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王女の生き方を救ったのは、敵国の捕虜でした

作者: *ほたる*
掲載日:2026/04/03

 シャーメリアは、この国の王女だった。

 橙がかった茶髪を一つにまとめ、

 民のため、国のために尽くすことを、当たり前のように続けてきた。


 城下町に出ては民の声を聞き、

 不満や嘆願を受け止め、それを王へと伝える。


 王宮では、

 表に出せない摩擦を、静かに飲み込んできた。


 ある日の社交の場。


 貴族同士の利権を巡る対立が激化し、

 場の空気は一触即発だった。


 言い合いになった、そのときだった。


「待ってください」


 声を上げたのは、シャーメリアだった。


「感情的になっても、場は治まりません。

 どうか――冷静に、お話を」


 互いに睨み合っていた視線が、わずかに逸れる。

 シャーメリアは一歩踏み出し、

 一人ずつ、丁寧に言葉を受け取っていった。


 強い声も、抑えきれない苛立ちも、

 否定せずに、ただ受け止める。


 やがて、空気は少しずつ緩み、

 ぶつかり合っていた言葉は、形を変えていった。


 気がつけば、場は収まっていた。


 胸の奥に、静かな手応えが残る。

 ――これで、よかったのだと。


 だが――

 後日、王宮で交わされた言葉は。


「さすが陛下のご采配だ」

「王妃様の取りまとめがあってこそですな」


 そこに、シャーメリアの名はなかった。

 何か問題が起きれば王女の責任とされ、

 うまく収まれば、王や王妃の手腕として語られる。


 そんな日々の中、

 彼女は少しずつ、自分の生き方に疑問を抱くようになっていた。


 この前、久しぶりに国王に呼び出された。

 重臣もいない簡素な部屋で、彼は淡々と言った。


「お前の役目は、他国に嫁ぎ、国との関係を取り持つことだ。

 最近、色々と動いているようだが――余計なことはするな。

 政など、男に任せておけばよい」


 それは叱責ですらなかった。

 ただの、当然の事実を告げる口調だった。


 その言葉で、

 シャーメリアが王女として積み重ねてきたものは、

 音もなく崩れ落ちた。


 ――ああ、そうなのだ。

 私がしてきたことは、

 最初から“仕事”ですらなかったのだ。


 失意のまま歩いていると、

 気づけば、王宮庭園の奥――

 静かな湖の前に立っていた。


 水面は穏やかで、

 何も映さず、何も答えなかった。


 すでに限界が来ていたシャーメリアは、ぽつりと呟いた。


「私がやってきたことは……

 本当に、意味があることだったのかしら」


 言葉にしてから、はっとする。

 思っていただけのはずの問いが、声になっていた。


 そのとき、気配に気づいた。


 少し離れたところに、

 一人の青年が腰を下ろしていた。


 白銀の髪が風に揺れ、澄んだ水色の瞳が、静かに彼女を見つめている。


 彼はすぐには何も言わず、

 ほんの一拍だけ間を置いてから、穏やかに口を開いた。


「詳しいことは、わからない。けど――」


 青年は、湖に視線を落とす。


「後悔なんて、しなくていいんじゃないかな。

 今まで君がやってきたこと、

 その経験は、君の中で確実に生きている」


「それは、誇りに思っていい。

 それこそが……尊い宝物だと思うよ」


 シャーメリアの目が見開かれた。

 蜂蜜色の瞳が、涙に揺れる。

 抑えようとしても、止められなかった。


 ……そうか。

 私は。

 私の生き方は――

 間違っていなかったのだ。


 青年はそれ以上、何も言わなかった。

 ただ前を向き、湖面を見つめている。


 風が吹き、近くの草花が静かに揺れた。

 水面に小さな波紋が広がり、やがて消えていく。


 シャーメリアは、しばらくその光景を見つめていた。


 翌日、シャーメリアは気力を取り戻し、再び動き始めていた。


 国王に何を言われても、 王妃にどれほど暗に諭されようとも、 もう心は折れなかった。

 自分の生き方に、確かな誇りを持っていたから。


 昼過ぎ。

 彼女はいつものように、王宮の湖へ向かった。


 ――そこに、彼がいた。


 隣国の第四王子、

 セレン・アル=リュミエール。


 冷戦状態にある隣国から、捕虜として連れてこられた王子だった。


 とはいえ、監視の目が届く範囲で、

 比較的自由に過ごすことが許されていた。


 彼は、いつもこの時間に湖のそばにいた。


 セレンは、湖のほとりに腰を下ろしている。

 シャーメリアに気づくと、水色の瞳をわずかに細め、軽く会釈をした。


 シャーメリアもそれに応え、

 少し距離を保ったまま、その隣に立つ。


 二人で黙って湖を見つめる。

 光を受けた水面が、きらきらと揺れていた。


 この静かな時間は、

 いつしかシャーメリアにとって、かけがえのないものとなっていた。


 ある日、いつものように湖へ向かうと、

 そこにセレンの姿はなかった。


 胸騒ぎを覚え、事情を尋ねると、

 隣国との関係が急速に悪化し、

 彼は地下牢へ移されたのだという。


 ――いつ処刑されても、おかしくない。


 そう理解した瞬間、

 シャーメリアは地下牢へ走り出していた。



 セレンは、地下牢の中で静かに腰を下ろしていた。

 仄暗い石の部屋はひんやりとしていて、

 小さな窓から差し込む光だけが、床に細い線を描いている。

 彼はその光を、ぼんやりと見つめていた。


 ――彼の国の王太子が、

 違法な取引に手を染めていた。


 国の外から密かに持ち込まれた、

 魔草を原料とする精神安定薬。

 常用すれば、心身を蝕むと知られるものだった。


 その事実を、

 セレンは偶然、知ってしまった。


 王が長く不在にしていた間、

 国政を預かっていたのは王太子だった。


 国の最終責任者であるはずの彼が、

 違法な薬に手を出している。

 その現実に、セレンは強い衝撃を受けた。


 ある日、二人きりになった折、

 彼は意を決して口を開いた。


「兄上。その薬は違法です。

 兄上ほどの方が、なぜそのようなものを使われるのですか」


 王太子は穏やかに彼を諭した。

 だが、薬をやめる気配はなかった。

 セレンはそれ以上踏み込むことができなかった。


 だからこそ、

 帰国した王に事実を告げた。


「兄上は、民のため、国のために尽くしておられます。

 ですが、あの薬だけは……

 父上のお力で、どうかお諫めください」


 それが、

 最善だと信じていた。


 ――その後で知った。


 王太子が、

 心身ともに限界に達していたことを。


 夜も眠れず、

 判断を誤ることを何より恐れ、

 逃げ場を失っていたことを。


 結果、隣国との関係は悪化し、

 国民の反発が噴き出し、

 王家の威信は大きく揺らいだ。


 混乱の中で、

「責任を取る者」が必要になった。


 選ばれたのは、一人の魔草研究者だった。

 伯爵家の次男で、

 政治とは無縁の場所で、

 ただ国のために研究を続けてきた青年。


 穏やかで優しく、

 セレンとも、言葉を交わしたことのある人物だった。


 彼は国のために汚名を着せられ、

「決まったこと」として処分された。


 ――自分の正義が、

 一人の人間の命を奪った。


 その事実は、

 セレンの人生観を、静かに、しかし決定的に変えた。


 窓から差し込む細い日差しを、

 セレンはぼんやりと眺めていた。


 やがて足音が響く。

 振り返ると、そこにいたのはシャーメリアだった。

 彼女はキッと顔を上げる。


「……私が」


 一度言葉を切り、

 静かに、息を整えてから続けた。


「……私が、あなたをここから出す。

 あなたには、一生分の恩があるの。

 絶対に、死なせない」


 強い意志を宿した蜂蜜色の瞳が、

 まっすぐにセレンを見つめる。


 セレンは、澄んだ水色の瞳を向け返した。

 その瞳には、

 拒絶も希望も、覚悟さえも見当たらない。

 ただ、ここにある。

 ……それだけだった。


 シャーメリアは、ふいに踵を返す。


 ――国のために。

 ――必要のない犠牲を、出さないために。


 ギイ、と鈍い音を立てて、

 地下牢の扉が開く。


 セレンはただ、

 受け入れるように、その先を見つめていた。




読んでいただき、ありがとうございました。


来週から、新しい連載を始める予定です。

すでに最後まで書き終えている作品になります。

よろしければ、そちらも読んでいただけると嬉しいです。

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