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餃子定食

「酒もタバコもやらずに生きてきた結果が癌。馬鹿みてえ。」


 学は、病院の屋上の柵に寄りかかりながらそう呟いた。

 柵に寄りかかって、今まさに水平線に沈まんとしている太陽をボーッと眺めていた。

 あの太陽が沈み切った時が、自分の人生の終わり。学はそう決めていた。


 数か月前から何となく息苦しさや、軽い運動でも直ぐに疲れるようになったとは感じていたが、年相応のものだと思っていた。

 仕事が忙しくて病院に行くのは遅れたが、別にそれでも問題ないと思っていた。去年の健康診断の結果は全て正常値だったから。

 ようやく家近くの町医者にいってレントゲンを撮影したら、即座に救急車を呼ばれ大病院へ。そこで血液検査だ胸部CTやら色々やったら即入院。家族を呼んでくれと言われた。

 肺癌だった。


 告げられた瞬間、頭を金属バットで殴られたような衝撃を感じた。

 先生がステージはとか、手術が云々言っていたが全く頭に入ってこなかった。


 その日から生活は一変した。仕事は休職せざる得なくなった。上司の「見舞いに行く。」とか同僚からの励ましメールが幾つも来たが、どれも全く心に響かなかった。

 頭の中はなんで俺が。それだけだった。


 生まれてこのかた30年。体に悪影響を及ぼすと言われるものからは全て距離を取ってきた。

 時に人間関係を犠牲にしてまでもアルコールを避け、タバコの煙は極力吸わないよう注意し、食べるものだって美味しさよりも健康を意識してきた。

 その結果がこれだ。

 こんな事になるなら、もっと美味いもん食ってビールもたらふく飲んでおけばよかった。正直、泣けてくるぜ。あ、ほんとに涙が出てきた。

 頬を伝って落ちた涙は、屋上の冷たいコンクリートの床に当たって直ぐに乾いて消えた。


 瞬間、世界が一回転した。

 まるで自分を中心に世界が動いているかのように、空に浮かんでいた星々は定点観測のように線を引いた。


「な、なにが起きた!??」


 訳が分からず辺りを見渡すと、ちょうど自分の後ろに一つのお店が建っていた。暖簾には「志乃ちゃん料理店」の文字。


「な、なんだこの店???」


 さっきまでこんな平屋建ての建物なんてなかったぞ。そもそも、病院の屋上にこんな小料理屋なんてあるわけがない。どっから現れた?

 唖然としていると、日が落ちてきたのか風が冷たくなってきた。震える体に戸の隙間から出る光があまりにも暖かそうで、自然と足が出る。

 引き戸を開けて中に入ると…。


「いらっしゃいませ。志乃ちゃん料理店へようこそ。どうぞ、お好きな席におかけください。」


 どう見ても小学校低学年としか思えない少女が割烹着姿で出迎えてくれた。


「料理長兼店長の志乃と申します。どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください。」


 この子が料理長? 素敵な笑顔が魅力的だが、こんな子供が店長??

 訳が分からないまま席に促されて座る。なんだか狐に化かされているような気分になるが、その笑顔の前にはなぜか問いかける気にはならなかった。

 促されるままに席に座り、出てきた水を飲む。ただの水なはずなのに、何故か心が落ち着いた。

 

「料理が出来るまで今しばらくお待ちくださいませ。アルコールもご用意していますので、気が向いたらいつでも注文してくださいね。」


 あ、はい。ありがとうございます。と曖昧な返事しか出てこない。こっちが唖然としている間に志乃と名乗った少女はテキパキと準備を進めていく。

 俺、何か注文したっけ…?


トントントントン、トントトントントントン、タンタンタンタタンッ

ゴリゴリゴリジョリジョリジョリショリショリショリシャリシャリシャリ

ニギニギニギニギ


 そんな自分の疑問は手際よく切られていく野菜、すられるショウガ、握られて形を整えるひき肉の音に溶けていった。

 やがて、それらは全て混ぜ合わされて小麦粉で出来た皮の中へ。

油が敷かれた油が引かれたフライパンに、ジュワッという音と共に投入されると、ニラの良い香りが鼻先をくすぐった。

 自然、腹が鳴る。涎も出てくる。

 水を投入され、蒸し焼きにされたそれとは別に彼女はスープを作り始める。

 鍋の水に醤油と塩と調味料が入れられ、そこに小さく刻まれた長ネギが入れられる。加えられた胡麻油の良い香りがさらに食欲を誘った。

 その時、炊飯器が鳴った。開けるとそこには真っ白に輝くお米。炊き立てホワホワのご飯が器に盛られ、その匂いだけでもたまらない。

 ちょうど、フライパンの中の物も出来上がったようだ。ふたを開けると見事な焼き上がりのそれが強烈な香りを放ち、学の腹に止めの一撃を食らわせた。店一杯に腹の音が響く。


「ふふふ。大変お待たせしました。餃子定食です! 熱いうちにビールと一緒に召し上がれ。」

「い、いただきます!」


 我慢できずにすぐさまかぶり付く。パリッパリに仕上がった皮が破けるのと同時に肉汁がジュワッとあふれ出して舌全体に広がる。油なのに油っぽくない。サラリとした舌触りが心地よい。


「美味い…。」


 自然と口に出た。ビール瓶を手に取ってグラスに注ぐ。キンキンに冷えたビールグラスの感覚が指の神経を通じて脳に送られたとき、一気飲みの誘惑を打ち消すことは出来なかった。

 グラスをあおって一気に口に流し込む。先の餃子の油と交じってビールの炭酸が何とも言えない美味さを醸し出す。グビグビグビと喉を通る時すら美味さが続く。こんな料理は初めてだった。


「ビールって、こんなに美味かったのか…。」


 成人したてのころに、試しに一口飲んでみたことがあったが、その時とは美味しさが比べ物にならない。シュワッとした炭酸が舌を刺激し、喉を通る時のパチパチ弾ける感覚がたまらない。

 今度は餃子の次にご飯を食べてみる。これまた餃子の油と具材が暖かく真っ白な米粒一つ一つに絡んで独特のハーモニーを醸し出す。

 無我夢中で口に運んでいて、スープにしばらく気が付かなかった。

 長ネギがふんだんに入っている以外はごく普通の醤油スープのようだが、これすらも一口飲んだだけで舌と胃が喜ぶのが分かった。


 食べながら涙を流している事に気が付いた。食いながら涙を流すなんて初めてだった。

 餃子、ご飯、スープ、ビール。どれもこれも人生の中で一番美味い料理だった。


「ご馳走様でした。」




 気が付いたら病院のベッドで寝ていた。

 体を起こして窓の外を見ると、太陽の光で夜が白み始めていた。

 昨日のあの出来事は何だったんだ? いつ自分はベッドに戻ってきたんだ? お代はどうしたっけ? 

急いで屋上に上がったが、そこには当然と言えば当然なのだが何もなかった。

 幻? いや違う。舌と胃が、昨日の餃子とご飯とスープ、そしてビールの味を覚えている。昨日のには及ばずとも、舌と胃がまたあれを食べたいと訴えてくる。

 俄然、体に力が入る。全く身が入らなかった治療に、全力で取り組もうというモチベーションが全身から溢れ出てくる。


 ああ、そうか。きっとあのお店は俺みたいな絶望した人間の前に現れる都市伝説みたいな存在なのだろう。


「いつか、また会ってお礼とお代を払わせてくれ。小さな料理長さん。」


 明ける空を見ながら、そう呟いた。




 志乃ちゃん料理店。それは絶望している人の前に現れる不思議な料理店。もしかしたら、次はあなたの前に現れるかもしれません。


※病院の屋上は様々な理由から基本施錠されており、患者が気軽に上がれるはずはないのですが、シチュエーションのためあえて無視させて頂きました。

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