ナポリタン
ピッピッピッ。ピーーーーーー。
「ご臨終です。」
心電図の音と医者の宣言。泣く親族たち。今、一人の老婆の人生が終わった。
その様子を天井あたりから眺める。なるほど、死ぬとはこういうことか。漫画や小説で死んだ後に自分の死体を上から眺める描写があるが、本当だったとは。
まあまあ悪くない人生だったと思う。決して裕福とは言えなかったが、戦後の混乱を乗り越え、優しい夫に出会い、3男5女と子宝にも恵まれた。いや、実は子宝に恵まれてしまったから貧乏だったわけだが。
しかし、こうして孫も含めたら20人近くの親族に見守られながら逝けるなら、これ以上を望むのは強欲というものだろう。10年前に、先に逝った夫に会うのも楽しみだ。
ただ、一つだけ心残りがあった。
戦後すぐの貧困時代に、誕生日の日にだけ両親が連れて行ってくれた洋食屋。そこで食べたナポリタン。そのあまりの美味しさに私はすぐに虜になった。年に一度のご馳走。いつもワクワクしながら席に着いたあの記憶。
あの味に、ここ数十年はついぞ会うことは叶わなかった。
女学校を出てすぐに就職のため上京した。東京にも洋食屋はあって、ナポリタンもあるにはあったが、それは故郷の洋食屋のナポリタンとは味付けが異なっていた。美味しくはあったが、何かが違っていた。
満たされぬ日々を送り、数年後に結婚の挨拶のため夫と共にようやく帰郷出来たときには、その洋食屋はなくなってしまっていた。なんでも、駅前の再開発だったとか。
その時のショックは今でも忘れられない。以来、あの味には二度と出会うことはなかった。否、出会えなかった。自分でも再現しようと試してみたけど駄目だった。何が足りなくて何が違うのかすら、わからなかった。
ただそれだけが心残りだ、しかし、こればかりは致し方がない。。。
そうだ! せっかく最後を故郷で迎えられたのだから、閻魔様に会いに行く前に寄ってみよう。
そう思い立って、子供や孫たちに別れを告げて病院をスゥーと抜け出る。
今更ながら、あの廃墟からよくぞここまで復興したものだ。町の明かりを眺めながら感慨に耽る。最近は少子化で町の人口も減ってはいるが、明かりの全くない戦後すぐを知っている身としては十分だ。
目的の場所は・・・あった。でも、そこに立っていたのは町一番の商業ビル。この辺りは何度もスクラップアンドビルドを繰り返したため、かつての面影は全く残っていない。
それを見て、やはり物悲しくなった。町の発展は良いことだ。しかし、その代償として子供の頃に見た風景は跡形もなく消え去ってしまった。
友達と遊んだ空き地。文具を揃えた雑貨屋。そして、最大の楽しみだった洋食屋のナポリタン。
心がキュッとなる。仕方ないと頭でわかっていても、洋食屋が無くなったことを知った時の感情が蘇って一滴の涙がこぼれる。亡くなっても泣けるとは思わなかった。
実体を持たない涙はアスファルトに当たっても弾けることなく、そのまま地面に吸い込まれた。
その瞬間、世界が回転した。自分を中心に、グルンと音を立てて。
「はわわ! 何事かね??」
目をパチクリさせて当たりを見回すと、そこにあったはずの商業ビルがない。代わりに小さな小料理屋が立っていた。
「志乃ちゃん料理店? はて??」
こんなお店は先ほどまでなかったはず。亡くなってから、こんな不思議な体験をすることになるとは。。。
わけがわからないまま、扉から零れる明かりの暖かさに誘われて中に入ろうとする。
ゴチン! 「あぅっ!」
外壁にぶつかった。死んで霊体なのだから通り抜けられると思ったら違うらしい。おでこを抑えながら、生前のように扉をガラガラと開ける。
「あらあら。お客様、大丈夫ですか?」
入るとすぐに、小学生くらいの闊歩着を着た黒髪おかっぱ三つ編みおさげの少女が駆け寄ってきた。
「こちらをどうぞ。」
「あ、ありがとうね。」
本当は霊体なので痛くはないのだが、気分の問題だ。差し出されたおしぼりを受け取って額に当てる。
「改めまして、志乃ちゃん料理店へようこそお越しくださいました。ここの料理長兼店長を務める志乃と申します。よろしくお願いしますね。」
料理長兼店長? この、めんこい子が?
状況がよくつかめないが、死んだ後だし細かいことはいいだろう。促されるままに席に座る。店内は広くはないが、かつての洋食屋のように落ちつく雰囲気だ。
調理が始まった。本当に彼女が作るらしい。一瞬不安がよぎるが、すぐに解消された。
トントントントン
サクサクサクサク
スッスッスッスッ
なんという手際の良さ。玉ねぎが、ピーマンが、ソーセージが、流れ作業のように切断され、仕上げられていく。リズムよく野菜を刻む彼女の手つきから、見た目は幼くても相当なプロフェッショナルだとわかる。これは、、、見た目は相手を警戒させないための擬態だろう。正体は天使か仏様の一尊に違いない。
シューーーー、シャッシャッシャッ。
フライパンに油が敷かれ、先ほど切られた野菜とソーセージが炒められる。その音がなんとも心地よい。漂ってくる香りが、空かないはずのお腹を空かし、鳴らないはずの虫を鳴らせた。
トマトケチャップが投入され、香りはさらに強くなる。そこに、横の鍋で茹でられていたスパゲッティが投入された。
その様子を見たとき、幼いころのワクワク感が蘇ってきた。まだかまだかとソワソワしながら、フォーク片手に目をキラキラさせていた自分が戻ってくる。
ピザソースが加えられ、火を止めた後はチーズのトッピング。チーズが余熱で溶けたら完成だ。
「お待たせいたしました。思い出のナポリタンです。どうぞ召し上がれ!」
「頂きます!」
年甲斐もなく、心が躍ってしょうがない。薄々感ずいてはいたが、一口食べて確信した。間違いない! 幼いころに食べたあのナポリタンだ!!
炒められた玉ねぎ、ピーマン、ソーセージの香ばしさと甘さ。モチモチした食感のパスタ。そのパスタによく絡むケチャップの甘酸っさとコク。最後に入れられたチーズがそのコクをさらに強調し、程よい塩加減を提供してくれている。
求め続けて求め続けて、どうしても辿り着けなかったあの味!
「あぁ。。。」
言葉が出ない。感動で胸が一杯になる。でも、どうして??
「戦後すぐの頃とでは、野菜や調味料の質が全く違います。お客様が食べたかつての味を再現できなかったのは、当然の事なんです。」
そうか! そこは盲点だった。どうりで、どのお店のナポリタンも、自分で作ったナポリタンも、思い出の味とは違っていたはずだ。
具剤も調味料も、時代と共に技術の発展でドンドン改良されていた。だから、当時の味とは違うものにならざるを得なかったのか。。。
二度と会えないと思っていた味に再開できた感動で涙が溢れ出る。これでもう思い残すことは何もない。
霊体の体がキラキラとした光を帯びる。どうやら現世にお別れを告げる時が来たようだ。
完全に成仏する前に、これだけは言わなくてはいけない。
「ありがとうね。小さい店長さん。ご馳走様でした。」
手を合わせ、最後の挨拶。それを最後に、老婆の魂は完全に現世から消えた。
「こちらこそ、お粗末様でした。未練なき魂を送ることが出来て何よりです。数十年の人生、お疲れ様でした。」
志乃は老婆が座っていた席に向かって、ひとり呟き一礼する。
今日はこれで店じまいである。
志乃ちゃん料理店。それは亡くなった人の最後の希望をも叶える不思議な料理店。もしかしたら、次はあなたの前に現れるかもしれません。




