携帯電話を乗せた。
「もしもし、深山です。はい、休みですから、親睦を深めようかと思いまして・・・・・・はい・・・・・・はい、わかりました」
慶一郎は携帯電話を一度睨んでから田上の手の上に戻した。
「田上です。え、本当ですか。はい・・・・・・はい、もちろんです。全力で美しく撮ります。ありがとうございました。また、お伺いしますね。では、失礼します」
携帯電話を持ったまま深々と頭を下げた田上の表情は非常に晴れ晴れとし、それを見た生徒会役員は全員で空を見上げた。憎らしいほど、青い。
「先生は良いっておっしゃいました。どうも、今の校長先生、そういうのが好きみたいですね」
覚えておこう、という田上の前で漣はこめかみを押さえた。それを忘れていた。今の校長は自ら率先して文化祭の出し物に参加し、運動会では花形になってしまうようなほどアクティブ精神の持ち主だった。今回のことだって、むしろ自分も出たいと言いかねない。
「どうやら声をかける相手は間違ってなかったみたいね」
どうやら昼食はまだ先になりそうだと全員がため息をついた。
全て撮り終わると、空は少し赤みを帯びてきていた。
取材という名目で行ったレストランで昼食(向こうの払い)を食べ、3時のスイーツ(これも向こうの払い)も頂き、とりあえずお腹は一杯である。
ただずっと注目されることに、疲れはしたが。
「最初は面倒だと思ったけど、そうでもなかったね」
帰り道の途中、風の中に聖の声が混ざる。
「ま、あれだけ奢らせたら、溜飲も下がるってもんよね」
提示された容赦の無い値段に青褪めながら財布をひっくり返す女性の姿は滑稽で、思い出しても笑えると早苗が声を上げて笑い、亜美も口元を手で隠しながら笑っている。
「発売になったら、一緒に買いに行こう」
英二の言葉に真菜は頷き、頬が夕焼けとそれとは別の何かによって赤く染まる。
最後尾を行く漣と慶一郎はそんな言葉を拾い集め、心を満たしながら、夕焼けに染まる道をゆっくりと進んでいった。
しかし、これが嵐の前触れだとは、誰も気付いていなかった。
お読みいただきありがとうございました。もうしばらくお付き合いください。
*主な登場人物(まだ増えます)
日向漣:御代高校2年生。生徒会・書記
深山慶一郎:御代高校2年生。現生徒会長
鷹匠早苗:御代高校2年生。生徒会・会計
常盤英次:御代高校2年生。生徒会・総務
水田真菜:御代高校1年生。生徒会・書記
常盤聡一:御代高校3年生。前生徒会長
宮原亜美:御代高校2年生。生徒会・会計
冴木聖:御代高校2年生。




