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うな重

 母親を殺したい。

 

 そう思うのは俺だけなのだろうか? 

 別に母を憎んでいるわけでも恨んでいるわけでもない。それでも、最近は殺意が芽生え始めている。

 無論、こんな事を考えるのは良くない事だと頭ではわかっている。しかし、周りの状況と自分の置かれている状況のあまりの違いに愕然とせざるをえない。


 母親が難病に倒れたのは4年前。それからずっと介護の日々だ。本来なら大学に入学する年齢なのに、碌に学校に行っていないから受験すら出来なかった。

 親父は新しい女を作って出ていきやがった。地獄に落ちろ。

 生活保護を受けて、辛うじて衣食住はどうにかなっているがそれだけだ。将来の夢だとか未来への展望はすべて消えた。20歳にもなっていないのに、心に残っているのは絶望と失意のみだ。


「俺の人生も終わったな…。」


 いっそ母親を殺して、自分も死のうか。

 瞳から零れた一粒の雫は、冷たいアスファルトに当たって弾けて直ぐに消えた。

 瞬間、世界がひっくり返った。天と地が入れ替わるような感じで回転し、それに合わせて自分の体も回転した。一瞬、宙に浮いたようだ。


「な、な、な…???」


 あまりの出来事に声が出ない。心臓がバクバクと脈打ち、冷汗が噴き出る。

 介護で疲れておかしくなったのか? 最近あまり熟睡できていない。その影響か?


「ん。何だこの店?」


 いつの間にか目の前に店があった。古風な感じの小料理屋。さっきまでここに店なんてなかったはずだ。一体何が起きているのか??

 頭がこんがらがりつつも、ドアの隙間から零れる光の暖かさに自然と吸い寄せられる。

 

 ガラガラガラと音を立てて開かれた中を覗くと、そこには4人掛けのテーブルが2つとカウンター席が5つ。客は…いない。


「志乃ちゃん料理店へようこそ。料理長兼店長の志乃と申します。どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください。」


 誰もいないのかと油断していたところに、突如声をかけられる。声の方を向くと、どう見ても自分よりも幼い、小学校低学年にしか見えない黒髪おかっぱ三つ編みおさげの少女が割烹着を着て立っていた。

 こんな子供が店長で料理長? なんの冗談だ? そう思いながらも何故か彼女の案内に逆らうことが出来ない。促されるままカウンターの席に着く。


「お客さんは未成年ですのでアルコールはダメですね。ですのでこちらをどうぞ。」


 そう言って出されたのは不思議な色をしたジュース。赤とも青ともつかない、いろんな色が混ざったような何とも形容し難い色彩。しかし、これを見た人は一様に綺麗と表現するであろう。そんな色。


「志乃ちゃん特製ノンアルコールカクテルです。どうぞー。」


 状況に戸惑いながらも、とりあえず一口飲んでみる。


「!? 美味い!」


 飲んだ瞬間、レモンスカッシュの爽やかな炭酸が口いっぱいに弾ける。その後に来るのはクリームメロンソーダの甘さ。さらに炭酸の泡の中から弾けて飛び出してきたのはオレンジ、アップル、カルピスなどの定番にして黄金メニューの数々。

 なんだこのカクテルは? 言うなれば子供のころにドリンクバーでやった、全てのジュースを混ぜ合わせたにも関わらず奇跡的に美しくて美味しいジュースが出来た。そんな感じだ。


「このカクテルはおかわり自由です。料理が来るまで、何杯でもどうぞ。でも飲みすぎには注意してくださいね。肝心の料理が食べられなくなっちゃいますから。」


 残りを一気に飲み干した自分に店長が笑いながら釘を刺す。もう一杯だけお代わりをもらい、以後は彼女が料理をするところを見る。

 もうこの頃には、さっきまで抱いていた疑問は吹き飛び、注文をしていないにも関わらず調理が始まっていることにも違和感を感じなくなっていた。


 調理が始まった。小さな料理長が取り出したのは立派なウナギ。それを串に刺すと、取り出されたのは七輪。


「屋内ですが、心配は無用です。換気はバッチリです。」


 そう言って、彼女は炭に火をつけた。


 パチパチパチパチ。

 ジュジュジュ。


 ウナギの焼ける匂いと油が落ちて一瞬で火に代わる音が耳に心地よい。湧き上がる煙と共に香ばしい香りが店いっぱいに広がる。


「志乃ちゃん料理店秘伝のタレです。門外不出ですよー。」


 そこに豪快にタレが塗り込まれる。濃厚な香りがさらに増して脳髄を刺激する。

 やがて、見事な焼き上がりのウナギのかば焼きが出来上がった。タレがキラキラ輝いていて、滴り落ちる水滴すら宝石のように輝いている。

 それが、お釜から取り出されたご飯の上に乗っかる。よそわれるお米の一粒一粒が白銀に輝いている。あれは何の銘柄だ?

 最後に山椒がかけられて完成だ。


「ほい、お待たせ致しました。志乃ちゃん料理店特製うな重です。しっかり召し上がれ。」


 ウナギは何度か食べたことはある。うな丼も。だが、これほど全てが輝いているうな重は初めてだ。

 某グルメ漫画よろしく唾液が口から溢れ出る。


「い、いただきます!!」


 箸で一口大に切って口に運ぶ。入れた瞬間、海に放り出される感覚に全身が襲われた。

 パリパリの表面、その中から溢れ出る肉汁。ウナギの油とタレの濃厚な甘みが合わさって体が深海に(いざな)われた。

 今度はご飯と一緒にかきこむ。油とタレをお米が纏い、米の美味しさと甘さをさらに引き立てた。

 言葉は不要。ただ美味かった。同時に、この味をどこかで知っている気がした。はて? こんな美味いうな重を過去に食べたことがあったかな? でも何故か懐かしい気がする。


「ええ、あなたは確かにこの味を知っています。よーく思い出してみてください。」


 思い出せだって? いやでも確かにこの味はどこかで…。




「ほーら、出来たよー。」

「やったぁ!」


 その日のご馳走に歓声を上げる幼い自分。食卓に並んだそれは、かつて確かに存在した幸福な日々。




 思い出した!! 昔、夏のボーナス時に必ず母親が買って来て作ってくれたウナギの味だ!!!


「気が付かれましたか。七輪はともかく、このタレはあなたのお母さんのオリジナルです。それを再現しました。ですので、門外不出なんです。」


 なんでその味を知って…。いや、よそう。理屈はここでは不要だ。自分はただ、差し出されたうな重を完食するのみだ。

 

 あり日しの光景を思い浮かべながらひたすら食べる。自然と涙が零れ落ちる。

 やがて、空になる器。いうべき言葉はただ一つ。


「ご馳走様でした!」




 気が付いたら、家の前にいた。どうやって帰ってきたのか覚えていない。ちょうどスマホが鳴り、見ると母親からの連絡が入っていた。暗くなっても帰ってこない自分を心配したものだった。

 



 翌日、お店があった場所に来てみたが当然のように何もなかった。

 考えてみればおかしな店だった。注文もしていないのにカクテルとうな重が出てきた。そして、お金を払った覚えもない。あれほどのうな重なら数千円。いや、万いっていてもおかしくなかったのに、財布の中身は一昨日と何ら変わっていなかった。

 ご馳走様の後の記憶があやふやだが、ここにきて思い出せたことがある。志乃と名乗った彼女。


「お代は確かに頂きました。人生を諦めるにはあなたは若すぎます。将来、あなたは今日お出しした以上の料理を食べることがきっと出来ます。どうかそれを信じて、自身の人生を歩み、お母さんを支えてあげてください。必要なら、この店は再びあなたの元に現れるでしょう。」


 小さな料理長は確かにこう告げた。

いいや、いいや。二度はない。そして、あなたに出してもらったうな重以上の料理もない。味では勝っても、満足度では到底昨日のそれには及ばないだろう。俺は人生で最高の一品を味合わせてもらったのだ。

 あなたが出してくれたうな重を食べながら流した涙は、悲しみの涙ではなく、母親との繋がりと未来への希望に満ちたものだった。これほどの料理を提供されて殺人だ自殺だなんてとんでもない。

 這い上がり、財を成せたならば、今度は俺が今の俺と同じ環境にいる人にうな重を振舞ってやる。それくらいしないと、涙一つで至高の逸品を提供してくれたあなたに顔向けできない。


「俺があなたの志と優しさを振舞えるようになるまで、見守ってくれよな。小さな店長さん。」

  

 突き上げた拳は日の光を浴びて透き通っていた。




 志乃ちゃん料理店。それは未来への希望を持てない人の前に現れて、ご飯を提供する不思議な料理店。もしかしたら、次はあなたの前に現れるかもしれません。


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