パエリア
際どい衣装を着て、薄暗いステージで腰を振る。
こんなはずではなかった。私はアイドルになりたくて上京したのだ。
ド田舎の故郷を出て、華やかな東京で楽しく美しく歌と踊りを披露する。そのはずだったのだ。それがどうして夜の地下でしか踊れないのか。
原因は分かっていた。私の未熟さと無知さだ。
故郷では一番の長身とスタイルと美貌を持っていた。歌と踊りだって私にかなう人はいなかった。これを武器にすれば、TVに映る事もそう難しい事じゃない。本気でそう思っていた。
浅はかだった。私はまさに井の中の蛙だった。
東京では、私のスタイルと容姿など並みでしかなかった。私以上の容姿とスタイルを持つ人は星の数ほどいた。歌と踊りのセンスはそれ以上だった。
私は生まれて初めて、現実に打ちのめされた。持ってきた貯金は東京の物価の前に直ぐに尽きた。
両親にも親族にも、はては友人達に反対されても大見えきって出てきた手前、帰ると言う選択肢は残されていなかった。
どうにかして日銭を稼がないといけない。それも、少しでも歌って踊れる職場に。下積みのつもりでやろう。その結果が地下でエロティックな衣装に身を包み、野卑に満ちた男たちの声を浴びながら腰を振る今だ。
「こんなはずじゃなかった…。」
自然と涙が頬を伝う。涙はそのまま地面に落ちて冬の寒さでさらに冷たくなったアスファルトに吸い込まれていった。
瞬間、世界が回転した。ゴゥッと音を立てて、天動説よろしく空がすごい勢いで回りだした。
「な、なに???」
余りの事態に訳が分からず立ち止まる。回転は直ぐに止まり、辺りは静寂に包まれる。
疲れているのかしら? 今日は早めに寝よう。そう思いながら足を踏み出した時、真横に一軒の小料理屋が建っている事に気が付いた。
え? なに? こんなお店さっきまでなかったような…。
困惑する私を、扉から漏れる光が手招きする。その光に思わず惹かれて扉を開けると、そこには4人掛けのテーブルが2つとカウンター席が5つの狭い店内。客はいないようだ。
やっていないのかと思わず落胆しかけた時、不意に下から声を掛けられた。
「いらっしゃいませ。志乃ちゃん料理店へようこそ。料理長兼店長の志乃と申します。どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください。」
どう見ても小学校低学年にしか見えない少女が割烹着姿で出迎えてくれた。
「えっと…。あ、貴方が店長? それに料理長??」
「はい、そうですよ。さあさあ遠慮なさらず。お冷、今お持ちしますね。料理が出来るまでは今しばらくお待ちください。」
こんな小さな子に促されるままに椅子に座る。頭の中は???だらけだったが、不思議と逆らったり質問をする気にはならなかった。
調理が始まると猶更その気は失せた。低学年とは思えないほどの包丁さばきと手際の良さだ。
タンタンタタン。サクサクサクサク。パリパリパリ。
ワシャワシャ、ジャッジャッジャッジャジャッ。
玉ねぎ、にんじん、セロリ、ニンニク、イカ、パプリカ、鶏もも肉。それらの具材がササッと切られ、食べやすい一口サイズに整えられていく。
あさりの砂抜き処理の間にムール貝の支度が進む。足糸が切られ、水に浸されて火にかけられる。やがて、殻が開いて微かな潮の香りが鼻を包む。
サフランの過熱が済むと、そこに漢方薬?みたいな香りも飛び込んでくる。
やがて、フライパンでエビとイカが炒められるとオリーブオイルの香りと合わさって食欲をそそる。
鶏もも肉、にんにくとパプリカが炒められると香りは一段と増し、店全体に広がる。その香りは鼻だけでなく胃にも届き、盛大に音が鳴った。
最後にそこに炊き立てホワホワのご飯が混ぜられる。出来上がったそれは見た目と香りだけで脳髄を焼くのに十分だった。
「お待たせいたしました。世界でたった一人しか存在しない誰かが、貴方のために作ったパエリアです。どうぞ召し上がれ!」
パエリア。それは毎年クリスマスの時に必ず作ってくれた母の得意料理。
それをなぜこの子が? そんな疑問は自身の腹の虫によって脳から追いやられた。兎にも角にも今はこの料理を食べなくてはならない。いや、食べたい!
「いだだきます!」
スプーンを手に取り一気にすくう。そのまま口に運ぶとその熱さにややハフハフしながらも舌で存分に味わう。
美味い。素材のエキスとスープを存分に吸い込んだ米が口の中でパラパラと解けて味覚細胞を刺激する。スープで随分と水分が含まれているはずなのに全くべたつかない。一粒一粒が舌の上で踊るように転がっている。
さらに一口すくう。今度はエビ、イカ、アサリと言った海鮮類。
エビはむいて口の中に入れて噛んだ瞬間パチンッという音と共に弾けて飛んだ。これほど新鮮でプリップリッのエビは食べたことがない。イカのコリコリとした食感と甘みとアサリの淡白なのにしっかりと自己主張した味がミックスされて、エビにも負けない濃厚な味わいを口の中で奏でる。
そこに野菜の優しい甘みと鶏もも肉のジューシーさが合わさる様は舌を舞台に、歯を観客に見立てた味のオーケストラでも始まったのかと思うほどだ。
間違いない。毎年、母が作ってくれたパエリアそのものの味。
「うぇっ、うえええぇぇぇぇっぇ…。」
食べながら嗚咽を漏らしていた。もう、何年もこの味を味わっていない。あまりの懐かしさと暖かさに泣きながら残りのパエリアをかきこんだ。
「おまたせー。はーい、出来たよー。」
「「「わーい!!!」」」
幼い頃のクリスマスの光景が脳裏に浮かぶ。小さなクリスマスツリー。無機質なテーブルに、この日だけはいつもと違う赤と緑の色鮮やかなテーブルクロスがかけられる。
そこに並べられる母の料理の数々。その中でも、サンタさんのプレゼントと同じくらい楽しみしていたパエリア。妹と弟と共に朝から今か今かと待ちわび、出てきた瞬間目をキラキラさせて大はしゃぎした。年に一度の我が家最大のご馳走。
「帰りたい…。」
自然とその言葉が出てきた。この数年間、意地でも言わなかった言葉。でも、嘘偽りない確かな本音。
とめどなく流れるそれを拭くこともせず、手を合わせて呟いた。
「ご馳走様でした。」
気が付いたら、家の布団の中にいた。慌てて起き上がるが、昨日の出来事があやふやだ。確か、志乃ちゃん料理店とかいうところで懐かしいものを食べた気がする。…そうだ、パエリアだ!
「お代、どうしたっけ?」
あれだけのものを食べさせてもらったにもかかわらず、支払いをした記憶がなかった。どう帰ってきたのかもわからない。
大急ぎで身支度して昨日の場所へ行くが、そこには何もなかった。
何故? という感情は湧かなかった。むしろ、当然だと言う感覚があった。ここに着いた時、一つの事を思い出した。それは志乃と名乗るあの小さな料理長の言葉。
「お代は頂きました。あなたは、どうぞあなたのいるべき場所へ戻った方が良いです。あなたを大事に思い、あなたも大事に思っている相手のところへ。人はそれぞれ輝ける場所が違うのです。都会で輝く人もいれば故郷で輝く人もいる。それはどちらが偉くて立派とかではないのです。どちらもが、尊い輝きなのです。」
ああ、そうか。あのお店はきっと、私のような人の前にだけ現れる特別なお店なのだ。恐らく、二度と私の前には現れないだろう。そんな予感がした。そして、きっとそれで良いのだ。
その日のうちに仕事はやめた。1週間後にはアパートも引き払い、かつて上京した時の様に、その身一つと小さなカバンだけを持って故郷への電車に乗っていた。
さらば東京。また来ることはあっても、私は二度とこの町に憧れる事は無いだろう。何もないと思っていた故郷こそが、私が必要としていた物全てを有していると気が付いたから。
「ありがとね。小さな料理長さん。」
列車の窓の景色に揺られながら、私は感謝の言葉を呟いた。
志乃ちゃん料理店。それは大事なことを気が付かせてくれる不思議な料理店。もしかしたら、次はあなたの前に現れるかもしれません。




